このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「FIPA2010報告(下)」 優れた内容でアジア勢が健闘

 今年度のアジア作品、エントリー数は横ばいであった。しかし、内容的には中国作品の受賞を始めとし、その存在感を示した。日本からはNHK作品「日本海軍 400時間の証言 第2回『特攻 "やましき沈黙"』(以下『やましき沈黙』)」(NHKスペシャル、ルポルタージュ部門)、RKB毎日作品「だから、僕は指揮棒を振る」(以下「指揮棒」音楽・スペクタクル部門)の2本が本選に選らばれた。しかし、残念ながら、日本作品は受賞に至らなかった。


日本からの出品 2作が本選に

カミカゼ

「やましき沈黙」 (c)NHK
 ルポルタージュ部門で選ばれた「やましき沈黙」は大変な傑作だ。終戦36年後、特攻カミカゼ作戦に携わった海軍上層部の将官たちが残した400時間に及ぶ海軍反省会の録音テープを基に構成された作品。主として、佐官クラスの幹部の発言が中心である。彼らは、人間を消耗品扱いした特攻そのものに疑問を呈した。5000人以上の若者を片道切符で送り出した組織としての特攻計画と、その背景が浮き彫りされる。レイテ島沖海戦で決定的打撃を受けた日本海軍首脳は、一億総特攻へと傾いた。それは昭和20年の敗戦の7ヶ月前である。

 特攻の先駆けとなった人間魚雷「回天」は昭和19年8月に始められたが、その命中率は2%と、その後の特攻も同様である。これらの決定、統師権を持つ天皇の裁可を経て、海軍首脳が実行したもので、天皇、軍首脳の戦争責任問題は避けて通れない。結局、特攻に疑問を挟む一部意見は全体の空気に押され、「やましき沈黙」をせざるを得なくなる。更に、驚くべきことに、海軍首脳は対戦犯対策を既に練っていたのである。多くの若者の命を奪った特攻は、人道に反する罪として、当然裁判の対象となると思われたが追及をかいくぐり、「やましき沈黙」へつながる。FIPAでの上映、会場は満員で、終映と共に大きな拍手が起きた。フランス人観客にとってはカミカゼに対する興味であったようだ。


口のきけぬ指揮者

「だから、僕は指揮棒を振る」(c)RKB毎日

 福岡から「だから、僕は指揮棒を振る」が出品された。演出の西嶋真司がビアリッツ入りし、舞台挨拶をした。
 本作の主人公は福岡県在住のオーケストラの指揮者である。彼はガン手術により舌を切除し、言葉が発せられなくなるが、動作とメモボードだけでオーケストラを指揮する。東京芸大卒の彼、在学中はフレンチ・ホルン奏者であり、帰省後、アマチュア、大学、高校と、いくつかのオーケストラの指揮を掛け持ち、その上、大学で音楽を講じている。彼はオーケストラ仲間の女性と結婚したが、早くにガンで亡くし、2人の娘を育てながらの毎日。演出の西嶋が語るように、人間、言葉がなくとも、心での会話の可能性が作品のメインテーマとなっている。
 熱心な指導で、未熟なオーケストラを指揮棒一本でまとめあげる彼の熱さが次第に楽団員たちにじわりと伝わる過程は、さわやかで素朴な感動に溢れている。中学生の指導の時、彼らは、ハイハイとその度声を出し返事をする。口の利けぬ指揮者に「わかった」とサインを送っているのだ。口のきけぬ指揮者という素材の良さは勿論だが、音楽を通して心が一つに向う良さが、本品の見ドコロだ。



フィクション部門の佳作

「火の魚」(c)NHK

 昨年から、ドキュメンタリー・ルポルタージュ部門以外へのエントリーが始まり、良質な日本のテレビドラマがFIPAを目指すようになった。昨年はテレビ長崎の「月の光」、NHKの「帽子」、今年は「火の魚」(NHK広島)とすぐれた作品が出された。ヨーロッパでもテレビ・ドラマの人気は高く、アラン・ドロン、ジェラール・ドゥパルデュのテレビ・ドラマ登場がその象徴である。視聴率も、時に劇映画を抜くことは珍しくなく、フランスの劇映画テレビ放映数(年間約1500本)がテレビドラマ人気のため減り始める現象が起きている。「火の魚」はハイビジョン作品で、瀬戸内海の小島が舞台。

 かつての作家大先生(原田芳雄)と、彼の元へ原稿取りに東京からやってくる出版の若い女性社員(尾野真千子)が主人公。気難しい作家の、難癖に翻弄される、生真面目な彼女の悪戦苦闘。2人の世代差によるチグハグさが何ともおかしい。又、ハイビジョン映像を充分生かした瀬戸内海の風景も絶品。本作、本選ノミネートは逸したが、FIPATEL(フィパテル)に選ばれた。FIPAのドラマ部門では、社会性のあるテーマが好まれる傾向があるが、人間の内面を描く作品があっても良い。



