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『海よりもまだ深く』
進化続ける是枝裕和監督の新作
団地を舞台に描く家族の絆

 5月11日にフランス・カンヌで開幕した第69回カンヌ国際映画祭(以下、カンヌ映画祭)の「ある視点」部門に、是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』が選考された。昨年は『海街diary』がコンペ部門に出品され、今や彼は日本を代表する監督と考えてよい。カンヌ映画祭期間中の5月21日から本邦公開が決定している。
 
『海街diary』は、2015年のカンヌ映画祭で公式上映され、大げさではなく多大な拍手が送られた。是枝監督は13年に同じくコンペ部門で『そして父になる』が上映。終映後、それまでの日本映画で一番と思えるほどのスタンディングオベーションに包まれた。だが、『海街diary』は、それ以上の拍手を浴び、彼のカンヌでの人気のほどを知らしめた。
このように是枝作品の評価は、カンヌでは既に定着した感がある。01年に『ディスタンス』でコンペ部門に出品以来のカンヌ育ちだ。河瀬直美監督は『萌の朱雀』(1997年)での監督週間出品とカメラドール(新人賞)受賞で、カンヌ・グループ入りしており、この2人のカンヌ出品歴は非常に長い。
これは、カンヌ映画祭の最近の顕著な傾向だが、「カンヌ育成タレントの囲い込み」と考えられる。果たして、どれほど日本映画を見ているか疑問だ。日本映画には外国に知られていない秀作はある。これらの選考、選ぶ側のチェリ・フレモ総代表(選考担当)が楽をしているフシが見受けられる。


是枝作品の進化

家族
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

  今年54歳を迎える是枝監督は、中堅だが海外出品歴も多く、着実に進化している。昨年の『海街diary』で見られるように、脚本はよく書き込まれ、目が詰まっており、丁寧に作られている。この辺りが、時に主人公が消えてしまう河瀬監督脚本との違いだ。演技面だが、是枝監督の役者扱いに巧みさが感じられ、俳優のアンサンブルがよいのは、現場の仕切りのうまさであり、これも才能の1つだ。
そのほか、映像的に確実に腕を上げている。例えば『海街diary』だが、極楽寺駅の撮り方では、4通りに別々の構図でとらえている。自身でルーペを覗きアングルを指定する故増村保造監督は「人間の物の見え方は、一瞬たりとも同じではない」とし、常にカメラ・アングルを変え撮影監督を悩ませたが、是枝監督の映像感覚は既にその域に迫っている。


家族

良多と母親
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

 是枝監督メインテーマは、初期の『幻の光』(1995年)や『ディスタンス』(2001年)を例外とすれば、強く家族にこだわっている。芸術にとって家族とは、古今東西、神代の時代から変わらぬテーマであり、芸術家の使命は、いかに自身の色をそれに付けて表現するかにかかっている。是枝監督は家族を負の連鎖の愛憎よりは、断ちきれない結びつきに目を向けている。



物語のアウトライン

良多と探偵社の上司
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

 舞台は東京郊外、清瀬市の旭が丘団地。昭和40年代に建てられた、勤労者向けの集合住宅である。是枝監督は9歳から28歳までそこで暮らす。彼は団地を題材とした作品の構想を、長らく温めていた。そして、前作『海街diary』制作のときに脚本執筆。都心の高級マンションにはない、団地における庶民の暮らし振りが描かれている。



登場人物

母と娘
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

 興味深い主役一家の人物造型
是枝監督は、明らかにうまい役者を好み、大先輩、小津安二郎監督、新藤兼人監督と同系列だ。
登場する一家の人物造型が興味深い。その中心は、樹木希林扮(ふん)する母親の淑子。最近引っ張りだこの老優で、既に5作品に出演する是枝組の大黒柱だ。文学座研究所出身で、当時は宝塚風の芸名「悠木千帆」と名乗っていたが、テレビ番組のオークションでその芸名を競売にかけ、現在名に改名。娘にも、おトボケいっぱいに也哉子(ややこ)と名付ける。文学座研究所時代の同期に小川真由美がいる。
物語は、夫に先立たれた淑子が団地で一人暮らしの設定。その長男を阿部寛が演じる。モデル出身の彼は、イケメンのオチャラケ系と想像しがちだが、カッコ良さを封印し、汚れ役に徹して存在感を示す。『青い鳥』(08年)、『エベレスト 神々の山嶺』(16年)などでもシリアスな芝居でいい味を出している。

探偵の良多
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

 本作では、従来の彼のイメージをがらりと変え、中年になっても自立できない長男、良多に扮している。良多は15年前に文学賞を得たが、その後は芽が出ない。しかし作家の夢を諦め切れず、今は探偵事務所勤務の身。妻の響子(真木よう子)には、とっくに愛想を尽かされ、彼女は息子の真悟を連れて離婚している。
肉親の淑子は、いまだに息子の世話を焼き、彼は甘え放し。しっかり者の姉、千奈津(小林聡美)には時折小遣いをもらう情けない身。しかも大のギャンブル好きで、息子への養育費も滞りがち。何とも始末の悪い中年男"丸出駄目夫"であり、これを阿部が真面目くさって演じる。
良太の駄目男ぶりは、根は善人だが、やることなすことすべて裏目裏目へと出るツキのない人間だが、暗くない。この役柄が様になっている。
樹木希林を中心に、阿部寛、そして脇に小林聡美と、うまい役者をそろえた。彼らの存在により、世間の一隅の家庭劇がきっちりと引き締まる。
探偵事務所で働く良多の上司には、うさんくさい中年男を演じさせたら右に出る者はいない、リリー・フランキー(芸名からしてくせ者風ではないか)を配している。これ以上ないアンサンブルだ。



なれない人々

元夫婦(右真木よう子)
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

 是枝監督の発想には「みんなが、なりたかった大人になれるわけじゃない」という思いがある。「なれない人々」の頂点に駄目男、良多を配し、周囲の家族を膨らます手法である。
「なれない人々」は、市井(しせい)の普通の人間たちで、庶民と呼べる存在である。そのような集団の結びつきと離合を描き見せるのが、作品のメインの意図であり、見る人々を納得させる力がある。いわば「分かる!分かる!」の世界なのだ。


1つ1つのエピソード

賭けに熱中する良多
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアルAOI Pro. ギャガ

 どうしようもない現実を前に、夢をあきらめ切れない人間について、いくつかの物語を紡いでいる。
最初は「夢をあきらめきれない人々」の本拠地が家庭であり、郊外の団地が設定される。そこには、未亡人となった母親が1人で暮らす。その母親を軸に、彼女を中心に話は巡る。
ロケセットであろうか、団地の台所とダイニングのリアル感に驚かされる。そして、是枝監督の神経の細かさか演出力か、とにかく観察が鋭い。その一例が、小道具としての冷蔵庫の扱いである。
誰かが来れば冷蔵庫の冷凍カレーを、そして夏の暑さには、水にカルピスを入れ冷凍するカチカチの冷菓が振る舞われる。出された方は、氷と悪戦苦闘する。ちょっとおかしくも生活感があふれる。
ラストでは台風が襲来し、バラバラの一家が否応なく1つになる。話の運び方、ストーリーテラーとしての是枝監督の手腕が光る。
ハナシのうまさ、映像の的確さ、俳優のアンサンブルの良さと、まとまりの良い作品に仕上がった。カンヌ映画祭で外国人の目から、いかに評価されるか、見守りたい。


 



(文中敬称略)

《了》

5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他全国ロードショー

映像新聞2016年5月16日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家