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「白い沈黙」
不条理と侠気がもたらす人間ドラマ
少女失踪をめぐる葛藤描く

 カナダのアトム・エゴヤン監督作品『白い沈黙』は、いかにも北国カナダらしく、白い雪の世界が背景である。同監督らしい、不条理と狂気がもたらす人間ドラマで、2時間の長尺にかかわらず、観客をだれさせず、引込む力強さがある。本作、今やカンヌ国際映画祭の常連の1人となった同監督の2015年コンペ出品作である。

ロケーションの素晴らしさ カナダの白銀の世界が背景

父と娘
(C)Queen of the Night Films Inc.

 舞台は、ナイアガラ瀑布のカナダ側のオンタリオ州の地方都市であり、エゴヤン監督は冷涼、乾燥の夏のベストシーズンを外し、狙いとして、白銀の世界をバックとし、荒涼としたカナダの寒々とした、閉ざされた世界にうごめく人間の葛藤を描き上げている。外景の白と、人が生きる屋内の暖色の対比が鮮やかだ。
これらのロケーション設定から入る冒頭シーンの手際が実に良い。


導入部

警察内部 ダンロップ刑事(右)
(C)Queen of the Night Films Inc.

 白い荒野のシーンが一転、木材をふんだんに使った広い邸宅の窓の前で、1人の中年男のミカが外を見ている。横のテレビにはオペラの画像が流れる。ここで、この人物の一見知的な一面が写し出される。
彼は階下にある隠し部屋の鍵を開けて入る。中には年頃の美しい娘が歌の練習をし、傍らのテレビには、部屋を清掃する黒の制服姿の女性の画像が流れる。ミカは娘に優しく話しかけ、すぐに部屋を後にする。
どうやら大邸宅はナイアガラ瀑布を前にしたホテルであり、監視カメラで映し出されたのは、客室係らしいことがわかる。


謎に満ちた始まり

ミカと監視モニター
(C)Queen of the Night Films Inc.

 この冒頭シーンから謎が突きつけられる。もちろん見る者は、これらの映像の意味を理解したい気持ちに駆られる。
本筋の冒頭は、市内のカフェに1人のサングラス姿の女性が入ってくるところからだ。彼女こそ、監視カメラに写る客室係である。
そして8年前の発端へと物語は戻る。アイススケート場のリンクでは、少年、少女がペアで練習し、無人の観客席では少女の父マシュー(ライアン・レイノルズ)が娘を見守る。父は仕事帰りに娘を迎えに来たのだ。
父娘は白いトラックで帰宅する途中、道路沿いのダイナーに車を止め、父はチェリーパイを求める。練習疲れの娘は車内で父を待つ。買い物を済ませ戻った彼は、娘の不在に気が付く。
わずか数分の間に、忽然(こつぜん)と姿を消した娘を、父親は付近を探し回るが、目撃も手掛かりもなく、警察へ赴く。彼は短気で、障害の逮捕歴もあり、2人の刑事は逆に彼を疑う。激高した父親は、それならば自分で探す決心をする。
彼は造園業を営むが、仕事がうまく行かず、生活は苦しい。そこに男性の刑事コーンフォール(スコット・スピードマン)が「生活苦で娘を小児性愛者に貸し、金を稼いでいるのか」と暴言を浴びせ、彼は警察と決定的に反目する。
この段階で、小児性愛(未成年者に対する性的虐待)の犯罪組織の存在が浮かび上がる。欧米社会では、小児性愛は最低の犯罪として忌み嫌う社会的傾向が強い。



夫婦の亀裂

 毎日、単独で必死に娘の行方を探す夫。その彼の不注意で失踪事件が起きたことを恨む妻のティナは、夫を攻め続け2人の間に亀裂が走る。
警察とのコンタクトは妻が、もう1人の女性刑事ダンロップ(ロザリオ・ドーソン)と年に1度、儀礼的に会うだけだ。女刑事役のドーソンは、『トランス』(13)で妖艶な精神科医を演じた彼女とは全く異なる持味を出している。


娘の不可解な内面

 9歳の時に誘拐された娘キャスは、17歳の美しい少女に成長し、大きな邸宅の奥のアパルトマン仕立ての部屋に監禁される。しかし、彼女は囚(とら)われの身とは程遠い環境に暮らし、嘆いたり、悲しんだりの様子はない。いつか脱走しようとの意志も見えない。
そして、彼女と接する広い邸宅の主ミカとも信頼関係を築き上げ、彼も少女には優しく接する。誘拐した当時は小児性愛の対象であったが、いまや成人した彼女と結婚してもと思う存在になっている。娘は室内に据えつけられている監視カメラに写る母親の姿も、当然、意識しているにもかかわらず、積極的に会う意思を持たないようだ。
この娘の人物造型が、エゴヤン監督の描くところの不条理な感性である。被害者らしくない設定に彼の独自の世界観が見られる。さらに、キャスには、幼い少女の勧誘を任され、ネットでのコンタクトをする。総ての指示はミカから出される。
本当に現状に満足し、積極的に快適な生活を手離さないのか、誘拐した男性を憎まないのか、自分と同じ境遇に幼い少女を巻き込むのに、何の良心の呵責(かしゃく)を感じないのか、すべてが意図的に曖昧のままにされている。





新たな手懸り

 夫は警察と反目し、妻は年に1度ダンロップ刑事と会うだけの8年間である。警察は、ずっと夫婦による自作自演と睨みながらも、杳(よう)として行方の知れぬキャスの存在を、ネットから手懸りを得ようとする。そこには小児性愛に供される少年、少女の顔が公然と登場し、警察は、その中の1人にキャスに似た少女を探し出し、母親は娘であることを確信する。


事件の展開

 警察もこの期に及び、小児性愛組織の犯罪として動き始め、おとり捜査により、組織のトップの逮捕に結びつける。
物語は組織との対決から、それまでのミステリー調から刑事ものへとかじを切り替える。このラストへ向けての悪との対決の運びがうまい。
危険を感じた組織は、ナンバー・ツー格のミカを通し、捜査の指揮を執るダンロップ刑事を誘拐し、反撃に出る。



巧妙な組織の動き

 監視カメラに写るホテル客室係の母親の姿を娘は見るが、ミカの組織の真の狙いは、娘を誘拐され悲しむ母親を顧客たちに見せることであった。人の不幸を面白がる卑劣な行為であるが、作劇上の毒としてインパクトが効き、エゴヤン流の発想が極っている。


複雑な人物の内面

エゴヤン監督と子供たち
(C)Queen of the Night Films Inc.
 人間の内部は一筋縄でないことこそ、本作『白い沈黙』の見どころである。人間の内面には善と悪の二面性があり、それ故に、複雑な人間関係が露呈する、際どい面白さがある。
一見、ミステリー調で貫かれる物語の構成は、分厚い人間ドラマへと変身する。そこには、人間の内面に巣食う不条理な感性があり、エゴヤン監督は、人間の持つ不可思議な特性を強く押し出す。
物語の発想の良さ、展開のひねり、そして、冬のカナダを象徴する白銀の世界と、画面に緊張感がある。ひねりの効く娯楽作品、あるいは、手の込んだ人物造型を織り込んだミステリー作品であると同時に、人間ドラマでもある。






(文中敬称略)

《了》


10月16日(金)より、TOHOシネマズシャンテほかにて全国ロードショー

映像新聞2015年10月5日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家