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『太陽の下で−真実の北朝鮮−』
「何が真実なのか」不思議な作品
ロシア人監督が平常市民の日常を撮影

 北朝鮮の平壌市民たちの日常生活を撮影するはずの作品が、どんどん修正され、最終的に北朝鮮を理想郷と仕立て上げたのが、ロシア人監督ヴィタリー・マンスキーの『太陽の下で−真実の北朝鮮−』(以下、『太陽の下で』/2015年、チェコ=ロシア=ドイツ=ラトビア=北朝鮮合作)である。見る側も、「何が一体真実か」を今一度、問い直さざるにはいられない珍しい作品だ。


製作の発端

大元帥様の写真とジンミ
(C)VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.CESKA TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015
(Copyright以下、同)


 少女に密着するも相次ぐ修正
監督のヴィタリー・マンスキーは、ドキュメンタリー作家であり、モスクワ・ドキュメンタリー映画祭の会長も務める。彼は平壌の一般市民の日常生活のドキュメンタリーを撮るために、2年間北朝鮮側と交渉し、やっと撮影にこぎ着け、その後1年間同地でカメラを回した。シナリオは北朝鮮が度重なる修正をするものの、マンスキー監督は、平壌の市民の日常生活が撮れるのであればと、不満を抑え了承する。
主役のオーディションは、わずか10分間で、北朝鮮側が用意した5人の少女の中から選ぶことを余儀なくされる。最初からシナリオと主役にタガがはめられる形での撮影開始である。


思わぬ事態

平壌の一家


 お仕着せのシナリオでありながらも、マンスキー監督は自分なりにシナリオを解釈し、現場を指揮する自信はあったと考えられる。平壌在の一家庭を描くことが目的で、8歳の女児ジンミを中心に密着取材の形で進める手はずも整っていた。一労働者の家庭を通し、現在の平壌、そして北朝鮮を見せるのが、本企画の主旨だ。
シナリオで描かれる一般家庭は、模範労働者一家であり、ジンミは金日成(大元帥様)の生誕記念日「太陽節」で、集団の踊りを披露するという物語構成である。そして周辺には、金日成、金正日を大元帥と仰ぐ大衆の姿が見られる。
この筋を演出するのがマンスキー監督だが、いざ現場に入ると、文化省傘下の記録映画製作所の監督と覚(おぼ)しき人物が差配しだす。当然、マンスキー監督率いる撮影チームは、あぜんとする。



奇計

北朝鮮関係者による演技指導


 北朝鮮ペースで進む撮影に驚きを隠せないロシアチームは、一計を案じる。普通の撮影の手順では「ヨーイ、スタート、ハイッ」でカメラは始動する。しかし、ここではスタジオに入ると、すぐさまカメラを起動。そのままカメラを放置して、隠し撮りを敢行する。ここでヤラセのすべてが映像に刻み込まれる。北朝鮮側にもプロはいるはずなのに、なぜこの奇策が見破られなかったのか、疑問が生じる。



赤い花

ジンミ


 冒頭のシーン。早朝、ジンミが暗い室内でカーテンを開くと、窓際には赤い大きな花の鉢植えが目に入る。作品内で、花は祭りなどで重要な役割を果し、元帥様を祝う祭りを告げる導入となる。
この赤い花を前に、ジンミは朝鮮のいわれについて「朝日が一番早く上る地球の東側にある美しい国であり、朝鮮と呼ぶ」と、事前に用意された文言を述べる。これは学校で教わる公式見解だ。
この種のことは、例えばフランス語で言うところの「ショービニズム」(自国礼讃、あるいは盲目的愛国心)であり、この部分のヤラセは、まだかわいらしいほうだ。



おかしなドキュメンタリー

教室での軍人の講演

 カメラは次いで町に出る。大勢の勤労者の出勤風景である。ドキュメンタリーでありながら「アクション」の掛け声が入る。普通、事実や真実を記録する場合に掛け声が飛ぶことはあり得ない。北朝鮮チームのうっかりミスであろう。
一列になり出勤する人々、一糸乱れぬ歩調で。広場では、一列に並んだ人々が大きな写真に向い一礼する。相手は2人の大元帥様だ。もし礼を欠けば、日本流に言えば「バカモン、非国民!」の罵声ものだ。


二面性

同級生同士

 北朝鮮に詳しいジャーナリストの発言が興味深い。政府のイメージ・メディア戦略は2つあり、情報が発信される。それは、実像の「隠ぺい」とミサイル発射などに代表される「見せる」だ。この指摘は現在の北朝鮮を語る卓見である。
西欧側からのニュースでは、一般の人々は貧しいとされ、特に脱北者の意見はかなりオーバー気味となっている。確かに、人々の貧困は事実らしい。この事実に反し、国威発揚を狙うミサイル発射などのニュースは大々的に扱われ、明らかに力の誇示を目的としている。
この二面性の負の部分が、一般的労働者家庭である。撮影現場では、その住居がより快適なものへと移される。このカサ上げで一般市民の生活の豊かさをアピールする。ここまでくると、かなりセコイ。



規律と秩序

 北朝鮮首脳部の思想教育は徹底している。すべての人々は、首脳部の規律と秩序重視の政策下に置かれる。過度の偶像崇拝で「大元帥様と元帥様金正恩」への忠誠が求められ、個人がない。そして各世代がそれぞれ組織化され、国民は組織の一員として行動せねばならない。
従って、思想教育は徹底し、反日思想を小学校から教える。(日本軍による戦前の朝鮮の植民地化、また強制労働、使役のための朝鮮人徴用など、反日の種を日本がまいたことも、併せて知る必要がある)。
金王朝(金日成、金正日、金正恩)の支配が貫徹し、その文化面の一部分が映画にまで及ぶことを『太陽の下で』は示している。


外交的常套手段

 独裁体制を維持するためには、国民の不満をそらせなければならない。一番多い手段が外交であり、敵を作り上げ、国威を発揚させ、不満を転化させる。
北朝鮮は、中国、ロシア以外は敵とみなす。その敵の1つに日本があり、反日教育とつながる。やった方はすぐに忘れるが、やられた方の恨みは長い。それを北朝鮮は熟知している。


祭り

太陽節の舞台


 北朝鮮のお得意はマスゲームであり、大きな広場で催される。高い舞台の奥には、大元帥様の写真と若い元帥様がにこやかに手拍子を打ち、存在を誇示する。マスゲームでは着飾った男女が、一糸乱れぬ行動をする。退出の際も、陣形を崩さない。非常によく統率され、一般市民が祭りを盛り上げる。この祭りの一番年少の組織が8歳のジンミが属する少年団であり、ここに入ることは、家族にとり大変な名誉とされ、一目置かれる。
この祭りは国論統一の有力な武器となり、ほかの祭りも各元帥様の誕生日にちなんでいる。巧妙な国民支配であり、現在まで、下部組織反乱の報道は耳にしない。秩序と規律の象徴が祭りであり、その最大のものが金日成大元帥の誕生日を祝う「太陽節」だ。


暗黙の了解か!

 この隠し撮りのマンスキー監督作品、すべて北朝鮮の文化官僚の演出になるカサ上げされた現実であり、ロシアチームは成り行きを傍観するのみである。シナリオの修正は理解できるが、当局の監視下においた、撮影済みフィルムの検閲前に外部に持ち出し本作を完成されたとされるが、現実的に可能だろうか。
案外、両国合意の上でのフェイクではなかったのだろうか。不思議な作品だ。

 



(文中敬称略)

《了》

1月21日からシネマート新宿ほか全国ロードショー

映像新聞2017年1月16日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家