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『Start Line』
耳の不自由な監督による自己啓発
自転車で日本縦断に挑む

 耳の不自由な今村彩子監督は、聞こえる人とのコミュニケーションの取り方に悩み、それに触発され作り上げられたのがドキュメンタリー『Start Line(スタートライン)』で、現在公開中である。今村監督は今年37歳、名古屋在住であり、映画監督として活動をしている。彼女は、生まれながらの聴覚障害者で、全く聴力がない。


多くの人々との交流を目指して

走行中
(C)Studio AYA

 耳が聞こえないといえば、手話で意志の疎通を図ると思われるが、手話はコミュニケーションの一部であり、必須機器は補聴器。(※補聴器を使わない聴覚障害者もいます。) これにより音が初めて届く。しかし、機器だけで健聴者と同等に話せるかといえば不可能で、補助手段として手話、相手の唇の動きの読み、最終的に筆談と、数々のハードルがある。
彼女の場合、相手の話すことが理解できれば、少したどたどしいが言葉を音にできる。しかし、これまでの彼女の人生での最大の悩みは、他人とのコミュニケーションの取り方である。相手の言うことが分からねば、「自分は聞こえないから仕方ない」と言い訳をし、自分の殻の中にこもりがちとなる。
この壁を乗り越え、多くの人々とコミュニケーションを図るための方策として、自転車による日本縦断の旅を思いつく。多くの人々とのコンタクトがこの旅の目的であり、これからの自身の生き方に対する答えを見つける期待感が彼女の背中を押す。


伴走者

ウィル(右)と哲さん
(C)Studio AYA

 日本縦断の旅において、制約の多い彼女の伴走者兼カメラマンとして参加するのが、大型自転車ショップ「ジテンシャデポ」のスタッフで、空手の師範でもある堀田哲生(以下、哲さん)だ。
哲さんは、お坊さんのようなツルツル頭で温厚な人柄の30代と思われる青年で、カメラを操作し、走る今村監督を追う。彼女とは旧知の間柄のようだ。仕事を持つ身の人間が2カ月間、彼女と行動を共にすること自体驚きである。



旅のルール

応援する見知らぬ家族
(C)Studio AYA

 撮影担当の哲さんと彼女の間には、いくつかのルールが決められる。自転車のパンク修理、タイヤチューブ交換など簡単な作業は助けない、撮影すること以外は助けない、通訳はしない、宿の手配・キャンセルなど私(彼女)の代わりにしない、道に迷っても教えない―とかなり厳しい。
これは、ひとえに彼女の人に頼らず自力での行動を促すためである。例えば、パンク修理で55分もかける彼女の遅い作業に、彼は黙って見ているだけだ。



製作資金集め

2人の自転車
(C)Studio AYA

 『Start Line』は、アマチュア映画に毛の生えたくらいのもので、ベタで撮った記録を編集し、実質的には演出は存在しない。たとえ極少編成の今村組でも、人間が動けばお金が必要となるのは、ほかの世界と同じで製作費が必要となる。
そこで考えついたのがクラウドファンディングで、183万円をかき集める。ほかに山用品の大手モンベル、資生堂、ダスキンからも寄付を募り、何とか最小限の製作費用を調達する。
この製作費で、宿泊、食事代を捻出し、カメラマン兼伴走者の哲さんへのギャラも賄う。学生映画並みの予算だが、金策に手を尽くす今村監督の本気度が読み取れる。



