
「FIPA 2014」報告A
NHK「涙の書」が選出
日本作品から唯一のノミネート |
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今年の日本からの応募作で、最終的に本選にノミネートされたのは、NHKの「涙の書」(河口眞朱美プロデューサー)であった。部門は、音楽・スペクタクルであり、上映会には関係者、一般観客を含め、多くの観客の参加があった。上映後には一般観客に取り囲まれ、質問や賛辞を受ける一幕もあり、上映会は成功裏に終わった。他に、フィパ2014の統計も出揃い、併せて紹介する。
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「涙の書」
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今年の同部門は、著名な音楽家に焦点を当てた作品の質が非常に高かった。その中の1本がNHKからの「涙の書」である。
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河口眞朱美プロデューサ
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このドキュメンタリーの主人公は、中国の著名作曲家で、米国でも良く知られるタン・デュンである。この彼がNHKから作曲の依頼を受け、その過程を密着取材している。現代音楽の作曲家である彼の作品は、非常にユニークな音楽観に基づいている。それはオーケストラ・ドキュメンタリーと呼ばれるもので、オーケストラの進行に合わせ、映像を上映するものである。音を聴き取る聴覚に、映像を見取る視覚を組み込むことで独自のスタイルを作り上げている。
作品全体、13章から成る巨大なものであり、中国に古くから使われる書体ニュ・シュ(女書)を追う形となっている。女書といわれるように、一千年前に女性だけが使ったとされるニュ・シュを作品のバックとしている。現在は使われていない書体を求め、作曲家タン・デュンは、中国の奥地、ユアンに足を伸ばしての取材で、地元の人々から色々と聞く彼をカメラが追っている。この映像がオーケストラ曲と同時に写し出され、音の世界が視覚とあいまって、より拡大され、迫力をもって展開される。
タン・デュンの音楽自体、現代音楽であり、且つ、壮大なものであり、それが同時進行的に映像と絡み、未知の体験域へ誘われる感覚を覚える。
今作の構成は、中国現地でのロケ、取材過程、そして、NHK交響楽団による東京での初演とつながる。ビアリッツ入りした河口プロデューサーは、審査員を前にした上映会では、英語の舞台挨拶で自作を紹介、作品の意図を伝えた。タン・デュンという中国人作曲家の素材の良さ、映像撮影のための国内ロケに見られる音楽以外の要素が、作品に多様性をもたらせたこと、そして、ラストの初演と物語の集大成、まとまりがあり、しかも、音楽自体も大変楽しめた。NHKらしい、手堅い力作であり、筆者にとり、同部門では一番の出来と思える作品であった。しかし、結果は英国作品「自身が語るコリン・デーヴィス」がフィパ金賞を獲得、「涙の書」にとり残念な結果であった。英国作品は、昨2013年に亡くなった英国の著名指揮者が自ら語る音楽観や哲学を、生前のインタヴューを中心に構成され、密度のある作品であった。語りの膨らみや起伏感は「涙の書」の方に分があると筆者は見た。しかし、賞というものは、審査員の好み以外、何物でもないことを改めて思い知らされた。
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「ユン・イサンと南北朝鮮」
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今年は、同部門の質が高いことは先述したが、その中で、ドイツの女性作家による「ユン・イサンと南北朝鮮」は大変意欲的な作品であった。
主人公のユン・イサンはベルリン在住の、国際的に知られる韓国人作曲家で、メディア的に彼の名を知らしめたのは、1967年の東ベルリン事件である。当時ベルリン在住の彼は、韓国の諜報機関(KCIA)に拉致されソウルに送還された。金日成とも親交の深かったユンは、反共独裁軍事政権(朴正煕政権)の標的となり、死刑判決を受けた。この逮捕劇に対し、指揮者のカラヤンを始めとする音楽家たちの釈放請願運動、そして、西ドイツ政府の原状復帰要請により、半年後に釈放された。1971年には西ドイツに帰化し、その後韓国へは戻らなかった。KCIAは1973年に東京滞在中の韓国民主化の闘士、金大中を拉致したが、日本政府は原状復帰を韓国政府に求めず、真相に蓋をしたままであった。西独、日本政府の人道意識の違いが明瞭に出た両拉致事件だった。今作ではピョンヤンに於けるベルリン・フィルの演奏会を作品のハイライトとする構成で、敵対する韓国、北朝鮮から受け入れられた、韓国で唯一国際的に知られた大作曲家ユン・イサンの足跡を追っている。力作だ。ドイツ人の女性ディレクターのマリア・ストットマイヤーは既にフィパで「エル・システマ」(09)を発表している。エル・システマとは、1975年南米ベネズエラで始められた青少年向けの音楽教育社会運動であり、子供たちの大半は貧困層出身。音楽と社会についての考察が「ユン・イサン」でも成され、改めてマリア・ストットマイヤーの視点の高さが再認識させられた。
ピエール=アンリ・ドゥロ元総代表から代変わりした現在のフィパは、作品選考に関して、違いを見せている。以前は社会的主張を持つ作品が多かったが、現フランソワ・ソヴァニャルグ総代表路線は、社会性よりもグローバルな視点からの選考に重点を置いている印象を受けた。移民、失業、民族、アフリカやバルカン諸国問題などが減り、普遍的テーマが増えている。このことは、不況にあえぐヨーロッパ諸国が、いわゆる不況疲れで明るさを求め、暗い話題を忌避する心情に通じるものがあると考えられる。
総出品数は2014本。部門別出品数:フィクションは172本、シリーズは86本、ドキュメンタリーは623本、ルポルタージュは84本、音楽・スペクタクルは94本、スマート・フィップ(スマートフォン映像)は43本で、ドキュメンタリー部門が最大の応募数を見せている。部門別選考数:フィクションは12本、シリーズは10本、ドキュメンタリーは12本、ルポルタージュは12本、音楽・スペクタクルは11本、スマート・フィップは8本で、全体で65本が本選にノミネートされた。2014本中65本が選考された。地域別ノミネート数:ヨーロッパは72本、北アメリカは9本、ラテンアメリカは8本、ロシア&アジアは3本、豪州は6本であり、日本作品は1本と大変厳しい選考であった。
1) 「涙の書」(NHK)
2)「市民が見つめたシリアの1年」(NHK)
3)「ラジオ」(ドラマ)(NHK)
4)「ただいま母さん」(ドラマ)(NHK)
5)「足元の小宇宙」(NHK)
6)「終の住処はどこに 老人漂流社会」(NHK)
7)「7年ごとの記録 28歳になりました」(NHK)
8)「世界遺産 山本作兵衛からのメッセージ」(RKB 毎日放送)
9)「伝えられなかった戦争〜コタ・バル12月8日の真実〜」(RKB 毎日放送)
10)「島に生きる〜小呂島 たった1人の小学生〜」(KBC 九州朝日放送)
11)「笑って、生きて、寄り添って」(KRY 山口放送)
12)「人工ボディ」(YTV 読売テレビ放送)
13)「青春ラプソディ バンカラ高校応援団」(SBS 静岡放送)
以上、NHKから7本、民間テレビから6本の応募があり、選考は「涙の書」1本のみであった。
(文中敬称略)
《了》
映像新聞2014年2月24日掲載号より
中川洋吉・映画評論家
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