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「ヒーローショー」




「ヒーローショー」
 日本人監督の中では極めて真っ当な感性を持ち、観念の世界で戯れたり、意図的な映画文法からの逸脱を潔しとしない井筒監督の世界は、ハミ出した青春像と暴力を特徴とする。さらに、猥雑さとコミックな味わいもある。しかし今回は今までの作風とはかなり異なる。

駄目なお笑い芸人志望の若者(福徳秀介)は何をしても物にならない、気弱な性格の持主。

ある時、ヒーローショーのワンサボーイのアルバイト口を紹介されるところから物語りは始まる。このショーグループ内での女性の取り合いが起き、二派に別れ、暴力騒動が持ち上がる。助っ人(後藤淳平)までが加わり、ユスリ事件も絡み、血で血を洗う抗争となる。そして死傷者まで出す思わぬ展開へと発展、何とか揉み消しを図ろうと悪あがきをするが状況は悪化するばかり。救いのない暴力が繰り広げられる。以前の井筒作品であれば、青春の発露としての暴力であったが、今作ではその深化が著しい。

そこには敗者の生存証明のような狂気が宿る。たけし作品では暴力に瞬間性があり、無目的な性格があるが、今作は人が深い闇を這いずり回る暗さがある。この暗さ、映画作家は、夭逝した天才監督山中貞雄のように、行くところまで行かねば戻れぬところがあり、今作もそれと共通する。青春の発露としての暴力を追求すれば、監督、井筒和幸が避けて通れぬ闇が存在するのだ。その分だけ思考的に深い。
 見終わって心が洗われる作品ではなく、暴力の果ての絶望と無意味さが胸を衝く。暴力を否定するために敢えてそれを前面に押し出したと解釈できる。

134分。



 

中川洋吉・映画評論家