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注目すべき独立プロ映画(2)」 
作り手の意欲伝わる3作品

 本紙9月16日号掲載「注目すべき独立プロ作品」に続き、独立プロの意欲作を3本、続篇として紹介する。震災に関する30分の短篇も採り上げる。独立プロの製作状況は決して良くないのが現状であるが、その困難を乗り越えて製作された作品の良さの一端を読者の方々へお伝えしたい。


パワーと真当さ 女性労働者の生きる姿 韓国女性監督が描く真実

「レッドマリア」

 韓国の女性監督キョンスン監督作品「レッドマリア それでも女は生きていく」は日本、韓国、フィリピンと、それぞれの場所で生きるレッドマリアたちを描くドキュメンタリーである。
テクニック面では、かなり粗削りな作りであるが、描かれる内容の強さ、撮る側の意識の高さに見るべきものがある。日本人監督にはない粗々しいパワーは見ものだ。その上、韓国映画の背骨を感じさせる芯の通った強さは、注目せねばならない。
撮影はフィリピンに関する部分が多い。描かれるのは、フィリピンから韓国へ結婚移住し、10年振りに帰郷した女性、50年過ぎた今、戦時の日本兵による性的暴力をやっと語れる女性、16歳にして子供を産んだ性労働者、東京では、都会の真中でテント生活するホームレスの若い女性、大阪ではパナソニックの派遣の雇い止めに反対し、裁判で勝訴する女性、韓国でも人間の権利の戦いで1895日に亘る長期座り込みの末、復職した女性の困難や闘いがカメラにより綴られる。
人間性の尊重、人間の権利の獲得のために、自らの身を削る女性たちの姿が次々と目の前に写し出される。特に、都会の真中でキャンプ生活する日本人女性は、会社という社会の枠外に身を置き、労働を拒否し、不便を甘受し生きる毎日。時に、綿の生理用ナプキンを作り、時に、ホームレスのために食事を提供する生活、驚きである。抵抗する術もなく暴力に押し潰される女性、社会の正義を求め、止むなく闘う女性、社会の在り方に異を唱えドロップアウトする女性と多様なケースが描かれる。
キョンスン監督は彼女たちの「腹」のシワと傷を通じて、生き様を見せている。「レッドマリア」は女性が女性に焦点を当てた作品であり、彼女たちを困難に陥れた背後の男性の姿を感じさせる。明確で強い主張を打ち出す本作、是非とも、現実の世界を知る意味で若い人々に見て欲しい。





震災への向き合い方 生きる希望を見出す 被災地を舞台にした短篇


「んで、全部、海さ流した」(c)2013VIPO.

 3・11の大震災後、多くの震災モノといわれるジャンルの作品が製作された。フィクションでは「遺体」(13)(君塚良一監督)、ドキュメンタリーでは「先祖になる」(13)(池谷薫監督)が代表例である。
それらの長篇作品とは異なる興味深い30分の短篇が現れた。
今年33歳の石巻出身、庄司輝秋監督の長篇第1作「んで、全部、海さ流した」は、震災に向き合う描き方にユニークな視点を感じさせる1作だ。
舞台は津波で大きな被害を受けた石巻市、登場人物は無職の突っ張り少女、彼女は嘘つきと周囲から疎まれている。他にデブの小学生。彼は周囲から浮いた存在で、友達がいない。そして、彼女に絡むのが、援助交際の相手で地元のサラリーマンの青年である。この3人が物語を引張る。
少女と小学生は、互いに浮いた存在であり、気が合い、小学生は、彼女の子分のような役割。閑散として人気のない町、丸で、世の中に2人しかいないような光景、これも震災後の気分であろうか。この2人、少女の嘘に乗せられ、海辺へ。そこに、元の援助交際の青年が現れる。話はたったこれだけ。しかし、見せてしまう。ここには監督の才気が感じられる。庄司監督が述べるように、2人組の「何とか生きる希望をどう見出すか」が作品のメインテーマである。騒いだり、悩んだりせず、あるがままの現在を受け入れざるを得ない状況が、重くもなく、さりとて、軽くもなくのしかかっている。現代の若者の感性、そのもののようだ。ここがユニークなのだ。一寸長い短篇だが、上手くまとめ、時代の気分をすくい上げている。製作方法は、映画助成の視点から、注目すべきだ。若手映画作家育成を目指す文化庁委託事業に「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」が2006年から発足した。そして、本作がこのプロジェクトの第1回劇場公開作品であり、新しい映画鑑賞を目指し、1コイン・500円(前売券)と価格が設定されている。世界一高い、日本映画の高料金是正対策の一環としての製作であろうが、短篇1本の鑑賞のために500円(当日券は700円)払う観客はいるのだろうか。関係者への前売券押付けがなければ良いが。



