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映画「ジョルダーニ家の人々」
一家族の崩壊と蘇生を描く

 イタリア・フランス合作映画「ジョルダーニ家の人々」(以下、『ジョルダーニ家』)は、時代と人間の描き方が濃密であり、そのパワーに圧倒される。物語の芯は、一家族の崩壊と蘇生である。6時間強の大作「輝ける青春」(03)(マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督)を縦の編年体仕立て作品とすれば、「ジョルダーニ家の人々」(以下「ジョルダーニ家」)は横から見た現代の家族史であり、どちらも家族の強い絆の離れ難さを描いている。現代が直面する問題が画面背後から感じられる。


6時間39分の大河ドラマ

 6時間強の大作の本作、前述の「輝ける青春」と同様、家族をテーマとする4部作から成り、元はテレビ作品である。監督は今年46歳、既に何本も監督作品があり、さらに、テレビドラマも手懸ける中堅実力派だ。脚本は「輝ける青春」のサンドロ・ペトラリアとステファノ・ルッリと、イタリアを代表する書き手によっている。演じる俳優も、日本で良く知られる人たちではないが並々ならぬ、存在感を見せている。俳優たちのアンサンブルも「ジョルダーニ家」の見処だ。

多彩な登場人物


母、長女、シャーバ

 脚本家のペトラリアによれば、「輝ける青春」では60年代から80年代までを背景とした自分たちの世代の物語で、その後の、現在20代から35歳の息子世代を中心とした現代の話である。
大河ドラマだけに登場人物は多彩である。中心は、ジョルダーニ家の男2人、女1人、3人兄弟である。その彼ら一人一人に別の人物像が絡む構成となっている。そして、脚本は、例えるならば、一つの箱であり、その中身が急に空になり、紆余曲折を経て、もう一度満たされる手法をとっている。その箱こそ、家なのだ。つまり、人が住んでこそ離散した家族が蘇生すると作品は説き、「家」こそ「ジョルダーニ家」の重要なモチーフとなっている。


母の入院

母と息子たち

 ジョルダーニ一家は、ローマに居を構える裕福な一家。父は温厚なエンジニア、女医の母は3人目の子供の出産を機に専業主婦となり、子供たちを慈しみながら育てる。彼女は家庭を明るく照らす存在で、この役を実にうまく演じている。長男は外務省勤務で、仕事柄旅行がち、長女は心理カウンセラーで、結婚し独立。二男は建築家の大学生で、卒業間近。その彼は、直情径行な性格で、父の浮気が許せず、家庭内でも反抗的な態度で家族と接する。しかし、絵に画いたような、幸せな一家であることは間違いない。ある時、高校生の三男が交通事故で亡くなり、この不幸な事件を機に一家の離散が始まる。母は溺愛した三男の死にショックを受け、ガス自殺未遂を図り、その後自ら入院する。母の入院と浮気を清算する形で、父はプラント建設のためローマを離れイラクへ、二男は下宿し、大きなアパルトマンは無人の館となる。


物語の主人公

母と二男

 脚本では二男を主人公と設定し、彼中心に物語が進む。優秀な成績で卒業するが、建築現場労働者となり、周囲を呆れさせる。彼には同じ建築科の後輩に当る幼友達のガールフレンドがおり、恋人未満、友達以上の間柄だが、何事にも積極的に動かない彼は煮え切らないが、天真爛漫な彼女はめげない。特に、2人で出かける時は彼女が運転するスクーターの後ろに彼がいつも乗るシーンが、2人の関係を現している。彼は、主任教授夫人に恋し、彼女が妊娠するに至る。この教授夫人は、近頃稀に見る美人女優だ。


