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「ムサン日記〜白い犬」

脱北者問題をテーマに描く
作品に観客を引き込む迫力

パク・ジョンボム監督
 (c) 2010 SECONDWIND

 韓国の新人監督パク・ジョンボム監督作品「ムサン日記〜白い犬」は、脱北者問題がメインテーマである。脱北者問題の実体は、新聞報道で知る範囲でしか把握出来ないのが現状であろう。同作で、その一端が垣間見え、隣国で現在起きていることが理解できる。
作品自体、非常に力強く、その迫力に見る者はぐいぐいと引き込まれる。また、韓国若手世代映画人の力量が十二分に発揮されている、見るべき作品だ。

脱北者モノ

 韓国映画界では、ここ数年、脱北者モノというジャンルが誕生している。明らかに世相の反映だ。例えば、韓国人権委員会が製作したオムニバス作品「もし、あなたなら2、5つの視線」の第5話「鐘路、冬」(06、キム・ドンファン監督)は良い一例であろう。
主人公は北朝鮮出身者ではなく、朝鮮系中国人出稼ぎ労働者であり、脱北者ではないが、韓国社会に居るべき場所を見付けられず、厳冬のソウルで凍死する、何とも救いがない物語である。
他に、「クロッシング」(08)がある。物語は、北朝鮮のかつてのサッカーの名選手が、病妻の薬を求めて脱北するハナシである。


垣間見る韓国社会の現況


 韓国社会では、脱北者は、初めこそ、祖国統一の英雄扱いでもてはやされた。しかし、今では、韓国社会では二級国民扱いで、就職を始めとして、多くの困難に直面している。勿論、韓国政府として、北の同胞を迎え入れ、3か月間の適応教育、そして、2年間の身辺安全のための保護期間を設けている(但し、この「身辺安全」は警察の担当となり、監視されているとする脱北者の意見もある。)脱北者対策、韓国政府の財政的負担は相当なものである筈で、しかも、脱北者が我々の職を奪うとするタカ派世論の台頭も懸念される。


イ・チャンドン監督が師


 彼は、兵役の時に見た、北野武監督の「花火」に触発され、映画を志す。最初は短篇から始め、それなりの評価を受けた。だが、彼にとり最大のチャンスは、イ・チャンドン監督の傑作、2010年カンヌ映画祭で脚本賞受賞作品「ポエトリー アグネスの詩」に助監督として就いたことだ。
チャンドン監督からは演出のハウ・ツーではなく、彼の作家的姿勢に感じるものがあった。プレス資料のインタヴューによれば、チャンドン監督の、常に何が真実かを問い続けることが芸術であり、ひいては、映画監督の仕事そのものであることを知る機会であった、と述べている。正に、師と弟子との良き出会いだ。



あらすじ


「ムサン日記〜白い犬」
 (c) 2010 SECONDWIND

 タイトルのムサンとは、北朝鮮と中国との国境の町。映画「クロッシング」の舞台でもある。脱北者の青年スンチョル(監督本人が主演)は今どき流行(はや)らないオカッパ頭の朴訥(ぼくとつ)な青年。友人と安アパートを借り、共同生活をする。同じ脱北者の友人は少才にたけ、何やら怪しげな商売に手を出している。それは、脱北者の同胞から現金を預かり、中国に居る叔父経由で、北朝鮮の家族への送金を手掛ける闇金融だ。小回りが利かずダサイ、スンチョルはポスター貼りのバイトで糊口(ここう)をしのぐ。実際、脱北者の身分証明証には、ナンバーが記載され、出身が直ぐわかり、雇用主は脱北者を敬遠しがちである。このような就職差別は顕著で、明らかな二級国民扱いだ。
ある時、スンチョルは捨てられた白い犬を拾い、自宅に連れ帰り飼い始める。相棒の友人はこの時、闇金融の仲介役の、中国の叔父が公安に逮捕され、現金は没収され、依頼人たちから返済を迫られ、姿を消す。些細なことで、この相棒は商売の失敗でスンチョルに八つ当たりし、挙句の果て、スンチョルが大事にしている白い犬を犬屋へ売り払おうとするが、雑種ということで売れず、街中(まちなか)に捨てる。仕事から戻ったスンチョルは、犬が居ないことに気づき、町中を捜し歩き、遂に、ゴミあさりをしている白い犬を見つけ出す。その頃、犬以外の、心の拠りどころは、毎週通う教会であった。
ここで彼は、聖歌隊の美しい女性に密かに憧れる。彼女は、父親が経営している風俗系カラオケ店の手伝いをしている。仕事が遅いスンチョルは、ポスター貼りのバイトをクビになり、途方に暮れていたところを、女性の厚意でカラオケ店の雑用係として雇われる。スンチョル自身は歯がゆいほどの受け身の人間で、近所の与太者の暴力にも何一つ抵抗しないくらい大人しい。それには、北朝鮮で飢えのために暴力を振るい、殺人を犯した贖罪(しょくざい)意識から来るものであった。運の悪いスンチョルに、カラオケ店の女性の厚意で仕事を得、教会では皆に親切にされ、やっと運が向いてきた。しかし、その矢先、依頼者に追われる相棒の巻き添えを食らい、更に、愛する白い犬を交通事故で失う。この一件で再び、彼も以前の不幸な状態に陥り、今日も、二級国民として生きるより術(すべ)はなかった。


