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長編ドキュメンタリー「アクト・オブ・キリング」
インドネシア大虐殺事件を検証
隠されたままの真相に迫る

 「アクト・オブ・キリング」(以下「アクト」は、信じがたい実話のドキュメンタリーだ。1965年からインドネシアで行われた、広島、長崎の原爆投下、東京大空襲を上回る、推定100万人に及ぶ大虐殺事件の検証である。恐らく、ナチスによるホロコーストに次ぐ、20世紀最大の犯罪である。

衝撃的な事実

「アクト・オブ・キリング」撮影風
(c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

  「アクト」について、ドイツの巨匠ヴェルナー・ヘルツォーク監督は「私は少なくともこの10年間、これほどにパワフル、且つ、超現実的で、恐ろしい映画を見たことがない。映画史上、類を見ない作品である」(プレス資料より引用)とメッセージを寄せている。映画史上、類を見ない恐ろしい映画と本作を評しているが、人類史上最悪と呼べる事件である。


発端

「アクト・オブ・キリング
(c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

 「アクト」を理解するには、インドネシア現代史に触れねばならない。
総ての発端は1965年の9月30日事件である。日本軍のインドネシア占領(1942−1945)を挟み、1800年から1942年までのオランダによる植民地支配が続いた。その末期の3年間に日本軍が占領し、3年後の日本軍敗退により、インドネシアは、旧宗主国オランダに対する独立戦争がはじまり、1950年に待望の独立を勝ち取った。その時の指導者が建国の父と呼ばれ初代大統領に就いたスカルノであった。しかし、彼の外資凍結、外国企業接収などの政策は深刻な食糧難と過大なインフレを引起し、インドネシア経済は危機的状況に陥った。この経済難の時期に、国軍将校による軍部クーデターが起きた。しかし、このクーデターの真相は今もって明らかではない。経済不振の中、スカルノは共産党と手を結び政権運営を図ったが、しかし、その共産党は9月30日を境に一気に崩壊し、クーデター鎮圧者、後に大統領として、30年に及ぶ独裁政権を樹立したのがスハルト少将であった。大虐殺は、スカルノ政権崩壊後65、66年に行われ、スカルノ政権を支えた共産主義者が狙い撃ちされ、100万といわれる犠牲者を出した。その実行部隊は民兵組織で、200万−300万のメンバーを擁し、全国的に活動を展開した。その構成員はイスラム教主義者、ヤクザやゴロツキであった。

 

事件の全容


「アクト・オブ・キリング
(c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

 このクーデター、それに次ぐ大虐殺は、時の政権や殺人実行者以外には知られておらず、国際世論を喚起するには至らなかった。民兵組織は存続し、人々に沈黙を強い、さらに、2008年のスハルト大統領の死により、真相は隠されたままとなった。



映画製作の動機



 アメリカ人ドキュメンタリー作家、ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体からの依頼で、インドネシアにおける虐殺の被害者を取材したのが「アクト」の始まりで、製作はデンマーク、ノルウェー、イギリスの合作である。今年40歳の同監督は10年以上、政治的暴力の加害者、被害者を取材、映画化に取組んでいる。数々の妨害のため、当初の被害者中心の取材を断念し、加害者中心に製作方針を切り替えざるを得なかった。



虐殺の再現劇



 この変更により編み出された手法が、加害者による虐殺の模様の劇仕立てで、出演者は殺人者自身であった。彼らは半ば興味半分、半ば英雄気取りで、虐殺の様子の再現に応じた。このことは、彼らは絶対に処罰されない安全地帯にいるとの確信に基づいている。
「アクト」を見て、先ず感じる疑問は、なぜ暗殺者たちが堂々と表舞台に立っていられるかである。




作品の着想 加害者自身による再現劇で構成



 オッペンハイマー監督は、野放しの殺人者たちの内面の変化を期待し、目新しい着想を思いついた、それが再現劇である。その中で、一番インパクトの強かったシーンは、大量殺人の手間を省くための針金の使用によるものであった。針金の一方を固定し、もう一方を引っ張るもので、いとも簡単に人間は絶命してしまう。最早、ゲーム感覚である。
9月30日事件後、兼ねて対立関係にあった、スカルノ+共産党対クーデターを鎮圧したスハルト少将率いる軍との抗争はスハルトの圧勝で終わった。軍が実権を握り、敵対勢力を粉砕する手法は、チリやアルゼンチンの軍事政権下でも見られた。しかし、インドネシアのケースは、桁外れに犠牲者数が多かった。軍事力を背景に、殺し屋集団である民兵組織、パンチャシラ青年団が、実行部隊として赤狩りの尖兵となり、一般市民を恐怖に陥れた。彼らは国軍のお墨付きを得た暴力装置であった。この暴力装置を後ろ盾とし、民兵たちは大量虐殺を実行し、一般国民は沈黙するより術はなく、そのため、この虐殺事件が広く知られることはなかった。殺人者たちのとった手法は、共産党に悪のレッテルをはり、人々に殺戮の恐怖を見せつけることにより、思考停止状態に陥らせ、沈黙を守らざるを得なくしたのであった。


殺戮の恐怖



 この虐殺が歴史の陰に隠れた大きな理由は、人々が抱く殺戮の恐怖にある。民兵組織の集まりで、1人の幹部が取り巻き相手に語るシーンは衝撃的だ。明らかにカタギとは見えない彼は、猥談のノリで、強制フェラチオの話をする。自動車内に閉じ込められた1人の女性が、6人の男の相手をさせられた話だ。強制された女性は、拒否すれば必ず殺されると思い、恐怖の中、言いなりになった。この幹部の恥知らずな性暴力は、他にも数多くあったに違いない。男性は針金で殺され、女性は辱めを受けるが、これは、背後の暴力装置の存在なくしてはあり得ない。大規模な民兵組織、生産手段を持たぬゴロツキ集団を誰が養っていたのか、答えは明白だ。国家的な組織犯罪である。更に、70年代の初めには、犯罪者の不処分決定が政府から発表されている。現代に未だこのようなことが起きていたことは驚きであり、冒頭のヘルツォーク監督の発言もうなづける。


インドネシアの闇



 日本人にとり、インドネシアはバリ島を始めとする観光で良く知られている。しかも、スカルノ、スハルト両大統領時代は日本との経済的つながりが強く、日本商社の多くがインドネシアに進出している。1998年のスハルト失脚後、民主化されたが、これは表面的で、何も変わっていないとする説がある。汚職の蔓延と動かぬ政治が、現在の大きな問題である。
「アクト」を見終えて、数々の疑問が残る。なぜ、長い間、殺人者が野放しになったかが不思議である。スハルト後の民主化で、独裁体制から民主制へと転換したが、政党はこの問題にどのように対処したのかが知りたい。特に、スハルトにより失脚させられたスカルノの長女、メガワティ闘争民主党党首が、9月30日事件をどのように考えているのだろうか。


真実の重さ



 ドキュメンタリーの役割の一つに、知らぬことを広くしらしめることがあり、「アクト」は驚きの事実を見る者に知らしめた。取材、撮影中の数々の妨害を逆手により、加害者中心の証言、再現劇という手法が編み出された。この手法をヤラセとする向きもあるが、これ以外に殺人者たちの内部に入れなかったことが主因であり、一つの方法論として認められる。ただし、作り手が再現劇により、一歩離れて問題の本質を見て人間が変われるかは、一寸疑問である。



 



(文中敬称略)

《了》


4月12日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムにて公開中、
その後、全国順次公開

映像新聞2014年4月14日掲載号より転載

 




中川洋吉・映画評論家