失敗の連続

調べ物をする今村監督
(C)Studio AYA

 自転車に関してはアマチュアの今村監督、プロの哲さんとの2人旅、彼女が18キログラムの荷物を積み先頭を走り、彼が撮影をしながら伴走する。彼女は最初からハンドサイン(右折や左折のサイン)の度重なる失敗、信号無視などで、哲さんは厳重注意、しかし、彼女は悪びれた様子を見せない。それにイラ立つ彼。
酒好きの哲さんは、いつも居酒屋で焼酎片手の夕食。これは1日の反省会と、もう1つ秘められた目的がある。それは、ほかの客との会話の輪に彼女を巻き込むことである。
しかし、彼が「彼女は映画監督で、自転車で日本縦断中」と紹介するものの、彼女は話の輪に入ろうとしない。半分は話の内容が理解できないこと、半分は彼女の逃げである。居酒屋を後にして、哲さんは彼女の態度を激しく叱責するが、彼女は客たちの話すことが分からず、自分だけが置いてきぼりと逆ギレ。絶対に謝らない彼女との大げんかであり、チームが空中分解寸前となる。
道中、2人の口論が続き、彼女は「叱られたのは500回以上、褒められたのは2回」と愚痴る。哲さんは理を尽し説明するが、彼女は反抗し、決して謝罪せず、おとなしい彼は怒り心頭。


パンクの現場

北海道
(C)Studio AYA

 宮城県を走行中、彼女は路上でパンクしている人を見るが、声もかけず走り去る。それを見た哲さんは、「(なぜ困った人に)声を掛けぬ、手伝わぬ」と大目玉を食らわす。
この場面は、2人の道中のハイライトである。困る人を見ながら手を差し伸べない彼女の態度に怒り、彼はパンク車の青年の元へ戻り手伝う。彼にとって、見て見ぬ振りが許せない。相変わらず謝らない彼女。この旅の一番の危機だ。
彼女も内心、「悪い、しまった」と思うはずだが、持前のコミュニケーション・コンプレックスが邪魔し、悪い子になってしまう。悪いと分かりながら謝らないのは、誰もが経験することである。



ウィルの仲間入り

哲さん
(C)Studio AYA

 局面が大きく転回するのは、函館でのオーストラリア人青年ウィルとの出会いである。彼の登場により作品のトーンが大きく変わる。旅の人々と片言の日本語で話す彼は、今村監督と同じ、生まれつき耳が不自由で、補聴器が手離せない。
ウィルはラストの宗谷岬までの6日間、今村組と走りを共にする。いとも簡単にコミュニケーションのハードルを越える彼の存在は爽快(そうかい)であり、日本と他国の文化の違いを感じさせる。
居酒屋での3人の夕食、哲さんお好みの芋焼酎がない。すると、すかさずウィルが「ここは鹿児島ではない」と茶々を入れる。大したユーモアのセンスだ。

宗谷岬、最北端の碑を前に
(C)Studio AYA

 そして次のウィルの話は傾聴に値する。「聞こえないことは事実であり、受け入れざるを得ない」と彼女に話す。当然のことだが、その当然が難しい。彼女も「耳が聞こえないことを盾に逃げていた」と悟る。
もう1つ、路上で事故に遭った自動車を見たウィルは、すぐに駆け寄り、声を掛け、手を打とうとする。それを見て、彼女は恥ずかしく思い、以前の行動を悔む。
夜、2人は満天の星の下、耳が聞こえないことの困難さを語り合う。そして、耳が聞こえない者のコミュニケーションの難しさを、彼女は涙ながらに語る。その彼女の肩に手を掛け慰めるウィル。
このようなスキンシップを伴う慰めが日本文化には欠けており、文化の違いを目の当たりにする。手を取り合ったり、ハグを交したり、ささいなことがどれだけ人を癒やすのかを感じさせる。
この縦断旅行は3824キロメートル、57日を要すが、これにより彼女は、コミュニケーションのハードルの高さを下げる。縦断旅行とは、自分に向き合い、自己変革をもたらすものである感触を、今村監督は多少なりとも手にしたようだ。
『Start Line』は、決してプロ仕様の作品ではない。だが、言うべきことをきちんと述べており、このことは、健常者にも通じることである。強い意志の萌芽(ほうが)を感じさせる小品だ。

 



(文中敬称略)

《了》

9月3日(土)より新宿 ケイズシネマ、9月17日(土)より名古屋 シネマスコーレ、9月公開予定 大阪 第七藝術劇場ほか、全国順次ロードショー

映像新聞2016年9月5日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家