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「第10回NHKアジア・フィルム・フェスティヴァル」

−地域性を醸し出す効果的な演出

−貧富の差、文化の違いなどがテーマ

 恒例の「NHK・アジア・フィルム・フェスティヴァル」は第10回を迎え、渋谷の「NHKみんなの広場ふれあいホール」で10月24日から29日まで開催された。1995年に映画誕生100年を記念し、アジアの国々との国際共同制作に乗り出した。共同制作以外にもアジア作品の上映を目的にフェスティヴァルが立ち上げられ、今日に至った。
アジアの若い才能の発掘を目指し、国際的に認められた秀作が今フェスティヴァルから誕生している。そして、上映された作品はNHK衛星放送で必ず放映され、テレビ視聴者にもアジア作品が紹介される。

 例年、11月初旬から開催される同映画祭、今年は1週間早まった。
国際共同制作作品は、各国プロダクションの相乗りで、NHKは作品の放映権を買い上げ、制作費は負担しない。いわば制作費の間接負担方式であり、商業行為にNHK自身が出資することは公共放送の規約により出来ず、このような形をとっている。

「ピノイ・サンデー」国際共同制作作品

「ピイノ/サンデー」
 今作の共同制作国のメインがフィリピンである。そして、台湾、フランス、NHKが制作者として名を連ねている。
ここ数年、国際舞台でのフィリピン映画の台頭が目立つ。今年のカンヌ映画祭コンペ部門ではブリランテ・メンドーサ監督の「キナタイ」、東京国際映画祭コンペ部門でのレイモンド・レッド監督の「マニラ・スカイ」と従来の東アジア、イラン中心の潮流を一気に東南アジアへと引寄せた感がある。

 舞台は台北、主人公は出稼ぎのフィリピン男性2人、彼らは工場の寮暮らし、家族と離れての毎日と、設定としてはこじんまりしている。香港のお手伝いさん、イスラエルの看護師などでお馴染みの出稼ぎで、今回は台北の工場労働者。

 出稼ぎの人にとり楽しみは、日曜の教会でのミサ。同胞たちとの他愛ないおしゃべりで、日々の憂さを晴らす。中年の男2人組は、住宅地で壮絶な夫婦喧嘩の現場に居合わせる。妻は荷物とともに家を出て行き、豪華なソファだけが残される。そこで2人はこのソファを頂戴し、寮までえんやこらと運ぶ。ハナシの骨子は、どのように寮の門限までに運ぶかである。人力以外に、スーパーのキャリー、耕運機、トラックに頼り、おまけに自動車との接触事故、警察での取調べと面白オカ可笑しく展開される。

 その間、口論をしたり、故郷を思い出し、しんみりと黙り込んだりもする2人組。ラストシーンは門限が過ぎ、南国のパラダイスで陽気に騒ぐ2人で終る。筋立てを文字で追えば、そこそこに楽しめそうだが、一つ一つのハナシのインパクトが弱い。更に、明らかにシナリオの締め上げが弱く、ラストの空想シーンは逃げである。



「タハーン〜ロバと少年」 娯楽以外のインド作品

「タハーン〜ロバと少年」

 珍しいインドからの出品。歌って踊ってタイプの超娯楽作とは全く違う。物語の舞台はパキスタン国境のカシミール地方。本来、風光明媚な地だが、現在はインド・パキスタンが角突き合わせる戦乱の地。その地の貧しい羊飼いの一家は父親が反政府活動家と見なされ拘留中、家族は彼の消息がわからない。母一人で暮らしを支えるが、借金のカタに家が取られそうになり急場しのぎで少年が可愛がっていたロバが売りに出される。山に売られたロバは、新しい飼い主に馴付かず、そこへ少年が「自分なら働らかせる」とばかり、強引に雇われ、ロバを使っての作業を手伝う。

 物語は、少年がどのようにしてロバを取り戻すかの興味でつなぐ。強引に雇われたが、すぐに解雇され困った少年に声を掛ける優しい青年と出会う。彼は反政府側の自爆者で、少年はすんでのところで、惨事に巻き込まれかかるが難を逃れる。
インド山間の人々の貧しさ、そして、不毛な戦争と行き場を失う人々。その重い現実の中に放り込まれる少年、彼とロバとの交流を軸に、反政府テロリストと、政府軍に拷問される父親などと、カシミール地方の困難な生き方がツヅ綴られる。地味で、既視観のある素材だが、言わんとするところはきちんと伝わる。劇中の踊り出したくなるこの地の音楽は魅力的。