理想の時代劇 密度の濃い正統時代劇 強固に構築された枠組み



「蠢動」
 「蠢動−しゅんどう−」は極めてオーソドックスな時代劇であり、逆説的には、正統ゆえに、異端でもある。
あらすじは、ある山陰の藩の存亡を描くものである。当時の藩は、幕府の締め付けがきつく、諸藩はそれを如何にかわすかに腐心していた状況にあった。幕府から送り込まれた剣術指南役が藩の内情を調べ上げ、江戸へ報告した。常に、藩の取り潰しを狙う幕府は、使者を差し向ける。それに対し、藩を守るために考え出されたのが剣術指南役の暗殺であった。藩としては、無実の若い武士を犯人と見立て、討伐隊を組織して彼を追う。ここには、藩としての正義、武士としての正義、そして、人間としての正義が絡み合う。三上監督は、命じる立場、従う立場、その狭間の立場と、多様に重なり合う立場を意図的に押し出している。興味深い視点である。
藩の重臣、家臣の侍たち、幕府の使者などの役者は重みがあり、腰の据わっている感じが様(さま)になり、後半のチャンバラは、久々の本格的立ち廻りだ。時代劇として、良く目が行き届き、三上監督の狙いは成功している。
この作品を作り上げた監督三上康雄を採り上げねばならない。製作・脚本・編集、そして、演出を1人でこなす。
今年55歳の彼は、大阪出身で、既に高校時代に自主映画(当時は8ミリ)を製作した映画少年であった。その後、24歳の時、最新作「蠢動−しゅんどう−」のオリジナル版ともいうべき、16ミリ時代劇「蠢動」を製作・監督する。その後の人生がユニークなのだ。家業の建築資材メーカーを継ぎ、映画界を離れる。創業100年を期に会社を売却し、映画製作に本格的に乗り出す。彼のモットーは「自分の観たい映画を創る」であり、それは夢の実現であった。
「蠢動」がユニークなところは、最初に全体像をきっちりと極め、そして、内容を構成するところにある。
構成は前半は静、後半は動とし、時代劇の醍醐味である「走る」、「斬る」が盛り込まれている。そして、その構図を脚本に落し込んでいる。これだけ枠組を強固に構築すれば、決められた空間に多くの思いを演出的に埋め込むことは可能となる。この点が本作の密度の濃さ、力感へとつながる。
以上のように多様な独立プロの製作作品が今秋登場した。大資本傘下作品と違い、明らかにマイナーであるが、作り手の意欲が見る者へズンズンと伝わる。これは映画に触れる楽しみだ。




(文中敬称略)


《了》


上映日程

●「レッドマリア それでも女は生きていく」
10下旬よりシアター・イメージフォーラムにて モーニング&レイトショー
●「んで、全部、海さ流した」
11月2日(土)より渋谷・ユーロスペースにて ロードショー他 全国順次公開
●「蠢動−しゅんどう−」
10月19日(土)、東京・有楽町スバル座、大阪・TOHOシネマズなんば 他全国ロードショー


映像新聞2013年10月14日掲載号より転載





中川洋吉・映画評論家