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『第69回カンヌ国際映画祭』報告(1)
ケン・ローチ監督作品が最高賞
社会的弱者の側に立った主張

 第69回カンヌ国際映画祭(以下カンヌ映画祭)は、5月11日−22日の12日間、南仏カンヌで開催された。映画祭参加者数は増加し、プレス試写会場は毎回ほぼ満席、市内にも海と太陽を求める観光客が溢れ、映画祭は隆盛を誇る。一時期、世界的な気候異変の影響か、南仏自慢の強い陽光がかげり気味で人々を落胆させたが、今年は輝く太陽の下での映画祭となった。映画祭は華やかで、豪華さを誇り、お祭り気分を盛り上げることが常に求められる。一方、人々の日常に根差す作品や今日の社会状況を照射する作品が待望される。


ベテランの登場

受賞記者会見 ケン・ローチ監督、隣りは盟友のプロデューサー、オブライアン
(C)八玉企画

撮影中のグザビエ・ドラン監督(中央)
 

  やや新味に欠けた「コンペ部門」
 今年のコンペ部門の選考作品発表の際、率直に言って、ベテラン、著名監督作品が多く、大部分は既にカンヌの認知を受け、いささか新味に欠ける印象を受けた。
ケン・ローチ監督(英、『麦の穂をゆらす風』2006年/パルムドール)、既に2度のパルムドール獲得しているダルデンヌ兄弟監督(ベルギー、『ロゼッタ』1999年、『ある子供』2005年)、ルーマニアに初のパルムドールをもたらせたクリスチャン・ムンジウ監督(『4カ月、3週と2日』07年)、本映画祭の大物常連、スペインのペドロ・アルモドバール監督(『ボルベール〈帰郷〉』06年/脚本賞)、カナダの27歳の天才青年グザビエ・ドラン監督(『マミー』14年/審査員賞)などが顔を揃えた。




出品作品

 2年目の会長職を務めるピエール・レスキュー(元有料テレビ局「カナル・プリュス」の創設者でジャーナリスト)の顔を立てる意図が選考で感じられる。フランス作品がコンペ部門21本中5本、いささか多すぎる。
例年4本ぐらいのアメリカは3本、英語圏作品を含めると5本となり、微妙なバランスを保っている。アジアからは韓国のパク・チャヌク監督とフィリピンのブリランテ・メンドーザ監督、そして、最後に飛び込み出品となったイランのアスガー・ファルハディ監督作品の3本であり、日本、中国圏作品は除かれた。
また、近年、徐々に注目を浴びる東南アジア作品もフィリピンを除き、選考されなかった。



映画祭の発展

 カンヌ映画祭がここまで発展を遂げたのは、1983年、新パレス建設以降である。
当時のジル・ジャコブ会長は、フランスの週刊誌「レクスプレス」出身の映画評論家であったが、大変な経営の才の持主で、カンヌ映画祭を極めて優良な団体に仕上げた。
彼の方針には2つあり、その1つはテレビ局の活用、もう1つは同業企業1社に与える独占スポンサー権で、予算総額は25億円とされている(非公表)。このスポンサー権手法は、筆者の推測だが、オリンピックのサマランチ元会長方式を見習ったものだろう。



記者会見

『カフェ・ソサエティ』

 テレビ局作戦としてはハリウッドスターを重用している。初日の記者会見ではウディ・アレン監督(『カフェ・ソサエティ』)、そして、翌日は『マネー・モンスター』(特別招待作品/ジョディ・フォスター監督、ジョージ・クルーニ、ジュリア・ロバーツ主演)と、現在のハリウッドの2大スターの会見に場内は満員で、テレビカメラが立錐の余地もなく待機、まさに大物登場である。

ジュリア・ロバーツ(『マネー・モンスター』)
(C)八玉企画

  ハリウッドスターの認知度は別格で、テレビなどの映像がフランス国内、そして世界各国へ発信され、カンヌ映画祭にとって絶好の宣伝となる。ジュリア・ロバーツの美ぼうと明るさは、これぞ本物のハリウッドスターの趣だ。取材する側にとり、記者会見は実物を間近で見られる、願ってもない機会だ。
ほかに、ショーン・ペン監督、ジム・ジャームッシュ監督、フランス勢では女優のマリオン・コティアール、ナタリー・バイ、ジュリエット・ビノッシュ、6月末に東京で開かれる「フランス映画祭」の団長を務めるイザベル・ユペールなどの顔が見られた。


