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『スポットライト 世紀のスクープ』
社会正義の実現のために奮闘
新聞社の取材チームが追及

 久し振りに、内容の濃い「ブンヤ(新聞記者)」ものを目にする機会に恵まれた。米国作品でトム・マッカーシー監督による『スポットライト 世紀のスクープ』(以下『スポットライト』)である。事実の積み重ねで徐々に真実に迫る、極上のポリシエ(ミステリー/推理もの)を見るようで感興をそそられる。

事件の発端

「スポットライト」編集部全員
Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

  大勢の神父と教会の組織的な大罪
物語の舞台は、ボストンの新聞社「ボストン・グローブ」で、ゲーガン事件を扱っている。ゲーガンとは神父の名であり、この僧職の彼は、1976年に子供へのいたずらが発覚し警察に拘留された。これらの幼児性愛事件が2001年になっても、相変わらず続き、同紙は大いなる関心を寄せる。
事件の中心には、ボストンのカトリック教会の頂点に君臨する聖職者、ロー枢機卿がいる。『スポットライト』では、大勢の神父と教会の組織的な隠蔽工作の罪を追及する。
本作が映画化されるのは、2002年のボストン・グローブ紙のスクープ発表後、13年後であることは、カトリック教会側の強い抵抗があったと想像できる。米国におけるキリスト教の宗教分布を辿れば、カトリックの隠然たる勢力が理解できる。
国民の8割がキリスト教徒であり、その3分の1がカトリック教徒であるが、プロテスタントは多宗派に分かれ、単一宗教としては、カトリックが最大宗派である。
「スポットライト」とは、ボストン・グローブ紙のプロジェクトチームの呼称。4人の記者が専従し、彼らの上に立つ新任の編集局長とベテランの部長の2人、合計6人で構成され、一丸となり「世紀のスクープ」をものにする。同チームは、1つのネタを数か月掛けてじっくり追い、1年間の連載の特集記事欄を担当する。
2002年に同チームは、ボストンのカトリック教会が隠ぺいした、70人以上の神父による性的虐待に関する約600本の記事を発表する。現在の新聞やテレビで、これほど時間を掛ける記事は難しい状況であり、まだメディアにとり良き時代であったのであろう。
4半世紀前のことではあるが。ブンヤものとして有名な「ウォーターゲート事件」でニクソン大統領を追い詰め、失脚させたワシントン・ポスト紙の編集長の息子が同チームの部長で、親子2代にわたる"ブンヤ魂"のフル稼働である。
この「ウォーターゲート事件」の映画化が『大統領の陰謀』(1976年/アラン・J・パクラ監督/ロバート・レッドフォード主演)だ。


新任編集局長の指示

マイケル・キートン(左)とレイチェル・マクアダムス
Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 2001年7月に、ボストン・グローブ紙は新たな編集局長マーティ・バロン迎える。新任の彼は、新聞にとりインパクトのある記事を求め「ゲーガン事件」を詳しく探ることを命じる。
ゲーガン神父は30年間に70人の子供への性的虐待の疑惑に包まれるが、教会の全面否定で、長い間膠着(こうちゃく)状態が続き30年が過ぎる。同紙の定期購読者の53%はカトリック信者であり、社内では、社会的リスクの大きさで逡巡する空気もあった。
しかし、新任の編集局長は、ヨソ者のユダヤ人と、キリスト教徒でなく、しがらみが薄い。彼は自説を曲げず、「スポットライト」チームに事件の掘り下げを指示する。



