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小林政広監督「日本の悲劇」が公開
日本の格差社会問題に迫る
出口が見えない弱者の生き方

 自らの企画を脚本化し、製作する自己完結型の映画作家、小林政広監督の新作「日本の悲劇」が8月下旬から公開される。本作、木下恵介監督の社会派の傑作「日本の悲劇」(53)とは何の関係もない。木下作品は「戦後日本の貧しい時期に生きる母と息子」、小林作品は「現代の父と息子」と、テーマも登場人物の設定も異なる。小林作品は見るからに低額予算であることが分かる。この新作も仕舞(しもた)屋のロケセットである。金をかけないから貧相な画面ではなく、身の丈に合わせ、頭を使う映画作りだ。

 
小林政広監督の作品は今作で14作目となり、息の長い映画製作が続けられている。お金が無いから映画が撮れないのではなく、都合の付く分だけで撮るという形である。筆者の小林政広体験は、2001年のカンヌ映画祭の時であった。彼は監督週間に「歩く人」を出品、同じく、前年カンヌでの「ある視点」部門に「殺し」を出品し、強い印象を受けた。翌年の「歩く人」について話を聞きたくインタヴューを申し込んだところ、郊外の宿から、カンヌ市内の私の安宿にやって来たのには大変驚いた。その際、製作費について尋ねたところ「あまりに低額作品で、配給会社から安く買い叩かれる恐れがあるので、本当の数字はご勘弁を」とのことだった。ここで、彼の製作方針『あるだけで撮る』を理解した。


カンヌ映画祭に4回出品

 彼は、日本のメディアでは、アウトサイダー的存在であり、異能のアート系作家として認知されているフシがある。しかし、小林作品は前述の「殺し」、「歩く人」以外に「海賊版 BOOTLEG FILM (99)(ある視点)、「バッシング」(05)(コンペ部門)と、カンヌ出品歴4回を誇っている。特に本選部門はコンペ部門を含めて3回選考されている。選ばれることが難しいカンヌ映画祭で、これほど回を重ねることは特筆すべきことである。筆者の推測だが、ジル・ジャコブカンヌ映画祭会長が、彼のスタイリッシュな作風を買ったのではなかろうか。



小林政広監督について


小林政広監督
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

 彼は今年59歳、第一回作品は1996年の「CLOSING TIME クロージング・タイム」であり、監督歴は長い。カンヌ映画祭歴は確たる実績があるが、大手商業資本からは声が掛からず、自ら独立プロを立ち上げ製作を続けている。彼自身、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの信奉者であり、フランソワ・トリュフォー監督に弟子入りを希望したが同監督の死去により、希望は実現しなかった経緯がある。彼のスタイリッシュな映像作りは、明らかにヌーヴェル・ヴァーグの影響が見られる。本作「日本の悲劇」は社会的問題を扱っているが、小林監督自身が「私はむしろ保守的な人間」と語り、社会性を帯びたテーマを扱い始めたのは「バッシング」(05)からである。この作品、日本人女性がイラクで拉致に会い、日本中が彼女の自己責任を問いバッシングが沸き起こった事件を背景としている。


老齢社会と格差問題



「日本の悲劇」
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS
 「日本の悲劇」の冒頭は老人(仲代達矢)と息子(北村一輝)が外出から戻るところから始まる。そのシーン、カメラ据え放しにロングで、映像へのこだわりが感じられる。病院からの帰りであり、老父が強引に退院してきたのだった。老父は頑固で、すべて、いつも通りでなくては気が済まない。
  その父にうんざりしながらも、中年の息子は世話を焼くが、気乗り薄の様子だ。母が逝き、男2人の世帯、一軒家であるが、何処かわびしい和風のごく普通の仕舞屋が作品の舞台で、これが定額予算、小林作品の一杯のセットである。翌日、老父は部屋に閉じこもり、戸を釘付けにし、接触を拒否し、食事もとらない。父は籠城し、坐して死を待つ決心をしたのだ。戸越しに息子が必死で老父を説得するが、彼の意は伝わらない。この2人の芝居、会話で物語が進行し、観る側は、2人の間に起きたことが分かり始める。母が亡くなり、父が病気で入院し、息子は看護のため会社を辞め、妻子に去られ、生活は老父の年金を頼りに暮らす一家の様子が、時に会話で、時に映像で語られる。




現代の問題


 本作は、新聞の社会面でも大きく採り上げられた、高齢者所在不明事件と、そこから派生した年金不正受給事件から想を得ている。具体的には、父親の年金で暮らす女性が、父の死を隠し、年金を受給した事件である。このような事例は、日本の現代社会の一面であり、ここからタイトル「日本の悲劇」が導き出されている。



家族の崩壊


 

 非正規雇用、失業、老齢、自殺と、家族崩壊の因子は徐々に多くの人々に迫り来る。この危機に対し、最大の解決法は、政治の力であることは自明の理であるが、政治がこれらの家族の崩壊に対し目を向けないのが現状であろう。富の配分も、富者が優先し、貧者はそのオコボレを施され、矛盾の矛先は常に貧しい人々へ向けられている。本作の老父は末期ガン、息子は失業と希望のない状況が設定されている。この設定は、日本の閉塞社会を撃つ上で説得力がある。希望がなく、出口が見えない人々の生き方が具体的に写し出される。

 老齢化が進む格差社会の実景が目の前に差し出され、その現状を改めて認識することを「日本の悲劇」は促(うなが)している。自死する老父については色々な見方が出来るが、想定された死(末期ガン)を待つ老父は早く亡妻の許へ行くことを願い、その上、「俺に構うな、お前は生きろ」とのメッセージを息子へ送っているとの解釈が可能だ。この父子の断絶の底流には、絶望の深さと諦念が横たわっている。作り手の小林監督の提起する問題意識は、的を射ている。





仲代達矢の芝居  死を待つ老父を仲代達矢が力演


仲代達矢
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

 老父を演じる仲代達矢は前作「春との旅」(10)と同様、力演である。内なる怒りをぶつける強い人間像を作り上げ、仲代スタイル全開である。一つ気になる点は、仲代調である台詞廻しのゆっくりさである。遅い仲代と激しく感情をぶつける北村との噛みあいが個人的に気になる。この仲代調台詞廻しは変えようがない筈で、無い物ねだりかも知れない。

小林監督の視線


 

 格差社会のしわ寄せを一身に受ける普通の人々が仲代、北村の父子であるが、小林監督の視線は社会的弱者に向けられている。この立ち位置は小林作品に取り非常に重要であり、例えば、「バッシング」での被害女性(占部房子)の場合も同様であった。
定額予算の小林作品ではあるが、大物役者には恵まれている。今回の仲代達矢、「殺し」の緒形拳など、また、北村一輝の抜擢も非常に効果的だ。元来、彼は男っぽい役柄を得意とする、力量のある個性的な役者である。本作では少しばかりアゲタ(テンションの高い)芝居であったが、悪くない。今後、益々伸びる素材である。
 女優は、かつての幸福な息子の家庭の回想シーンで、妻役で寺島しのぶが登場するが、特別出演的な顔出しで、小林監督の強い出演要望であったのかも知れない。

作り手の強い社会的認識が前面に押し出され、その上、シナリオの構成も緻密であり、観るべき作品である。





(文中敬称略)


《了》

8月31日より、ユーロスペース、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

映像新聞2013年8月26日掲載号より



中川洋吉・映画評論家