パルムドール

『セールスマン』

 最高賞のパルムドールは、英国のケン・ローチ監督作品『ダニエル・ブレイク』が受賞した。同監督にとり2度目のパルムドールとなった。彼は2006年に『麦の穂をゆらす風』以来の受賞となる。本年のコンペ部門出品者の中では、2度パルムドールを受賞しているダルデンヌ兄弟監督がいる。日本では今村昌平監督が『楢山節考』(1983年)と『うなぎ』(97年)で二冠保持者だ。
今回のパルムドール受賞作品の原題は"I, Daniel BLAKE"である。主人公のダニエル・ブレイクは大工だが、心臓疾患のため59歳で仕事を辞めざるを得なくなる。その彼、失業保険手続きのため福祉事務所へ出向くが、既定の条件を満たしておらず、事は順調に運ばない。わが国のハローワークのような存在である。
保険申請手続きのための福祉事務所は、多くのワーキングクラスや低所得者たちが集まってくる。主人公のダニエルは、そこで幼い2児を抱える若いシングル・マザーが途方に暮れているのを目のあたりにする。人が困っているのを黙って見ていられない彼は、話しかけ事情を聴くと、彼女も給付条件を満たしておらず、手当を受取れない。ここで、貧しい者同士の交流が始まる。
彼は同情し、女性の生活振りを見に住居を訪れると、ちょうど母子3人での食事中。ハヤシライスのような食事で人数分の用意しかなく、彼女は一皿をダニエルに譲り、自分は空腹ではないとリンゴをかじる。ここに、子供の貧困問題の現実が提示される。
ケン・ローチ監督自身もワーキングクラス出身だが、成績優秀の彼は、オックスフォード大学に学び、卒業後は公共放送BBCに入社、ドキュメンタリー制作者となる。
出自はワーキングクラスでありながら、社会的にはエリート階級に属するが、常に働く者、弱者の側に立ち、社会的不平等感への怒り、労働者の連帯を大きなテーマとする左翼の巨匠監督である。


デビュー以来ブレないテーマで突く

『ダニエル・ブレイク』

 彼の立場はデビュー以来ブレテいない。ブレないこと、愚直なまでに変わらぬことを信条とする生き方に対し、多くの人々が彼に敬意を払っている。誠実で、真っ当な感性の持主の彼の人柄は、記者会見の席でも肌で感じる。
一方、彼は単なる反体制派でなく、完備しているはずの自国の社会福祉制度の盲点を『ダニエル・ブレイク』で突くこともいとわない。
同様に、母親の問題にされがちな生活態度のため、子供の親権を福祉当局に奪われる事件に対し、制度の硬直性に怒りをぶつける『レディバード・レディバード』(1994年)は同傾向の作品だ。
タイトルの『ダニエル・ブレイク』の由来は、悲しいがユーモラスでもある。福祉事務所との面談が不調、お先真っ暗になり、帰り道、道路沿いの塀に「自分は、ダニエル・ブレイク」と大書きする。「もっと人間らしく扱え」と訴える、彼の必死の抵抗である。
それを通りすがりの人々が面白がり、はやし立て声援を送るシーンは、ローチ監督得意の階級の連帯であり、痛烈なユーモアである。ローチ監督作品としては、晩年の円熟の頂点といえる。
この受賞結果、受賞式会場ではブーイングが起きた。フランスの新聞「ル・モンド」紙や「フィガロ」紙は、受賞に相応しい作品ではないと非難の論陣を張る。常に同じテーマを繰り返すローチ作品への不満である。
興味深いことは、フランスの批評は身びいきで、わかりやすい作品より、ひねりの効いた小難しさを好む傾向が強く、その源流の代表格が映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」であろう。ローチ作品は、フランスの映画評論家を狂喜乱舞させる要素はハナからない。しかし、彼が打ち出すヒューマニズムに誰も異論を唱えることはできない。
現実に、人々の身辺で起きていることを描くことは、表現者として必要なことであり、時代の証人たる映画人の良心でもある。受賞後の記者会見で、彼は、現状に対する厳しい言葉を口にする。
「現在のネオリベラリズムは人々を貧困へ陥入れるものである。そのなかに、人々の小さな物語があり、彼らの日々の営みを描くことが作品のテーマである。貧しい人々の日常が制限される現状を把握することが必要だ」。
何度も繰り返す彼の主張、時代の要請とも解釈できる。


 



(文中敬称略)

《つづく》

映像新聞2016年6月6日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家