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『イングリッド・バーグマン〜愛に生きた女優〜』
大女優の自伝ドキュメンタリー
映画史の観点からも貴重な内容

 映画は時代時代で大スターを生み出し、各人が自分のスターを持ち得るくらいに、その影響力は強い。20世紀の大女優の1人に数えられるのが、スウェーデン出身のイングリッド・バーグマン(1915−1982年、67歳没)であろう。その彼女の映像版自伝ドキュメンタリー『イングリッド・バーグマン〜愛に生きた女優〜』(以下、『バーグマン』/スティーグ・ビョークマン監督、スウェーデン)が公開中である。映画史の観点からも非常に興味深い1作だ。


なぜ、今、バーグマンか

バーグマン カンヌ映画祭2015
(c) 八玉企画

 大量の私的映像や遺品で構成
 2015年はバーグマンの生誕100年で、それを記念し、彼女のポートレートがカンヌ国際映画祭のフェスティバル・ホール正面ファサッドに飾られ、自伝的ドキュメンタリーが特別上映された。既に没後34年となるが、戦前から戦後の彼女の足跡が丹念に記されている。
欧米ではバーグマン研究者が存在し、何冊かの著作も刊行されている。しかし、本作『バーグマン』は故人の遺品により構成され、しかも、1900年初頭からの個人蔵の映像資料が下敷きとなっている。
バーグマン自身は、幼いころから何でも取っておく収集マニアで、最初のパスポート(もちろん少女時代)、学校の成績表(点はあまり良くない)などの珍しい遺品が残されている。
これらのすべては、彼女の4人の子供の提供による。膨大なホームムービー、日記、手紙、そして本人のインタビュー映像であり、その数の多さに圧倒される。まさに一次資料の宝庫である。『バーグマン』製作の発端は、末娘で女優のイザベラ・ロッセリーニがビョークマン監督に「ママの映画を作って」と依頼することから始まる。

子供たちとバーグマン
  (c) Mantaray Film AB. All rights reserved.
Photo : Wesleyan Cinema Archives

 バーグマンは、1940年代から70年代まで世界的に絶大な人気を誇り、日本でもファンが多い。40年代の『カサブランカ』(42年)、『誰が為に鐘は鳴る』(44年)で爆発的な人気を呼び、社会現象となった。
戦前のわが国では、インテリを中心とした確固たる欧州映画ファンが存在し、その彼らが欧州出身のバーグマンを支えた様子は納得できる。また、時代は第二次世界大戦中で、人々は彼女の明るさ、華やかさに魅了されたといえよう。
例えば、『誰が為に鐘は鳴る』の洞窟から現れる、手足が長く、ショートヘアの彼女の美しさに驚かされる。日本でいえば、山中貞雄監督の『河内山宗俊』(36年)の原節子であろう。甘酒売りを演じる16歳のかれんな彼女の美しさに匹敵する。


生い立ち

カメラを帯行するバーグマン
  (c) Mantaray Film AB. All rights reserved.
Photo : The Harry Ransom Center, Austin

 バーグマンの人間性を語る上で、彼女自身の生い立ちに触れる。
彼女は、1915年スウェーデン生れ。生家は元来美しいストックホルムの中心にあり、ベランダからの海の眺めは、高級住宅地の一角と思われ、裕福な家庭環境と考えられる。父は芸術家・カメラマン、母はドイツ人であったが、3歳の時に母を、13歳の時に父を亡くしている。その後は叔父に引き取られ、孤児ではない。この家族の喪失が当時の彼女に大きな影響を与えている。
彼女は、自宅からすぐ近くにある王立ドラマ劇場付属の演劇学校のオーディションを受け合格。もともと女優志望であり、そこを1年で辞め、映画界入りする。この学校は、数年前まで先輩格女優グレタ・ガルボも学ぶ名門である。
映画界に飛び込んだものの、最初は当然エキストラ、その後に第1作『ムンクブローの伯爵』(34年)に初出演。この初期のスウェーデン時代に12本出演し、一応名の売れた存在となる。1937年に歯科医ペッテル・アロン・リンドストロームと結婚し、翌年長女ピアをもうける。



バーグマンの人となり

バーグマン、ヒッチコック監督(後ろ向き)
(c) Mantaray Film AB. All rights reserved.
Photo : The Harry Ransom Center, Austin

 21歳での結婚は、現在では早婚の部類だが、当時なら普通のことである。持ち前の美ぼうながら、独身を大いに楽しむタイプではない。ここに、彼女の堅実な性格を感じさせる。
しかし、スウェーデンで知られる大女優の卵は、さらに自分の可能性を試すために渡米を決意、この折、「私は多くを望んでいるのではなく、すべてを手に入れたい」と大胆な発言をする。意欲満々なのだ。彼女は大きな野心を秘めているが、実際は大変に内気であった。内気と壮大な野望の二面性は生涯変わらない。
彼女は、家族への愛着が強く、ペッテルとの間に1人娘ピア(テレビのアンカーウーマン、プロデューサー)、ロッセリーニ監督との間の長男ロベルト(不動産業)、双子のイングリッド(イタリア文学者)、そして女優で知られるイザベラがいる。

イザベラ・ロッセリーニ 
(c) Mantaray Film AB. All rights reserved.