「トゥルー・ヌーン〜イワノビッチの村」 人為的な国境問題

「トゥルー・ヌーン〜イワノビッチの村」

 中央アジア、タジキスタンからの出品。時代はソ連崩壊の少し前、舞台はタジキスタンとウズベキスタンの国境近くの2つの村。人々は国境を意識せず自由に往来。主人公は一つの村の気象観測所所長。ロシア人で離れた家族の許へ戻りたがる。助手は地元の若い娘。
物語の芯は、この彼女ともう一つの村の青年との結婚式である。中央アジア、イスラム圏の文化性が目を引く。村は中央アジア独特ののんびりした佇まい、交通手段はロバと郷土色が豊かである。

 婚礼の直前、突然、軍隊が国境線に鉄条網を張り巡らし、地雷を埋め込み、村人たちを激怒させる。結婚式は予定通り挙行、地雷を避けながら花嫁は新郎の待つ国境の向こうへと進む。地雷の脇を歩く一行、このスリルは場面を盛り上げる。しかし、先導役の所長は地雷の犠牲となる。人為的に作られた国境の愚かしさが問われる。又、ロシアとイスラム文化圏との違いが描かれ、作品の背景としての味付けが効き、地域性がカモ醸し出される。この味付けは「タハーン」も同じだ。




「シャングリラ」 中国・雲南の絶景

「シャングリラ」

 中国作品。タイトルのシャングリラとは桃源郷を指し、喪失と楽園を結びつける発想が面白い。
主人公の若い女性は、幼い息子を交通事故で失う。ひき逃げした夫婦は、取調べで容疑を否認。彼女は息子の死を引きずり悲しみにくれるが、夫は無関心。次第に孤立を深める彼女は、息子の部屋から一枚のメモを見出す。それは母子で、生前、一緒に遊んだ宝探しゲームの紙切れで、物語展開のヒントとなり、本筋へとつながる。一片のメモには山の絵が描かれ、それに導かれ、彼女は雲南のシャングリラへと旅立つ。

 シャングリラは同地、梅里雪山連山の総称で、絶景の地として知られるチベット仏教の聖山。そこで、彼女は若い青年と出会う。一見、偶然を装っているが、青年はひき逃げ夫婦の養子で、彼女の手助けのため、ずっと後を追う。2人は聖山へと向かい、到々、目的地に達する。チベット人との交流、息子の残した宝物、シャングリラをマ目のあたりにし、深い悲しみの感情が、青年の助力もありほぐれ始める。平板なネーミングをするなら「愛と悲しみのロードムービー」といったところか。雲南の絶景、中国映画ではしばしば登場する、圧倒的迫力を誇る背景だが、いささか見慣れた感があり、少々、素材にもたれかかりすぎ。




「キャプテン アブ・ライード」 優れた脚本の構想力

「キャプテン アブ・ライード」

 今作、既に昨年、川口市スキップ・シティ主催の「Dシネマ映画祭」で上映されている。選考に関しては腑に落ちないものを感じるが、もう一度見直しても、その内容の良さは変らない。今回の映画祭でも一番面白い作品だ。
このヨルダン作品、一言でいえば、含蓄に富む現代のお伽噺と言えよう。舞台はヨルダンの首都アンマン、主人公は妻を亡くし、一人暮らしの初老の空港清掃員。

 彼は街外れの高台のアパルトマンに住み、仕事を終えると、この屋根の上からはるか下の街並みを眺めながらのお茶が数少ない楽しみ。この彼、空港でパイロットの制帽を拾い、それを被って帰宅。目ざとい近所の子供たちは、彼が本物のパイロットと思い、好奇心丸出しで、外国の話をせがむ。最初は後ろめたさもあり、乗り気でなかったが、子供たちのたっての希望で世界の都市の話をし始める。読書家の彼、色々と書を漁り、ネタを揃える。未知の世界の話に聞き入る子供たちの中に一人だけ、彼のことを偽パイロットと言い触らす少年がいる。

 物語はここから膨らみ始める。そして、偶然に空港で言葉を交わした若い女性パイロットが花を添える。この美人の制服姿の格好良さといったら一見の価値あり。ただの美人パイロットで終らないところが話のミソ。清掃員を疑う少年は、父親による壮絶なDVの被害者であり、そのことを主人公は警察に通報するが、父親に警官が逆に丸め込まれる。そこで、彼は、自力で家族を避難させる行動に出る。その先が、裕福な女性パイロット宅で、彼女が一肌脱ぐ。
貧富の差、そして、異なる社会階層の接触が面白い。また、アラブ世界独特の助け合いの精神と侠気が心地良い。貧しさ、分相応な生き方、DV問題、子供の労働などの社会的視野が織り込まれる脚本の構想力は、相当に力がある。




総評

 今年の出品作品、総じて粒が小さく、国内のほかの映画祭と比べ、物足りなかった。
選考に携わった方々には申し訳ないが、もう少し何とかならぬかの思いが残る。映画祭自体、好不調の波が一年おきにあると言われ、来年を期待したい。





(文中敬称略)
  《了》
映像新聞2009年12月7日号掲載

中川洋吉・映画評論家