製作の動機

 主人公には実際のモデルがいる。スンチョルの兄とパク・ジョンボム監督は大学の同期生であった。その縁で、弟と知り合い、2人は親友となった。兄も脱北者であり、後に、母と弟を韓国に呼び寄せた。これは、プレス資料、監督インタヴューからの引用であるが、呼び寄せること自体、大きな困難が伴うことは映画「クロッシング」でもわかるとおりで、そこのところの細かい経緯は語られていない。気の合った2人は7年間共同生活をし、まるで兄弟のようだったと監督は述懐している。しかし、親友は30歳の時に胃ガンで他界し、このことが本作製作の大きな動機となっている。現在、韓国では約2万人の脱北者が生活しているとされているが、その実体を知る人は少ない。本作で、脱北者の日常を始めて知った人々も多いという。二級国民として生きざるを得ない社会の差別に正面から向き合う、脚本、監督のジョンボムの意志がはっきり示されている。この意志により、監督自身の個人的体験がより膨らみ、普遍的な社会性へとつながる。

白い犬

 主人公、スンチョルが愛情を注ぐ白い犬は、韓国のチンド(珍鳥)犬と北朝鮮のプンサン(豊山)犬の雑種で、柴犬を白くした様(さま)は誠に愛くるしく、作品の中でも非常に強い印象を与える。この犬の存在は、主人公の追い求める理想の象徴であり、純粋で明るい、監督の亡き友の分身であると考えられる。実際、この犬が、暗いストーリーの中での唯一の光明であり、犬の死は脱北者、スンチョルの総てを奪い去る。これこそが脱北者の苦しい境遇のメタファー(暗喩)であろう。


中国の政策と現状

 ここで触れねばならぬことは、脱北者に関する北朝鮮と中国との関係だ。脱北者はタイトルのムサンから豆満江(川)を渡り、中国に入り、そこから韓国入りする。現在は、2万人くらいとされているが、将来的には、ベルリンの壁の崩壊のような事態も想像される。しかし、現状は中国次第の一面があり、南北統一について語ることは難しい。
中国政府は今まで国内の脱北者を北朝鮮政府の要請で送り返す政策を取ってきた。しかし、4月24日、東京新聞朝刊の報道によれば、中国は北朝鮮への送還を、4月上旬から停止しているとのこと。これは人工衛星(ミサイル)発射に対する中国の不快感の表明とも言われるが、北朝鮮への送還の今後は一時停止か再開かは、現在のところはっきりしないと伝えている。原則的には脱北者は送還されるが、韓国へ辿りついた脱北者は、前述のように、死の覚悟で国境を越えていることは容易に想像できる。


新人監督の力量

 監督のパク・ジョンボムは今年38歳の新人である。「ムサン日記〜白い犬」を見て痛感するのは、彼の持つ力(りき)である。身体を張って撮っており、韓国人の持つパワー、エネルギーの強さは全開、それが作品に反映されている。それに引き替え、我が国の若手作品はひ弱さが身立ち、視点が甘く、更に、自分の足許を直視してないところがある。
東京フィルメックス2011で審査員特別賞を始め、世界各国の数々の映画祭での受賞は当然と思われる。但し、賞を獲った作品だから良い作品とは限らないが、「ムサン日記〜白い犬」は賞に値する。筆者の持論だが、映画とは作り手の強い意志を抜きにしては語れない。





(文中敬称略)

5月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー


《了》


映像新聞2012年5月14日掲載号より

中川洋吉・映画評論家