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「フランス映画の近況報告」

 今年の冬、パリは寒波の到来で異例の寒さ。「フィパ2009」開催のビアリッツでは99年以来の大暴風雨を、その後のパリでは殆んど曇のち雨と、気の滅入る毎日であった。X'マス時期からの風物詩、シャンゼリゼのイルミネーションも、エコ対策で白色灯となり、迫力不足であった。鉛色のパリの空の下にもかかわらず、映画館は早朝興行からそこそこの入りで、フランス映画の健在振りが見てとれた。

シネコンの隆盛

 パリ滞在中は、CNC(フランス国立映画センター)やユニフランスフィルム、カンヌ映画祭事務局などへのヒアリングを除けば、殆んど映画館につめる毎日であった。その映画館も、宿泊先前のオペラ・コミック座から徒歩20分の一大ショッピングセンター、旧中央市場跡、レ・アール内のシネコンである。

 その一隅、映画館以外に、文化施設としてパリ市立のヴィデオテック、そして、今年から新たにCNC付属の映画図書館が開設された。その隣がUGCシネシテ・レ・アール(以下シネシテ)で、パリ一の集客力を誇るシネコン。フランスでは、10スクリーン以上はミュルチ・プレックス(以下ミュルチ)、それ以下はシネマ・コンプレックス(以下シネコン)と区別している。全国で158館、1810スクリーンあり、そのうちで12スクリーンのシネコンが一番多い。スクリーン数は5398で、シネコン(含ミュルチ)の興行収入比率は54・4%(07統計)となっている。

 我が国のシネコン比率は79・2%(総スクリーン数3359)と比べ低いが、フランスでは一館一スクリーンの旧来の映画館が23・6%存在し、その影響と思われる。因みに同国での適正シネコン数は150館とされ、既に上限に達し、今後の増加は非常に少ないと見られる。


入場料

 ご贔屓のシネシテ通いの最大の理由は、見たい映画を同じ場所でハシゴが出来るためである。パリの映画興行は、一作品の曜日、時間を決めた編成が多く、特に、アート系館にこの傾向が強い。この場合、連続的視聴が難しくなる。

 シネシテは19スクリーンとパリ最大規模を誇り、新作が揃う。しかも、フランス流で1〜2スクリーンをアート系作品のために空け、幅広い観客のニーズに応えている。また、人気のアメリカ映画が3〜5スクリーンを占拠することもない。ここはフランス興行資本の矜持といえよう。

 入場料金は、パリの一等地だけに最高ランクの10.2ユーロ(邦貨1326円)、学割は7.1ユーロ(923円)とそれほど安くない。しかし、各種割引が揃い、興行連盟によれば、半数の観客は何らかの割引の恩恵に浴している。その代表が見放題パスである。一ヶ月19.8ユーロ(2574円)と驚くべき低価格である。2回見たら元が取れるパスで、UGCが有料テレビ、カナル・プリュスの受信料徴収からヒントを得たとされる。普通に考えれば、出血サーヴィスである。このパスについては、UGCは一切経理内容を公表していない。専門家に拠れば、既に10年近く続くこの制度、未だに廃止しないのは、損失が出ておらず、更に、自社系列館への囲い込みを目的とするためとしている。このパス取得条件は、一年間の銀行自動振込である。パスの人口は全入場者数の約10%で、大都市に加入者は多い。


見応えあるデュラス原作作品  待たれる日本公開

「太平洋の防波堤」

 フランス人作家の中でも抜群の知名度を誇る、故マルグリット・デュラス原作「太平洋の防波堤」(50)は見応えがある。既に、ルネ・クレマン(「禁じられた遊び」の巨匠)が58年に映画化している。今回はパリ在のカンボジア人監督のリティ・パンが手懸け、戦前の仏領インドシナの雰囲気が濃厚に漂う。18歳までヴェトナムで育ったデュラスの自伝ともいうべき作品で、時代は1931年、フランス占領下のプア・ホワイト一家の物語。父のいない一家の主(イザベル・ユペール)は海辺の僅かな土地で米作を試みる。しかし、雨季には海水が浸水し、収穫が出来ない。その困難の状況下、母は海岸に海水避けの防波堤の建設を思い立つ。しかし、総ての歯車が悪い方、悪い方へと転がり、一家は負け組コロン(植民者)としてフランスへ戻る。
 この一家の暮らし振りを少女時代のデュラスの目を通して描かれる。白人階級の特権社会に身を置くが、内情は火の車、ヴェトナム人資本家にじりじりと押される。それは暴力でなく、丁重だが、じわりと真綿で首を絞めるように。後年、フランス、アメリカに打ち勝ったヴェトナム人のしたたかさも、この作品のミドコロ。疲れ切りながらも凛とし、苦境を甘受するユペールの白人コロン、滅び行く者の美学が漂う。数多いユペールの代表作の一つに加えられる作品。


