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『抗い 記録作家 林えいだい』
身一つで権力と対決する活動に密着
問題を追い続け事実を明らかに

 筆者自身が「九州の巨人」と呼ぶ、「林えいだい」という作家をご存知であろうか。福岡県生まれで、身一つで権力と対決する記録作家である。この彼の半生を、地元福岡のテレビ局RKB毎日が密着取材し、そのドキュメンタリー『抗い 記録作家 林えいだい』(2016年/西嶋真司監督)が公開を控えている。

林えいだい
(C)RKB毎日放送

 九州は多くの反権力の作家を輩出する地である。林えいだいが師と仰ぐ記録文学の上野英信、水俣を描く石牟礼道子、中津市の松下竜一(『豆腐屋の四季』)、そして、佐世保出身で後に中央文壇で活躍する井上光晴など、正面から権力に立ち向う文学者が多く、彼らは骨身を削り、自身の思いをぶつける筋金入りである。
私事で恐縮だが、筆者が常に感動する部落解放同盟の設立者の松本治一郎が「水平社」を設立し、その宣言に「人の世に熱を、人間に光を」がある。林えいだいは、この宣言のように生きる人物といえる。



林えいだいのテーマ

執筆中の林えいだい
(C)RKB毎日放送

 彼は既に50冊以上の著作を刊行し、それらを追えば、彼の足跡が理解できる。彼が一番強く関心を抱くテーマは、朝鮮人強制連行である(『清算されない昭和 朝鮮人強制労働の記録』〈1990年〉岩波書店、『地図にないアリラン峠 強制連行の足跡をたどる旅』〈94年〉明石書店)。
一時、彼は北九州市教育委員会教育主事として公務員となり、地域の婦人会と公害問題に取り込み、告発運動を行う。ちょうど、そのころは産業発展期で多くの公害問題が生まれる時期である。
やはり、朝鮮人特攻隊員の終戦間際の処刑問題に強い関心を持ち(『重爆特攻さくら弾機、大刀洗〔たちあらい〕飛行場の放火事件』〈2005年〉東方出版)、精力的に現場を訪れ緻密な取材を重ねる。闘う行動派の文学者である彼に対し、新作を出すたびに右翼の街宣車が「非国民、林えいだい、死ね」とヘイトスピーチを流し、さらに、夜中のイタズラ電話が彼を悩ます。


朝鮮人へのこだわり

取材シーン
(C)RKB毎日放送

 知らされる歴史の負の遺産
彼の生れ育ちは筑豊炭鉱地域で、多くの強制徴用された朝鮮人が、劣悪な環境下の炭鉱で働かされ、厳しい労働と少ない食事に音を上げ脱走者も出る。彼らは林えいだいの父である、神主の寅治の神社に逃げ込む。
父・寅治は一晩の宿と食事を提供し、他の地へ彼らを逃がす。このことが特高の知るところとなり、寅治は警察に捕まり、厳しい拷問のため死去(1942年)する。東京では、1933年にプロレタリア文学の旗手である小林多喜二の虐殺事件が起きている。日本は暗黒時代であった。



アリラン峠

坑口に立つ林えいだい
(C)RKB毎日放送

 冒頭、山道を歩む林えいだいの後姿が映る。今もアリラン峠と呼ばれる一帯で、徴用された多くの朝鮮人が炭鉱へ通う道だが、地図には一切記載されていない。そこで彼は1つの墓を見つける。炭鉱の労務係により撲殺された朝鮮人のものだ。この場面で、撲殺犯である男の写真が画面に映し出される。林えいだいの執念が伝わるようだ。
当時を知る人の証言では「筑豊には地獄谷と呼ばれる場所が多く、そうした所には必ずアリラン峠がる。それはおよそ28カ所」とのことだ。飯塚市のアリラン峠の写真があり、その中の集合写真に小学生が写っている。日本軍の根こそぎの徴用の様子が見て取れる。
彼は「筑豊における朝鮮人強制連行は、戦争中の国民総動員体制の典型」と語る。さらに「祖国のためではなく、自らの自由と解放でもない、侵略者日本の戦争遂行のために、彼ら駆り出されたのであった」と言葉を継ぐ。



