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カンヌ国際映画祭2011」(3)
日本から2本がコンペ選考
「一命」がコンペ唯一の3D

 日本からは、三池崇史監督の「一命」、河瀬直美監督の「朱花(はねず)の月」の2本がコンペ。ノン・コンペの「監督週間」部門に園子温監督の「恋の罪」、そして、「短篇」部門に田崎恵美監督の「ふたつのウーテル」が選考された。例年、零という年もあり、本年は選ばれた方であろう。しかし、結果は全て無冠に終った。だが、作品自体、全てが劣っているわけではない。

日本作品

三池監督と瑛太

  一躍注目を浴びた三池崇史監督
 日本からは2本がコンペ出場となった。そのうちの1本、河瀬作品が多分に大震災激励枠として考えられる。映画祭事務局も、日本の大惨事を目の当たりにし、復興応援のため1本のオマケを付けたようだ。この件に関し、事前に復興応援とはっきり述べている。  昨年のヴェネチア映画祭で「十三人の刺客」を出品した三池監督は、その勢いでカンヌへとうとうやって来た。彼は8年前に「監督週間」部門に「極道恐怖大劇場 午頭(ごず)」(03)を出品したが、コンペは初めてだ。

  「午頭」はVシネマとして製作され、ビデオ販売のみで一般上映はなかった。当時の三池監督、注文の仕事は全部受ける、スター俳優よりも忙しい異色な監督で、得意分野はヴァイオレンスであった。カンヌでも、剃った頭と色眼鏡姿で、その異様さにクロワゼット通りを行く人々が振り返るほどであった。「午頭」以降、いづれは、青山真治、諏訪敦彦、是枝裕和などの若手監督に代わり、カンヌのコンペに登場することは必然と思われた。やはり、前作「十三人の刺客」の出来の良さで一躍注目を浴びたものと考えられる。

「一命」

  「一命」は、1962年製作の小林正樹監督の名作「切腹」のリメイクである。脚本は橋本忍であったが、今回は滝口康彦の原作を山岸きくみが脚本を担当。前作の橋本脚本とは異なるテイストとなった。特に、武士道批判の強さが「一命」では顕著に現れた。構成のしっかりした橋本脚本、ガチガチといえるものだけに、これをもし、三池監督だったらどう埋めるかも考えるだけで興味深い。「切腹」と「一命」は同じ原作でも違う作品であり、その違いを楽しむことが大切である。

そして、「一命」のもう一つのセールスポイントはコンペ作品、唯一の3Dということだ。静がメイントーンである「一命」に、どのように3D効果を乗せるか。誰しもが興味を持つであろう。「アバター」的に石つぶてが眼前に飛び出さず、むしろ、従来の立体映画に近い3Dで、武家屋敷の構図を立体的に写し撮り、奥行きを出すことに成功している。活劇でなくとも、3Dは普通のフィクションでも通用することを三池監督は証明して見せた。


「朱花(はねず)の月」


「朱花(はねず)の月」
  脚本の弱さが出た河瀬直美作品
 河瀬直美監督の「朱花の月」は同監督お得意の万葉言葉を引用。朱花とは薄赤色の意。物語の舞台は奈良、一人の女性に2人の男性が絡むもの。脚本は河瀬監督のオリジナル、カメラも彼女が担当。一組の夫婦、突然、妻が恋人の存在を明かす。その事実に驚いた夫は自殺。一言でいえば、世間でよくある三角関係。女性のあっけらかんとした態度、黙って事態を受入れる男性。説明を省略する今様のシナリオ展開と言えば聞えは良い。しかし、人間同士の葛藤を映像化し、言語化する作業がすっぽり抜け落ちている。ここが、河瀬脚本の泣き処であり、脚本の締め上げ方が足りない。つまり、人物たちの人間像の描き込み、多層な会話がない。これは、彼女の脚本に言えることだが、常に、劇中人物が消えたり、亡くなったりと、物語が中途半端で終っている。つまり逃げである。また、映像的には奈良の緑濃い自然に寄りかかりすぎている。これは、カンヌ映画祭第50回(97)でカメラドール賞を受賞した「萌の朱雀」以来変ってない。各種の映画雑誌の星取表でも、最下位近くであり、評価は低かった。