元気なアニエス・ヴァルダ

アニエス・ヴァルダ監督
(c)八玉企画

 作家性の強い作品に、アニエス・ヴァルダ監督の「アニエスの浜辺」(原題)(今秋岩波ホール公開予定)がある。監督のヴァルダがガイド役として登場。彼女のゆかりの場所を案内する趣向。先ずは、南西フランスの漁港セートから始まる。セートは詩人ポール・ヴァレリーや国民的歌手ジョルジュ・ブラッサンスの生まれ故郷であり、フランスでは良く知られた土地。ベルギー生れのヴァルダは戦争を避けここに滞留。そこでの幼馴染と思い出を語らい、幼年時代を懐かしむ。

 ただのドキュメンタリーではなく、浜辺に仮設のテントを設け、その奥で彼女が女王然として語るフィクショナルな部分も残している。舞台は変り、彼女の公私に渉る本拠地パリ・ダゲール街での様子、映画製作、亡き夫ジャック・ドゥミなどについて、現在と過去がないまぜにされた映像が写し出される。住まいの隣はモンパルナス墓地で、ドゥミの墓が紹介される。ヴァルダの映画人生を語る趣向で、大女流監督の健在振りが印象深い。今秋の公開が待たれる。


異能画家の再発見

「セラフィン」
(c)Cesar.j

 フランス人友人の強い勧めで見たのが「セラフィン」。マエ前知識は皆無だったが、友人によると、お手伝いさんをしながら夜は粗末な部屋に篭り、絵筆をとっていた画家であり、彼女の細密的な植物画の評価は高い。

 パリ近郊、サンリスのドイツ人家庭でお手伝いさんとして働くセラフィンは、そこの主人が美術商であり、彼のお蔭で画家として認知される。パトロンの美術商はやがて破産し、後ろ盾を失ったセラフィンは零落し、1942年に死去。この彼女を演じるのが、デップリした女優、ヨランド・モロで、片田舎のお手伝いさんの持つ雰囲気にぴたりとはまる。実直で、信仰心が厚く、働き者の一面、懐疑心が強く人との協調が難しい役柄をこなす。本作で、2005年に続き、今年度セザール主演女優賞(フランス版アカデミー賞)を獲得。彼女の存在があってこそ、セラフィンの画業が蘇ったといっても過言ではない。2008年度フランス映画の収穫の一本だ。



「超・特派員」
「超 特派員」

 フランス映画で一番成功を収めるジャンルはコメディであり、2008年の最大ヒットは「シュテイスへようこそ」で、2050万人とフランス映画興行記録を塗り変えた。北フランスの小さな郵便局で展開される、外からの人間と町の人々の交友を描くが、特にインパクトがある訳ではない。並みのコメディで、映画関係者にとり予期せぬ大儲けだった。
 このコメディ系列作品に、渋い二枚目ジェラール・ランヴァンとジェラール・ジュニョコンビの「超・特派員」がある。このコンビ、既に共演歴があり、2人ともカフェ・テアトル(小劇場コメディ)出身、一方は二枚目、片方はメタボ気味の小柄なハゲ親父と対照的な容姿、このチグハグが面白い。
 この2人、ランヴァンが放送レポーター、ジュニョが録音マン。イラク戦争取材で急遽出張命令を受け、バグダッドへ飛ぶ筈であった。

 ここまでは普通の出だし、その後が凄い。
 ジュニョは旅費を不倫妻の置手紙と取り違いゴミ箱に捨て、2人はパリで足止めを食らう。そこで、失態を隠すため、パリ下町、黒人の多い地域の友人宅から他局の番組を寄せ集め、バグダッド発インシキレポートを流す。技術は録音マンのお手のもの。このレポートが馬鹿受けし、聴取者から実物が見たいとの多くのリクエストが放送局に舞い込む。そこで、窮余の策として、2人はテロリストによる拉致をデッチ上げる。コメディには違いないが、底流には、果たして我々が得る情報は信頼出来るものだろうかとする、根源的問題を突きつけている。この点、土曜の夜のお気軽映画鑑賞を目論む観客は一杯喰わされる。パリ下町のアパルトマンの一室から、イラク戦争レポートが発信される珍妙さ、そして、情報操作により簡単にだまされる局を含めての聴取者の在り方。上手い問題提起だ。イラク戦争開始時のアメリカのテレビ報道への痛烈な当てこすりで、ただのお笑いではない。

終わりに

 ベルリン映画祭前のパリの映画界、新作の数は少ないが、探せば中々のもの。この時期、前年からのアート系作品のロングラン作品に巡り合う機会が多い。このように、それぞれの時期により、作品選びが変わってくる。




(文中敬称略)
映像新聞 2009年3月16日号
《終》

中川洋吉・映画評論家