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『つむぐもの』
初老の職人と韓国人女性の共同生活
介護を通じて描く心の交流

 小品だが、味わい深い作品『つむぐもの』(犬童一利監督)が公開中である。低予算、スターなしの1作だが、作品意図がはっきりし、作り手の思いが伝わる。新人監督の手になる本作、今後気をつけて動向を追わねばならない。話の筋は、本来会うことのない人物たちのぶつかり合いを描き、異なる文化の違いがアクセントとなり、そこが面白い。

日韓の文化的差異

剛生とヨナ
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

  物語の発想のもとは、日本と韓国の違いにある。舞台は福井県の丹南地域、韓国は百済歴史地区が多くある扶余(プヨ)郡で、それぞれの背景がはっきりしている。丹南地域は、緑濃い地方の古い町、韓国は田舎の商店街アーケード内の食料品店が舞台となっている。
登場人物は、丹南地域特産の紙すき和紙職人剛生(石倉三郎)、一方韓国側は、学卒でありながら仕事が長続きしない若い娘ヨナ(キム・コッピ)。家の中でコーラを飲みながらマンガ(どうも『NARUTO−ナルト−』らしい)を読みふけり、一日中ゴロゴロし、親許で過ごす無職の彼女は、Tシャツに短パンと全く色気がない。
彼女は、博物館に一時勤めるが、退出時間が早すぎると上司から注意され、口答えをし、やり合い、果てはゴミ箱を頭からかぶせ、即刻クビを申し渡される。母からは文句を言われ、別かれた父の所へ相談に行かされる。そこで、父はワーキングホリデーで紙すきの勉強に丹南へ行くことを薦める。ほかにすべきこともない彼女は、気乗りはしないものの、日本行きを承知する。
丹南の雇い主は、伝統工芸の紙すきのベテラン職である剛生に弟子入りのつもりで迎える。しかし、彼は直前に脳腫瘍で倒れ、半身不随の身。弟子入りの話は流れ、ヘルパーへと変更される。
突然の事態、ヘルパーの経験はなし、日本語はまるで駄目な彼女は「クソジジイ」と剛生に悪態をつき怒り狂うが、病人相手のヘルパーを渋々のまされる。
一方、剛生は気難しい職人気質でヨナに愛想一つ言わず、仏頂面を通す。まるで噛み合わない初老の剛生と若いヨナの共同生活が始まる。
ここで、みっちりと日韓の文化的差異を見せる仕組みだ。


介護問題

工房の剛生
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

 剛生は体が不自由なため、訪問介護を受けることになる。担当の介護福祉士は涼香(吉岡里帆)で、彼女は福祉とは日々の幸せという信念を持ち、マニュアル通りに一生懸命、剛生の介護にあたる。しかし、常に優しく、辛抱強く患者に接するが、理想と現実の狭間で苦しむ。
例えば、むずかり暴れる老人は、一様に無表情である。しかし、素人のヨナは、車椅子を思い切り押し、手を離す。あまりに大胆な扱いに涼香は驚くが、患者は初めてにっこりと笑う。患者にとり、型にはまった介護はうんざりなのだ。



日本酒とマッコリ

二人の晩酌
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

 気難しい振舞いにより、職人としての誇りが保たれると思い込む剛生と、色気ゼロ、気の強さは一流のヨナとの組み合わせ、おまけに、2人は言葉が通じないとの設定が面白い。この2人がいつ心を開くかが、出だしの興味の焦点となる。
ある晩、体の自由がきかない剛生は床の中で粗相をし、ヨナが体を流すことになり、彼は少しばかり彼女に負い目を感じ、わずかだが態度が変わり、打ち解けてくる。むろん、ツッケンドンな物言いは変わらぬが。
さらに、紙すきの実演ショーが工房で開催されることが、ヨナの来日以前から決まっており、彼女はまるでアシスタントのように大張り切りで手伝う。その晩、2人は初めて打ち解け、剛生は日本酒、ヨナはマッコリの瓶を抱えて晩酌をする。2人とも上機嫌で、彼は彼女に日本酒を勧める。ハイタッチを指で行う指キッスをし、ヨナも満足気。ここで初めて、2人のコミュニケーションが確立する。このシーンが前半のハイライトだ。



