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「ジゴロ・イン・ニューヨーク」
ウディ・アレンが脇に回り好演
軽妙で深みのあるコメディー

 ウディ・アレン主演、ジョン・タトゥーロ監督・主演の「ジゴロ・イン・ニューヨーク」は非常に頭を使ったコメディであり、最近では、一番軽妙かつ深みのある笑いで、観客を文句なしに引きつける。

 

笑いの予感

営業中のタトゥーロ

 タイトルからして思わず引き込まれる。アイディアは、監督のタトゥーロの友人たちとの昼食の雑談から生まれた。主役は、ニューヨークのある冴えない男がジゴロ、彼の相棒がポン引き役である。ジゴロは色男ではなく、勤言実直そのものの中年男と設定されている。その彼、次々と美女の心をつかむ展開は、逆転の発想といえる。それを脇で引っかき回すポン引きがアレンとくれば、面白くなることは必定(ひつじょう)で、タトゥーロの奇抜なアイディアにアレンが面白がって乗ったのであろう。




冒頭からのギャグ


タトゥーロとアレン

 アレンはニューヨーク市内の三代続く古本屋店主。客の不入りで、今は店仕舞いの準備中。それを手伝うのが監督・主演のタトゥーロ。彼は、現在失業中の身で、花屋でアルバイト中。店仕舞いの手伝いにタトゥーロが来て、アレンは突然、ジゴロの話を切り出す。彼には魂胆があるようだ。アレンの掛かりつけの女医(シャロン・ストーン)はレズだが、一度、男性を交えて3人プレイをしたいとの話を耳にし、タトゥーロに白羽の矢を当て、説得にかかり始める。最初は「何を馬鹿なこと」と取り合わない彼だが、身振り手振りを交えたアレンの熱心な口説きに耳を傾け始める。アレンは「花屋のバイトで喰えるのか」、「先月の家賃は俺が払ってやったのだ」など、チクリチクリと攻め立てとうとう堅物の失業男を陥落させる。大げさなジェスチャー、息せき切ってまくし立てる機関銃トークと、アレン調全開だ。


 らしくないジゴロ



シャロン・ストーン
 アレンの案内で、女医宅を訪れる失業男、恋には強い筈の女医も、今まで見たこともない、中年の真面目男を前に勘が狂い、いたく彼を気に入る。それを嗅ぎつけたレズ相手(ソフィア・ベンガラ)は「私にも、おいしい話、一口乗せて」と迫る。タトゥーロの、ジゴロらしく無さが大受けである。アレンのポン引きは、ジゴロの稼ぎのパーセンテージをがっちり押える。



ユダヤ人社会


 本作で見逃せない要素として、ニューヨークのユダヤ人社会が挙げられる。ユダヤ人独特の服装、ラヴィの存在、そして、警察のようなユダヤ人の風紀監視役のパトロール隊(本当に存在するのであろうか?)など。風俗紊乱(びんらん)のかどで査問を受ける羽目になったアレンは、ユダヤ教会で裁かれ、ムチ打ち刑70回をちらつかされ、縮みあがる段、とても現代の話としては信じ難いが、物語としては抜群におかしい。
ユダヤ社会と、キリスト教社会の対比で物語を進行させ、その落差を活用するところが笑いのミソとなっている。



ユダヤ社会の美女


 ポン引きのアレンは、事もあろうか、子持ちの高名なラヴィの未亡人を、お得意の営業トークで乗せる。立って粉を練る彼女の前で、着席したままのアレンが「人は触れ合いが必要」と熱弁を振い、未亡人(フランスの女優兼歌手のバネッサ・パラディ)が聞き役にまわる、この凸凹のアンバランスな構図、チグハグさが面白い。当然ながら、これは演出の意図であろう。アレンにウマウマ乗せられたパラディは、ジゴロが待つアパルトマンへ。表向きはセラピーということで。2人は、一目で互いに心を開き、男はジゴロ業界の掟を破り、客と恋に落ちる。しかし、2人の関係は中学生の純潔の一線を越えない。


多様な仕掛け


 ユダヤ人社会を中心に展開されるジゴロ話であるが、そこには多人種への目配りもある。失業男は白人だが、名はフィオランヴァンテとイタリアン風、アレンの妻は黒人で子沢山、女医には大スターシャロン・ストーン、レズの片割れは南米系の明るい美人、ユダヤ人未亡人は6人の子持ちと、ニューヨークらしく、多人種構成で、何やら騒々しい華やかさが盛り込まれている。
アレン作品ではいつもペネロペ・クルス、ダイアン・キートン、ジュリア・ロバーツなど、キラ星の如き豪華な女優陣で彩られている。これだけ女優を揃えると、作品の華やかさが倍加する。今回も、このように、アレンの趣味は生かされている。


役者、ウディ・アレン


 アレン自身、出演作品は14年振りだ。その理由を、カンヌ映画祭の記者会見で語った。
「年上の冴えない男(アレン自身)が美女にモテル設定で今まで撮ってきたが、自分の年齢を考えるとこの手法には無理があり、監督業に専念」と表明。
今回は、自らがモテ役でなく脇に廻り、秀逸なコメディ仕立てを狙い、その意図は大当たり。余程、タトゥーロの脚本が気に入ったのであろう。



脚本構成


 主演・監督を務めるジョン・タトゥーロは才人である。カンヌ映画祭では「バートン・フィンク」(91)(コーエン兄弟監督)で主演男優賞を獲得、そのほか出演作として、カンヌ映画祭出品のスパイク・リー監督「ドゥ・ザ・ライト・シング」(89)、「ジャングル・フィーバー」(91)で、いかにも平凡な善人を演じ、高く評価された。監督としてもカンヌ映画祭監督週間出品の「マック/約束の大地」(92)でカメラドール(新人監督賞)を受賞と、俳優としても、監督としても存分に才能を発揮している。本作は、その発想の面白さで見せているが、アレンを巻き込んだところが、コメディのビタミン剤となっている。構成は、割合シンプルで、タトゥーロのボケと、アレンのツッコミを柱としている。アレンの営業トークに見られるように、手八丁口八丁の話し振り、漫才流にいえば、シャベクリをメインに据え、相方のタトゥーロにはあまり芝居をさせない演出の意図が鮮やかに極まっている。
アレン作品からはかなりの教養が感じられるが、タトゥーロとのコンビでも、小味(こあじ)が効いている。アメリカ映画には珍しく、劇中でのシャンソンの挿入、そして、ラストのレストランで、ポン引きのアレンが客の妙齢の女性に、お得意の営業トークで、失業男を「配管工が要るならこの男」と売り込むシーン、別れ際に、怪しげなフランス語で「さようなら−オルヴォワール」と言う可笑しさ、洒落っ気たっぷりだ。



大いに楽しめる知的遊戯


 このジゴロ・コンビのかもし出す、知的遊戯が大いに楽しめる。コメディは頭を使わねば駄目と、本作を見て痛感する。







(文中敬称略)

《了》

7月11日より日比谷シャンテ、新宿武蔵館で公開中

映像新聞2014年7月21日号より転載






中川洋吉・映画評論家