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『山河ノスタルジア』
時代の流れに影響を受ける人の感情
中国の急成長を背景に描く

 昨年の「第68回カンヌ国際映画祭」のコンペ部門には、中国からジャ・ジャンクー監督作品『山河ノスタルジア』(原題『山河故事』)、台湾のホウ・シャオシン監督作品『黒衣の刺客』と、中国語圏を代表する2人の大物監督作品が登場し、賞の行方が注目された。結果は、既に巨匠と目され、様式美を駆使したホウ監督作品『黒衣の刺客』が「監督賞」を受賞、社会的視野を持つ『山河ノスタルジア』は無冠に終わった。しかし、『罪の手ざわり』(13年)、『四川のうた』(08年)、『青の稲妻』(02年)とカンヌ出品を重ね、ベネチア国際映画祭でも複数の受賞歴を誇る彼は、近い将来、カンヌで最高賞受賞を受賞することは十分予想できる。

作品の発想

タオ
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

  この作品がどのような経緯をたどり生まれたかについて、ジャ監督は「直接の動機は、故郷に残した父の死である」と語っている。それは、ちょうど『長江哀歌』(06年)を撮ったころである。
ジャ監督の故郷、汾陽(フェンヤン)には、母親が独り取り残される。息子の彼は、故郷に帰るたびにお金を渡すなど生活に困らないよう手を尽すが、母には満足の様子が見られない。そこで彼は、母が彼の存在を必要とすることに気付く。
映画監督として各地を飛び回る彼は、人はお金で心の平安を得られぬことを思い知らされる。特に彼の場合は母子の関係の大切さを知り、そのことが『山河ノスタルジア』製作の発端となる。
さらにジャ監督は「本作では、事件、暴力を描くのではなく、時代の流れに影響を受けている人の感情に焦点を当てる」と製作意図を付け加えている。


三部構成 シナリオは編年体

ミア(左)とダオラー
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 『山河ノスタルジア』のシナリオは3部構成で、1つの構成に対し1つの物語を織り込む手法である。編年体のかたちをとり、フラッシュバックを使わないだけに、物語の展開が非常に分かりやすい。現在、過去の入り繰りを避け、物語をストレートに推し進め、この手法により、作品自体に力(りき)を与えている。



1999年 「経済発展期」

青春3人組
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 急速な経済発展を背景に、3人の男女の物語が繰り広げられる。いわば、人々の多くは経済の正の部分に目を向け生きる。舞台は中国北部山西省の地方都市汾陽。
冒頭のディスコダンスは、まさに時代の雰囲気を伝える。音楽はペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」(1970−80年代に活躍した米ディスコグループ、ヴィレッジ・ピープルの代表作。1990年代にカバーされ世界的にヒットした)が流れる。
その若者たちの中に、主人公のタオ(チャオ・タオ=ジャ監督作品の常連)、そして小学校教師である彼女(タオ)に思いを寄せる炭鉱労働者リャンズー(リャン・ジンドン)と新興成金ジンシェン(チャン・イー=『最愛の子』[14年]で幼児拉致被害者の主人公を助ける被害者グループのリーダー役)の3人がいる。彼らは女1人、男2人の幼なじみだ。
大体この種の組合わせは、2人が結ばれ、1人はのけ者というパターンだが、本作も全く同じ趣向。しかも、女性は派手で羽振りのよい方へなびくあたり、世の東西を問わず、恋愛感情に打算が入るのもよくある話。これが世の中と、首を楯に振らざるを得ない。
2人の仲を目の当たりにしたリャンズーは荷物をまとめ故郷を去る。後味のよくない別れで、言葉を変えれば青春の苦さである。別れ際、タオは去るリャンズーに結婚式の招待状を渡そうとするが、彼は拒否する。
その後、幸せいっぱいのタオ、ジンシェンの夫婦に子供が生まれ、父親は息子にダオラー(ドルの意)と名付ける。成金根性の極みで、時代の拝金主義的雰囲気を象徴する。



2014年「現代」

タオと別れた夫
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 第2部は15年後の現代を描く。愛に破れ汾陽を離れたリャンズーは、邯鄲(ハンダン)の鉱山で働くが、長年の重労働で肺を患い、死期が遠くないことを悟る。そこで、妻子を伴い故郷汾陽へ戻る決心をする。
もともと金銭的には裕福でない彼は、友人に借金を申し込もうとするが言い出しかねる。この窮状を救うのが彼の妻で、今は離婚し実業家として活躍する夫の旧友タオを訪ねる。
そのタオはリャンズー宅に赴き、金を手渡す。申し訳なさそうに受け取るリャンズー。幼な友達同士の友情は心地よく、見る者の胸へ響く。愛はなくとも昔と変わらぬ男女間の仲間意識は、青春の最後の残り火の輝きである。
一方、タオの父親が急逝。彼女は、別れた夫と異国オーストラリア暮らす息子、ダオラーを葬儀に呼び寄せる。長い間、顔を合わせていない母と子。2人の間には会話が生れない。
すっかりオーストラリアの生活に慣れた息子にとって、既に中国は異郷の地である。息子の違和感に気付く母タオは、幼い彼に、いつでも戻ってこいとの思いを込めて家の鍵を渡す。
現代の中国は、発展期を通り過ぎ、格差社会へと姿を変え、それを時代背景に、人の気持ちも変わる現状を採り上げている。ここに、ジャ監督の人と時代を見る透徹した眼差しが感じられる。



2025年「新しき世界」

タオと幼いダオラー
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 タオは中国にとどまり、実業家として活躍する。一介の小学校教師タオが実業家として成功する要因が、中国社会の中に出来上がっていることを、本作は証言者の立場から語る。ジャ監督の作品を通して、彼が固執する大きなテーマは、現代中国の鬱積(うっせき)した青春である。本作でも、1部では出口の見え難い青春を、2部では青春の帰結をとらえ、彼本来のスタイルをいま一度、強力に押し出している。ラストは、新しい方向性へと流れ込む。中国の青春と移民の問題だ。移民でも、難民や棄民ではなく、力をつけた中国人の新たな姿を取り上げる。その行き先がオーストラリアである。
現在のアジアにおける最大の問題は、南沙(スプラトリー)諸島を実効支配していることだが、その力の政策の先にあるオーストラリアが到達点で、本作の今後の行先と定めている。相当に必然性の高い選択である。

ミア
(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 オーストラリアでも成功した父に伴う息子ダオラーが第3部の主人役だ。英語教育を受ける彼は19歳となり、顔は東洋人、頭の中は西欧人である。その彼が自発的に、東洋人のアイデンティティを取得するために、中国語を勉強し始める。
ダオラーと、異郷における中国語教師ミア(シルビア・チャン/香港、台湾のトップスターで、最近は監督、脚本家)との交友が発端となり、40歳も年の違う2人は恋愛関係に陥り、性愛関係を結ぶ。
ダオラーにとって中国人としての存在証明は、故郷汾陽で暮らす母のタオである。その彼を恋人として、また息子のように支えるのがミアなのだ。海外暮らしでも、中国人は中国人であるとのジャ監督の強い確信が読み取れる。
今や、中国を代表する国際的監督として、世界の映画界で認知されるジャ監督は、中国の現状に見られる出口のない青春を描き続けてきたが、本作『山河ノスタルジア』では、出口の先へと一歩足を踏み入れた感がある。一皮むけたと言えるであろう。描く対象の幅に広がりを見せ始めている。
今年46歳を迎える彼の次の一手への期待が高まる。




(文中敬称略)

《了》

4月23日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

映像新聞2016年4月25日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家