取材開始

マーク・ラファロ
Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 編集デスク、ロビー(マイケル・キートン)のもとに3人が集められ、彼らは慎重に行動し、確実な情報をつかむまで他言しない義務を負わされる。4人のメンバーの1人が若い女性サーシャ・ファイファー(レイチェル・マクアダムス)で、彼女が作品の中の紅一点と、新聞社は男の世界であることがうかがい知れる。
まず、教会側の弁護士に当るが、守秘義務を楯にハナから拒絶にあう。弁護士がペラペラしゃべるわけがなく、記者と彼らとの攻防が見どころとなる。教会とかかわりを持つ弁護士3人、それぞれ中年男性で、1人は変わり者、1人は教会べったり、もう1人は記者の知人であるが、内情を決して洩らさない人物と、それぞれ持ち味が異なり、存在感がある。
記者たちも、その殆んどが中年で、若い世代にはない落着きと慎重さを持ち合わせる。それぞれが突出することなく、集団の中において1人ひとりのヒーローとしての人物造型を形作る。この辺りが作品としての厚みと言える。



被害者団体関係者

マイケル・キートンとマーク・ラファロ
Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 弁護士に手こずる間に、1人の男性が貴重な証言をもたらす。彼は被害者団体のメンバーで、ボストンには13人の神父が性的虐待を犯したと告げる。この数字、後の精査によって、罪を犯した神父は70人以上と訂正され、犯罪の大きさ、悪質さが一層際立つ。
ではなぜ、子供たちが聖職者の毒牙に掛るのであろうか。それには被害者にとって、やむを得ない側面がある。教会へ来る子供たちは、生真面目で、しかも貧しい家庭の出身者が多い。彼らは神父に目を掛けられたら有頂天になり、自分を特別な存在と勘違いする。そして、神父の罠に落ちる。
神父にとって、純真な子供たちを餌食にすることは、さほど難しいことではない。子供たちは肉体以上に精神にまで異常をきたし、酒やクスリに手を出し、飛び降り自殺をするものも出る。
また、彼らは被害を他の人たちに話せず、成人になり、やっと告白する例も多い。すなわち、子供時代の傷が後々まで影響し、成人後も消えず苦しみ、人生を狂わされる。
「スポットライト」チームは、これらの事件を単に神父の犯罪ととらえず、犯罪そのものを隠ぺいする枢機卿を頂点とする教会の体質へと糾弾の矛先を向ける。



教会の隠ぺい工作

「スポットライト」編集部
Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 取材により、次々と犯罪の真相が明らかになり、教会の隠ぺい工作の事実が浮かび上る。性的虐待の疑惑に対し、教会は「病気療養」や「休職中」の名の下、当の神父たちの教区の変更を繰り返す。これは、組織を守るためで、事件はなかったことにする常とう手段で、一般社会でもよく見られる手口である。
そして、最終的に87人(70人と思われていたが)の罪を犯した神父をリストアップする。このような犯罪の原因として、カトリック聖職者の独身制度が挙げられる。この制度自体が明らかに時代に合わないとする指摘がある。


重厚な俳優陣

 本作は、いわゆる主役がいない集団劇である。言葉を変えれば全員主役という布陣である。この集団が上手く機能し、それぞれの個の存在が光る。
「スポットライト」のメンバーのマーク・ファロはキーラ・ナイトレイと共演した『はじまりのうた』(13年)、デスク役のマイケル・キートンは『バード』(14年)、紅一点のサーシャ役のレイチェル・マクアダムスはテレンス・マリック監督の『トゥ・ザ・ワンダー』(12年)、編集局長役、バロンに扮するリーヴ・シュレイバーは『ジゴロ・イン・ニューヨーク』(13年)、変わり者弁護士ガラベディアンのスタンリー・トウッチは『ベルサイユの宮廷庭師』(14年)―と皆相当な実績の持主で、本作の俳優のアンサンブルは極めて良い。
俳優ではないが、撮影監督のマサノブ・タカヤナギは米国在の日本人で、近作にジョニー・デップ主演の『ブラック・スキャンダル』(15年)がある。
社会正義の実現のため、「スポットライト」チームは奮闘する。そこには、米国独特の草の根民主主義の一端が垣間見える。力強い社会派の1作である。

 



(文中敬称略)

《了》

4月15日(金)、TOHOシネマズ 日劇ほか全国公開

映像新聞2016年4月11日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家