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韓国のドキュメンタリー「渚のふたり」
障害者夫婦の日常を追う

 韓国のドキュメンタリー「渚のふたり」は、一見、青春歌謡映画もどきのタイトルである。しかし、内容は、障害者のコミュニケーションをテーマとする、ヒューマン・ドキュメンタリーで、人間を見る目の鋭さ、温かさがある。韓国映画界の若手世代には力(ちから)のある人材が揃っているが、本作もそのうちの気鋭の若手の1本である。

心温まる指先での会話

「渚のふたり」

 冒頭シーンは一寸異様だ。背が高くひょろっとした青年ヨンチャンと、小人のような女性スンホの凸凹カップルが先ず目に入る。ヨンチャンは、幼い頃視力と聴力を失い、ソンホは、やはり幼児期の脊椎障害によるクル病罹災者のような体躯と、障害者カップルである。このドキュメンタリーの撮影時、彼は38歳、彼女は46歳であった。
  今年42歳の監督、イ・スンジュンはドキュメンタリー作家で、08年に科学ドキュメンタリーの仕事で、人間の手や指についてリサーチし、その過程でヨンチャン、スンホ夫妻と知り合った。この出会いのなか立ちは、2人の指手話であった。障害者の2人は、ヨンチャンの視聴覚障害のため、普通の手話は不可能であり、必然的に指先から合図を送る指手話に頼らざるを得なかった。互いの手をつなぎ、意志を伝え合う様子は、コミュニケーションの持つ温かさを直接表現し、見ていて非常に親近感を覚える。


カワイソウイズムから遠く離れて

イ・スンジュン監督

 韓国映画の伝統的範疇に、主人公をこれでもかと悲惨な境遇へ追い込み、観客の涙を絞る作品群があり、総称してカワイソウイズムと呼ぶ。例えば、貧困故に、犯罪に走ったり、女性が苦界(くがい)に身を沈める類(たぐい)の話である。見ていて、非常に痛いが、観客はわが身に重ね合わせ、カワイソウイズム感情から涙し、それがカタルシスとなる仕掛けである。
  韓国映画におけるこの範疇の隆盛に別れを告げたのは、諸説があるが、1998年の大統領選時の金大中(キム・デジュン)候補の選挙公約で、映画法の整備を掲げたことを契機としている。この時を潮目に、韓国映画の体質が大きく変わった印象を受ける。その後に韓流ブームが到来し、カワイソウイズムはもはや死語となった感がある。勿論、本作のスンジュン監督もピンと来ない様子であった。

 

撮影許可の苦心


 スンジュン監督は2008年から、撮影アプローチを始めたが、当初、2人は、私生活がオープンになり障害者がさらし者になることを恐れ、撮影を拒否した。しかし、同監督は、平常の付き合いを夫妻と続け、2人の信頼を勝ち取り、撮影に漕ぎつけた。彼は、この時以来、被写体への敬意が撮影に一番大切なものと考えるようになった。
  撮影は、とびとびに3年に亘り続けられ、2010年に完成した。
障害者の日常生活は、当然ながら、健常者から見れば危なっかしいものである。劇中、部屋の蛍光灯が切れ、上背のあるヨンチャンが、手探りで付けかえようとするが、中々うまく行かないシーンがある。目の見えない人間にとり、我々が考える以上に困難な、日常のささいな作業である。また、小さなスンホの台所仕事は、踏み台が必要だ。こうして2人で補ない合いながら、楽しく暮らしている。

喜びの表現



 障害者全般にいえることだが、彼らは制限された狭い世界に生き、健常者にはわからない不便さを否応なく甘受している。その揺り戻しとして、喜びの表現は爆発的な素晴らしさがある。
  このことは、特に知的障害者に多く見られるが、劇中の主人公たちも例外ではない。ただし、スンジュン監督によれば、視聴覚障害者総てにこの傾向は当てはまらないそうだ。
  しかし、2人が公園で木の実を投げ飛ばしたり、浜辺の波際で靴まで水びたしになる水遊びに興じる、楽しさ一杯のシーンには喜びが溢れている。波際の撮影は監督が意図したものであり、2人はひどく寒い思いをしたそうだ。劇中の木の実の飛ばしっこは自然発生的なお遊戯の延長であるが、それは監督の狙う即興演出で、天真爛漫な2人の喜ぶ様は、一条の光がシーン全体を包み込むようだ。

寂しさ



 イ・スンジュン監督とのインタヴューで、彼は「寂しさ」という語を幾度も口にした。情緒的な感のある言葉であり、筆者はその意味するところを何度か尋ねた。「寂しさ」の真意は障害者を一番悩ます、人と人とのつながりの希薄さであり、それが「寂しさ」であるとの説明で納得した。
  障害者は健常者と比べ、コミュニケーションが少なく、つながりが薄く、丸で宇宙の空間に彷徨う気持ちになるが、それが「寂しさ」としている。つながりの薄さから来る思いは、もちろん、健常者にもあるが、障害者の方がより強い。
  この「寂しさ」の確認のためのシーンが夫妻の自宅での障害者仲間の会食である。仲間たちは、気の良いスンホの手料理を囲み歓談する。ヨンチャン・スンホ夫妻は、指手話により会話に加わる。コミュニケーションの少ない彼らが「寂しさ」を埋め合わせるシーンである。
  内向きな障害者にとり、仲間同士の顔合わせ、歓談は、自らの気持ちを外へ向ける数少ない機会なのだ。最初、出演することを渋った夫妻も、本作の被写体として露出することは、自分たちが外へとつながることと思うようになった。


韓国のドキュメンタリー状況



 イ監督自身、韓国でドキュメンタリー作家として生きることの難しさは認めている。
  秀才校ソウル大学出身の彼は、ドキュメンタリー一筋で、主たる活躍の場がテレビ・ドキュメンタリーである。サイドで、大学の教壇に非常勤講師として立ち、PR映画をこなしている。韓国のドキュメンタリー製作状況について、
「公共テレビのKBSはドキュメンタリーを多く制作しているが、あくまで局本体の企画が主であり、外部からの作品持ち込みは大変難しい」と述べている。
「渚のふたり」は、2010年にアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭最優秀長篇ドキュメンタリー賞を受賞しているが、この受賞をもってしても、配給は難しいそうだ。
「韓国では、日本のようにドキュメンタリーを上映する小劇場が少なく、一般公開は非常に困難であり、配給問題は我々ドキュメンタリー作家にとり宿題。しかし、KOFIC(韓国映画振興委員会)が独立プロを対象とする宣伝、製作助成を年2回行っている。『渚のふたり』の場合はKOFICの助成が受けられなかったが、次回作(今夏完成予定)は母と娘の物語で、娘が18歳で障害者の設定であり、この作品にはKOFICの助成がついた」と語っている。このように、KOFICの助成は、独立ドキュメンタリー作家にとり、大変貴重なシステムである。


人間を描くシナリオ構成


 本作「渚のふたり」は、単なる障害者のヒューマン・ドキュメンタリーではない。イ・スンジュン監督は難病ものの美談仕立てではなく、障害者を一つの人格を持つ個として捉え、ここが本作の優れた点である。シナリオ構成が、最初は2人の紹介を兼ねた日常生活の描写、続いて障害者の本音が明かされる会食シーン、そして、その後の2人の日常と、運びが良く、障害者ものとしても、人間ドラマの態を成している。
  絶対に見て損はしない。



 



(文中敬称略)

《了》



映像新聞2014年2月10日掲載号より

2014年2月15日(土)よりシネマート新宿ほかにて全国順次公開。


中川洋吉・映画評論家