息の合うコンビ

工房での実演ショー
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

 2人は家にばかりこもらず、散歩に出かけ、日本語が上達した彼女は、彼と尻取りゲームをし、和気あいあいである。
彼の体調が快方へ向かい、2人は遠出を試みる。行先は福井の奇岩で有名な東尋坊。海に飛び出した奇岩群を生まれて初めて見たヨナは、大はしゃぎ。以前の不貞腐れ面の彼女ではなく、笑顔が輝く。



悪夢の始まり

ホームでの剛生
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

 ヨナが東尋坊の絶景に心を奪われている時、剛生は再び脳腫瘍の発作を起し、病院へ担ぎ込まれる。楽しい遠出もこれで暗転。老人ホームと相談なしの外出で、周囲は彼女が観光をしたくて彼を連れ出したと勘ぐる。奔放で、良かれと思っての行為が裏目に出てしまう。
彼女自身は、マニュアル通りの介護を軽々と乗り越え、患者の自由意思を尊重し喜ばれたのだが、そのことが騒動のタネとなった。介護の抱える問題が浮彫りとなる。
老人ホームとしては患者を丁寧に、丁寧に扱い、職員たちは奉仕の精神を持ち彼らに接する。彼らに特段の落ち度はない。丁寧な応接で非の打ちどころのない介護ではあるが、患者をマニュアル化された型に押し込む負の現実がある。患者の自由な意思が尊重されていない。ここに、わが国の介護システムの致命的な欠陥があることを衝いている。作り手の正鵠(せいこく)を射た指摘だ。


負の連鎖

東尋坊での2人
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

 ヨナの献身に対しては、誰も異論を唱えないが、ホーム側は明らかに困惑する。しかも善意の人々が中心の組織であり、患者を心から喜ばすヨナの行動を攻め切れない。善意のヨナに対し、困りながらも好意的であり、この辺りの描き方は、人を納得させる。
しかし、ヨナに対し、不快に思う人々が存在し、負の連鎖を呼ぶ。先ず、剛生の息子が全くヨナを信頼せず、「韓国人ヘルパーだから、余計なことをする」とあからさまに不快感を口に出す。隣国、韓国に対する優越意識ムキ出しであり、戦前の朝鮮人観を思い起させる。
物語の構成上、このような差別意識を挟むことは、作品にメリハリをもたす意味で有効である。同時に、犬童監督を始めとする作り手の真っ当さが垣間見える。


剛生の男気

 病床を見舞うヨナに対し、剛生は余命が短い自身のことを思んばかり、彼女に帰国を命じる。
それを受けて呆然自失の彼女だが、これは悪意からではなく、ヨナの身を心配し、むしろ帰国した方が良いとする彼の親心と受け止める。不器用な剛生の最後の好意であろう。


演じ手

ヨナ
(C)2016 「つむぐもの」製作委員会

  石倉三郎とキム・コッピが好演
石倉三郎は、コメディアンのレオナルド熊(アナーキーで破壊的ギャグが売りの笑える芸人)の相方くらいしか知識がなかったが、年相応の(69歳)の年輪が出ており、クサみもなく好演の部類だ。
韓国人ヨナ扮(ふん)するキム・コッピのキャラクターが、作品に1本の芯を通している。ふて腐れの演技は、フェロモン抜きのキャラクターがさえ、機嫌の良い時の天真爛漫な笑顔は、自然体そのものである。そして、堂々と文句を付けるあたり、やはり韓国人の強さを感じさせる。ヤン・イクチュン監督の『息もできない』(08年)で一躍注目を浴び、アジア映画次世代のミューズと言われる彼女は、目が離せない

 



(文中敬称略)

《了》

3月19日(土)より、有楽町スバル座ほか全国順次ロードショー

映像新聞2016年3月28日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家