 バーグマンは家庭と仕事をはっきりと分け、欧州に残る子供たちとは、撮影の合間を利用して一緒に過ごす努力を重ねる。家族間の交流は、離れる時間が多い割には円滑である。
このことは、バーグマンの遺品のホームムービーでたくさん見られる。彼女のカメラ好きは明らかに亡父の影響であり、一家だんらんはもちろんのこと、撮影所でもカメラを携行している。幼い子供たちと一緒の彼女の上機嫌な表情は、見ている方も幸せな気分になる。



人気の秘密

母について語るイザベラ(中央)、シガニー・ウィーバー(左)リヴ・ウルマン(右)
(c) Mantaray Film AB. All rights reserved.

 大スター、バーグマンの人気は絶大なものがある。それは、彼女の持つ自然体、特に、若いころの健康美は輝かんばかりである。北欧やドイツの女優の特徴として、あまりフェロモンに頼らないところがある。いわば、ノーメイクの美しさを持ち合わせ、ここがフランス、イタリアの女優との大きな違いである。
バーグマンはその北欧女優の典型であり、いわば中性的である故に人気を博している。似た例として、オードリー・ヘップバーンの女おんなしない魅力と通じるものがある。



ロッセリーニ監督との恋

英語教師とバーグマン
(c) Mantaray Film AB. All rights reserved.
Photo : The Harry Ransom Center, Austin

 バーグマンの一生を彩る最大の華は、イタリアンネオリズモの旗手たるロベルト・ロッセリーニ監督との大恋愛である。
ハリウッドでロッセリーニ作品『無防備都市』を見た彼女は、それまでにない感銘を覚える。そして、ハリウッドで満たされぬものを感じる時期でもあり、直接、ロッセリーニ監督に出演を望む手紙を書き、『ストロンボリ』(49年)に抜擢される。
この撮影中に2人は不倫関係に陥り、彼女は彼と再婚し3人の子供をもうける。それはマスコミに騒がれ、世界的ニュースにもなる。
しかし、2人は1957年の離婚。わずか7年で終わった結婚生活の末期、ロッセリーニ監督は長期のインド・ロケに出かけ、その後インド人女性と3度目の結婚をする。バーグマンは56年、『追想』でハリウッドに復帰する。
彼女はロッセリーニ監督作品5本に出演。最後の作品が『不安』(54年)であるが、この間結婚生活は実質的に破綻していた。この世紀の結婚、2人の言語によるコミュニケーション不足が原因といわれる。
ロッセリーニ監督との出会いの前に、バーグマンは戦場カメラマン、ロバート・キャパと恋に落ちるが、世界中を飛び回るキャパとの恋は難しく、早々と別かれたことが、のちの自伝で語られている。


天性の明るさ

バーグマン
(c) Mantaray Film AB. All rights reserved.
Photo : The Harry Ransom Center, Austin

 バーグマンは多くの人々を魅了するが、それは彼女の持つ天性の明るさ、若い時なら健康美、そして持ち前の好感度に由来する。子供たちは「勇気のある人」(長男、ロベルト)、「全力で生きた人」(次女、イングリッド)、「チャーミングな人」(三女、イザベラ)、と評している。開放的で家族思いの母親である一方、仕事一途の面を持ち合わせる人物であることが理解できる。
175センチメートルと当時としては長身の彼女から、多くのファンは時代の先端を行く、伸び伸びとした開放感を読み取ったのではなかろうか。ロッセリーニ監督との大恋愛と、3児の母となる彼女の姿はバーグマンの人生の凝縮ととらえられる。
若い時代の彼女はハツラツとし、年配になってからは毅然とした佇(たたず)まいが見る者を魅了した。戦争を挟んでの20世紀、彼女の存在は際立ち、「世紀のミューズ」と呼ぶに相応しい。
本作で極めて興味深いことは、彼女が撮った数々のホームムービーである。これでバーグマン研究の映像的なアプローチが可能となり、映画史研究の輝く1ページとなっている。


 



(文中敬称略)

《了》

8月27日(土)、Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー中

映像新聞2016年8月29日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家