  彼女のカンヌ出品の手法は、日本映画にとり示唆的である。「殯(もがり)の森」では海外セールスエージェント、「セルロイド」、今回はセルロイドの脱退組「メメント」が担当した。彼ら、フランス人は自己の映画人脈を駆使し、カンヌ出品を後押しする。
  日本作品がカンヌ出品を狙う上で、海外セールスエージェントを利用するケースは今後益々増えるであろう。


「恋の罪」


「恋の罪」

 絶大な園子温監督のカリスマ性
 園子温監督の「恋の罪」は「監督週間」部門の特別上映作品として上映された。夜9時30分からの開始、900人の会場は満員、開始早々からの盛大な拍手。ヴァイオレンスの三池崇史、エロシズムの園子温と、そのカリスマ性は絶大で、園監督のカリスマ性が光った。
  物語は1997年の、東電OL殺人事件から想を得たもので、それを園監督流解釈で独自の性世界が繰り広げられる。昼は東電の総合職社員、夜は渋谷円山町のコールガールの主人公は、ネパール人の客に殺された事件で、被告は一審無罪、二審は状況証拠のみで無期懲役、しかも、無罪後も拘留されるという、問題を孕む事件であった。しかし、園監督は女性の心の闇と性への欲望に焦点を定め、被害者の分身と思われる3人の女性の売春へと駆り立てた必然性を追っている。彼自身、今まで描くことが少なかった女性の側からの欲望を描くものと記者団に説明したが、内容的には男性側からの視線を感じさせるものであった。


東日本震災プロジェクト


  筆者はフランス空港での日本人に対する差別行為を心配したが、全くの杞憂に終った。カンヌでも、震災に関する質問に身構えたが、こちらが気抜けするほど何もなかった。そこには、フランスと日本の距離の遠さを感じさせた。
  この震災、メディアは大きく報じ、赤十字も「ガンバレ ニッポン」キャンペーンを展開した。この動きに対し河瀬直美監督は世界中の応援キャンペーンに応え、各国の監督たちに短篇を作ってもらい、60分程度の作品に仕上げるプロジェクトを発表。既に、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督、中国のジャ・ジャンクー監督、スペインのビクトル・エリセ監督が参加を表明、完成は9月予定、奈良を皮切りに東北を巡回し、その後、世界の映画祭を廻る予定。これは、第60回カンヌ映画祭での35人の世界的監督の手による短篇をまとめた「それぞれのシネマ」の震災版で、当分河瀬監督の海外活動は続きそうだ。


「アリラン」

キム・ギトク監督

 同じく、アジアの話題として、「或る視点」部門に韓国のキム・ギトク監督の「アリラン」が出品され、「或る視点」賞を獲得した。コンスタントに作品を発表している同監督、ここ数年、作品発表がない。その空白を自らがドキュメンタリーで撮り上げている。酷寒の山間の一軒家の中のテントで生活する彼の一日が写し出される。起床、自炊、仕事に明け暮れる様子が、極私的ドキュメンタリーの形をとり、彼の持つ人間的迫力が画面から滲み出ている。表彰式の彼、民族衣装に身を包み、突然「アリラン」を熱唱、万場の観衆の度肝を抜いた。


トリアー事件


「メランコリア」

 アジア関連の話題ではないが、一つだけ採り上げたい事件がある。デンマークのラース・フォン・トリアー監督作品「メランコリア」、公式上映後の記者会見で、同監督はナチス擁護の発言をし、映画祭評議委員会は彼への処分を直ちに発表した。これが、曖昧で、映画祭追放か、出品取消しかはっきりせず、結局、主演女優賞を獲得の同作の受賞式欠席で終 った。
  時を同じくして、国際通貨基金(IMF)専務理事で、フランス社会党の有力大統領候補のドミニク・ストロスカーンが、ニューヨークのホテルで女子従業員への暴行事件を起し、メディアは同事件一色となり、トリアー発言は途端に陰が薄くなり、女性暴行事件に救われた形。


キーワード

 今年のカンヌ映画祭では直接的な政治性を避け、人間の絆の再生を願うエモーション(感動)を前面に押し出す作品が目立った。キーワードはエモーションである。



(文中敬称略)
《了》
映像新聞2011年6月20日掲載号

中川洋吉・映画評論家