中国の躍進  ドキュメンタリー部門で金賞

「父と息子」

 地元紙はFIPAの総評とし、今年は中国とイスラエルの質の高さが目立ったと述べている。イスラエル作品は、作り手の知的レベルが反映し、クオリティが高いのは今年だけの現象ではない。中国は過去には75本の作品をエントリーした程、FIPAに対する関心が高い。その量から、今年は質に転じた様子が見て取れる。
 今年は中国作品の秀作が目を引いた。世界的に中国の重みの増す中、FIPAでも、その存在感が一際目立った。筆者の記憶する範囲では、中国作品の入賞はこの10年間なかった。しかし、今年は、ドキュメンタリー部門で「父と息子」が初のFIPA金賞(第一席)に輝いた。2時間49分の大河ドキュメンタリーで、以前、山形ドキュメンタリー映画祭で最高賞を得た中国ドキュメンタリー「鉄西区」(03)(9時間)には及ばないが、テレビ映像では群を抜く長尺である。監督は35歳のユアン・ヘ監督作品(雲南出身)。長尺であり、超オーソドックスな映画手法を駆使している。

 それは、生活時間と映像時間の一致で、必然的に長廻しとなる。冒頭、森の中で鳥の声を聴く息子。彼は精神障害者で、近くの集落に年老いた父との2人暮らし。この彼、画前前面左から奥へ消えるまでを延々と最後までフィックスで追う。ここで、作品スタイルが提示される。その後、家の中の起床光景、暗闇の中、人の動きと声のみで、見る者は最後までこの暗闇に付き合わされるかと恐怖におののく。しかし、単に電灯がないだけで戸が開け放たれ、光が差し込む。自然光と暖炉が唯一の光源なのだ。2人の朝食が終り、父の友人の訪問があり、最後は父の葬儀で終る。

 老齢者と障害者のコンビ、互いに頼り合う貧しい生活。ドキュメンタリーの根源に還ったようなシンプルな技法。率直に言えば、見ることに大変な忍耐力が要求され、受賞作品上映でも、筆者を含め僅か6名とスカスカであった。明らかに映画文法への挑戦であり、観客の存在は無視している。しかし、最後まで人を引きつけはなさない不思議な力がある。映像表現の多様性と言う視点に立てば、貴重な試みであろう。若手監督の底知れぬ力に渋々ながら付き合わされた感じだ。




突出した映像美

「在江辺」

 フィクション部門の中国作品「在江辺」は映像的に見応えがある。揚子江河岸の田舎町、年に一度の先祖を祀る秋祭り、都会へ出た子供たちが実家に戻る。その数日間を描く、のんびりした田舎の美しい自然の中の生活、子供たちの抱えるそれぞれの問題が食卓を中心に語られる。しみじみとした味わいのある作品だ。カメラのフィックスを基調とした奥行きのある画面作りが素晴らしい。その映像枠の中に人間を取り込む映像美に思わず「このような絵柄があるのか」と、うなづいてしまう。



ドヌーヴの新作

特別上映「カトリーヌ・ドヌーヴ − 美とその存在」

 クロージング上映は「カトリーヌ・ドヌーヴ − 美とその存在」である。テレビ用のインタヴュー構成で、90分と劇場上映も可能な作品だ。彼女の半世紀に渉る映画歴が編年体で紹介され、彼女自身、そして、ゆかりの監督たちの証言で埋められる。ドヌーヴはフランス映画史研究において必要不可欠で、今年67歳の貫禄の大女優の証言は貴重だ。新作に関しては、フィクション作品「隠された日記」(09)が東京の日仏女性フォーラムでも公開された。

 

 




おわりに

 今年のFIPAは、ドキュメンタリー部門の多才な作品群、記録映像の面白さを充分味わせてくれた。フィクション部門では、FIPAカラーである社会性のある作品が目を引いた。日本からの「火の魚」は大変良くできた作品であり、日本のテレビドラマの水準の高さを充分示すものであった。今年は賞レース無冠であったが、そのクオリティは決して見劣りするものではなかった


●FIPA2010 入賞作品一覧
フィクション部門 FIPA金賞 「アントワープ」(オランダ)マルティン・マリア・シュミッツ
FIPA銀賞 「密入国者」(仏)アルノ・ベドゥエ
シリーズ部門 FIPA金賞 「占領」(英)ニック・マーフィ
FIPA銀賞 「ローマ銀行のス喜屋武ダル」(伊)ステファノ・レアリ
ドキュメンタリー部門 FIPA金賞 「父と息子」(中)ユアン・ヘ
FIPA銀賞 「記憶の道」(ベルギー)ホセ・ルイス・ペナフュエルテ
ルポルタージュ部門 FIPA金賞 「米へのびる手」(仏)ジャン・クレピュ
FIPA銀賞 「長距離電話」(イスラエル) アミカム・ゴールドマン
音楽・スペクタクル部門 FIPA金賞 「オレリ・デュポン」(仏)セドリック・クラピッシュ
FIPA銀賞 「コメダ − 人生のサウンドトラック」(独)クラウディア・バッテンホフ・デュフィ





(文中敬称略)
  《了》
映像新聞 2010年3月8日掲載号

中川洋吉・映画評論家