兄と姉

長男とシャーバ

 兄は不法移民取締り担当で、この現場に弟を一度誘う。不法難民の逮捕の際、1人だけ逃げおせたイラク人女性シャーバを、二男は不本意ながら空家に匿うことになる。後に、その彼女が物語の中で重要な役割を果たす。このように、人物の出し入れが上手く、小さなエピソードを積み重ね、見る者を作品の中にぐいぐいと引き込む。
物語では家族の蘇生が重要なテーマとなるが、実際には、家族以外の登場人物にも力点が置かれ、不法移民女性シャーバはその中でも一際光る存在である。夫を失った彼女は、娘が家出をしたことから、国外脱出を試みる。娘の消息を僅かな手懸りを基に、二男の手を借り探し回る。ここで、新しい枝葉が用意され、物語自体が膨らむ。二男は長男と相談し、移民取締り担当の警察官を紹介され、彼の調査により、娘の居どころが判明する。娘は郊外で風俗嬢となり、客を取り、自分の姿を絶対に母親に見られたくないと、再会を拒否する。国外に脱出した若い女性が、結局はマフィアに絡めとられ、風俗嬢となる話はヨーロッパでは珍しくなく、本作でも採り上げられている。警察の狙いは取締りではなく、背後のマフィアであり、彼女の証言を期待してのことだった。最初は、拒否の彼女は、同業の友人がマフィアにより殺され、警察の依頼を最終的に引き受ける。物語は更に発展し、母娘の再会、空いたアパルトマンへ娘が加わり、証人になることを条件として、待望の滞在許可証を入手、そして、担当の警官との恋と、枝葉が拡がる。この話の運びの上手さには、人を惹き込む磁力がある。

教授夫人

深い仲の二男と教授夫人、彼女は夫と幼い娘を捨てることを逡巡し、二男を悩ます。最終的には、夫人は自発的に子供を堕ろし、2人の仲は終わる。そして、彼は建築家としてコンクールに専念する。
シャーバと並ぶ重要な枝葉は、長男の物語である。彼は同性愛者で、相手はローマ在のフランス人、新しいカップルの誕生だ。現実のヨーロッパでは事実婚、同性愛カップルは増加しており、話の設定として無理がない。フランス人は不治の病に冒され、醜い姿を見せまいと、シャーバだけに話し、密かに入院し、周囲から消える。更に、ある時、薬物中毒の女性が幼女をこのフランス人の許へ置いて去る。この幼女はフランス人と置き去りにした女性との間の娘だ。その幼女をシャーバと、今は母親と同居する娘が、大きなアパルトマンで面倒を見る。ここで、シャーバの存在が一段と重みを増す。
移民と売春、同性愛問題の間に二男と美女との恋の顛末を挟み込む、枝葉の伸ばし方は、芝居掛かり過ぎの展開だが、実にこなれている。ダレがないのだ。
他に、長女の離婚、最終的に、母の帰宅と、空の家が再び人で満たされ、家族の蘇生へと物語は収斂する。



伝統的リアリズム

 イタリア映画の特徴の一つに、リアリズムの伝統がある。世界的に見て、永い間、リアリズムを敬遠する傾向が続いた。これは邦画にも同様なことが言える。第2次世界大戦直後のイタリアでは、戦後の荒廃した社会に密着したネオ・リアリズモ運動が勢いを持った。その伝統が、最近、またよみがえる傾向が見られ、「輝ける青春」、「ジョルダーニ家」にも色濃く現われている。特に、作品の持つ現実感は、伝統に乗っ取ったものと言え。


現実の取り込み

 作品の現実感を支えるものとして、同作は、既述の移民、同性愛に加え、イラク問題、マフィア対策が取り込まれ、作品展開上の重要な要素としている。


俳優の上手さとレベルの高さ

 特筆すべきは俳優の演技レベルの高さだ。父親を演じる俳優の、総てを自己の中に押し込み、自身の弱さを認める役作り、単に温厚な人物設定を超える深さがある。一例を挙げるなら、ラストの空港での兄弟との別れ、血のつながりの再確認と意志の疎通の回復が伝わり、深い感動を呼ぶシーンがある。若い俳優も、「あつい」物語を自然体で演じ、力みを感じさせない。俳優の演技に関しては、演出のしっかりした方向性が貫かれている。
イタリア映画の実力を遺憾なく発揮した、見るべき一作だ。




(文中敬称略)


《了》


7月21日から9月14日まで岩波ホールで上映中。1日1回上映、終映は21時15分。

映像新聞2012年8月6日掲載号より

中川洋吉・映画評論家