公害問題

若き日の林えいだい
(C)RKB毎日放送

 早稲田大学(早大)文学部を中退(早大では中退者の方が偉くなるとする説があるが真偽のほどは確かでない)し、炭鉱夫として働く。この履歴は、京大を中退して炭鉱夫となった上野英信と似ている。
飼っているカナリヤが死に、彼は異変を感じ、1980年頃の公害問題に取り組む。この公害問題を契機に、37歳で市役所を辞め、筆1本の生活に入る。公害に関しては同じころ、中津在の松下竜一が豊前火力発電所建設反対運動に加わり(74年、朝日新聞社/社会思想社『現代教養思想文庫』)、九州電力に立ち向うが裁判で敗れる。



一朝鮮人特攻隊員の死

ありらん文庫
(C)RKB毎日放送

 本作では、ほかに不条理な特攻隊員の死の部分で、彼は怒りを爆発させる。冒頭で博多駅に出迎える林えいだいが映り、待ち人が到着する。現れたのは、処刑された青年の同僚である花道と彼の妻。花道は彼の要請に応え、わざわざ福岡の現場まで足を運ぶ。事件の概要は次のようになる。
終戦間際の5月23日に出撃予定の最新兵器重爆特攻機「さくら弾機」が、出撃前に放火され炎上。敗色濃い日本軍が起死回生を賭けた新型機であり、軍内部は威信の低下を恐れ、すぐに朝鮮人特攻隊員(日本名、山本伍長)を逮捕する。
とにかく犯人を捜し、軍隊の対面を保つ魂胆で、デッチ上げの犠牲に山本伍長を仕立て上げる。そして若き特攻隊員は終戦を待たず、直前の8月9日に銃殺刑に処される。
山本伍長と同僚で、林えいだいに請われ現場を訪れる花道は、事件はデッチ上げで、山本伍長が朝鮮人であることから、彼が犯人であると決めつけ、取り調べもなく判決が下る。この件、戦後、福岡の日刊紙「フクニチ」(現在廃刊)により真実が明らかになる。さらに、山本伍長の書類が韓国で発見され、デッチ上げがより鮮明となる。
この一件、冤罪として記録に残す義務感から、林えいだいは調査を開始、日本人の差別意識を訴えた。彼は、この放火事件で、怒りではらわたが煮えくり返る思いを語っている。併せて、この事件にかかわる特攻隊の編成参謀のテープを公開し、徹底したマインドコントロールで若い隊員を死に送り出す気持ちにさせたと、遅すぎた肉声の告白を聞かす。
彼は長い間、元隊員の報復を恐れ、取材を断り続け、80歳になるまで、ピストルや軍刀を手放さなかった。


歩み続ける林えいだい

徴用された朝鮮人
(C)RKB毎日放送

 彼は、日本軍の犯罪や朝鮮人強制連行、公害などに、ここまで強くこだわり、今もそれは続いている。彼の行動の根元には、朝鮮人をかくまう父・寅治の人間性と、警察による理不尽な拷問とその死が見て取れる。それをペンとカメラとテープレコーダーで、問題を執念深く追い続け、数々の事実を明らかにする。すぐ「水に流す」、「未来志向」の言葉のもとに、過去を見ようとしない日本人に対する警告である。
彼の並外れた個人的努力により、われわれは歴史の負の遺産を知らされるが、悪いことは悪いとし、率直に反省し、謝罪する態度が必要だ。



ガンを抱えて

指にテープで付けた万年筆
(C)RKB毎日放送

 いまだ活動を続ける彼は現在83歳であり、ガン治療のための抗ガン剤投与剤で手がしびれ、満足に筆が持てず、愛用の万年筆モンブランをセロテープで指に付け執筆する毎日である。
今は1人暮しで、何かゴミの中で暮らす感じだが、資料の写真などはキチンと整理されている。この彼に強い援軍が現れる。大分大学名誉教授の「アジア学」専攻、森川登美江で、彼が主催する「ありらん文庫」(福岡・田川市の私設資料館)を引き継ぎ、彼は彼女に原稿のチェックを任すほどの心強い右腕である。


 



(文中敬称略)

《了》

2月11日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで、1日1回、3週間上映予定。
ほかに福岡のKBCシネマ、大阪の第七芸術劇場で今春公開予定

映像新聞2017年2月13日掲載号より転載

 

 

 

 

中川洋吉・映画評論家