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『未来よ こんにちは』
主演女優の存在が作品に実在感
女性側からの人生観がテーマ

 女性の側から見る、「人生いかに生きるか」をテーマとする作品、『未来よ こんにちは』(ミア・ハンセン=ラヴ監督)が登場する。フランスの若手女流監督の4作目で、格調の高さが見て取れる。主演のイザベル・ユペールは、現在のフランスを代表する女優である。さして美人ではなく、むしろどこにでもいる普通のタイプで、その辺りが内面性を見せるのに役立っている。美ぼうのカトリーヌ・ドヌーヴとは違う、硬質な女性像を演じられる貴重な存在である。


高校生のスト

ナタリー
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema

 舞台はパリ、主人公はユペール扮(ふん)する高校(リセ)の哲学教師ナタリー。彼女の夫ハインツも哲学教師で、絵でかいたようなインテリ家庭。そして成人に達する子供たち。時代は今のパリで、彼女の通う高校は生徒たちがスト中で、校門にバリケードが張られる。フランスでは、政府の政策が自分たちに不利に働く場合、高校生でもデモをするのが普通である。日本では有り得ないことだ。
1968年5月革命をくぐっているナタリーだが、授業ストには反対で、高校生らに嫌味を言われながらも校門をくぐり、教室で哲学の授業。政治的言動は禁止されているが、哲学者ジャン=ジャック・ルソーの信奉者である彼女は、「自分の頭で考える人間」を育てることを常に念頭に置いている。


フランスにおける哲学の位置

ナタリー(左)と母
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema


 哲学的、精神性豊かな生き方を提示
全編に哲学者の言葉が散りばめられ、見る側は戸惑うが、哲学の知識がなくとも十分鑑賞できる。哲学的、精神性豊かな生き方が提示され、その生き方を見守ればよいのだ。
日本と比較すると、フランスは哲学の認知度が高い。バカロレアと呼ばれる大学入試資格試験があり、この資格を取得すれば、好きな大学への入学が許される。従って、フランスには大学入試はなく、バカロレアが高校生の最大関心事となる。
このバカロレアの科目に文学、科学と並び哲学部門があり、中・高通して、授業で哲学が叩き込まれる。哲学の重要なところは、物事を論理立てて考える点であり、フランス人は理論的な分析に優れている。
例えば、国立映画大学「フェミス」の入試には映画を分析させる論文が加わる。フランス国民は理知的に物事を判断するが、悪く言えば理屈っぽい。
『未来よ こんにちは』は、その哲学的雰囲気で作品全体を包み込んでいる。



女性の自立

ナタリー(左)とファビアン
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema

 女性、そして人間の生き方を、1人の哲学教師ナタリーを通し描いている。
本来、哲学教師で、いかに生きるかを学校で講じる彼女、夫も哲学教師、既に著作もあり、アパートの書棚は哲学書、そして、歩く時も哲学本を抱えてと徹底している。
その彼女は、生活的にも満ち足り、精神面も充実の毎日を送っている。しかし、夫から突然の離婚話。この哲学者夫婦は、別に相性が悪いわけではなく、単に夫が新しい女性を作っただけの理由で。
言われるナタリーは、死ぬまで一緒の積りが、考えてもみなかったハシゴ外し。しばらく呆然とするが、そこは理性でぐっと抑え、去る者は追わずの態度。彼女にしてみれば、「結婚とはこのようなもの」と割り切りを自分に言い聞かせ、離婚が成立する。



もう1つの難題

授業中のナタリー
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema

 離婚前から、彼らには頭の痛い問題がある。年老いたナタリーの母親で、夜中に電話をしたり、消防自動車をひと晩に3度も呼んだりで、離婚後も彼女を悩ます。どこにでもある問題だが、その根元には、子供たちは両親と住まないフランスの習わしがある。
同国では、大学生となると、1人暮らしを求めて、親元を離れるが、この生活様式は年を重ねても変わらない。つまり、互いの自由を尊重する考えからの行為である。
しかし、老人ホーム入りを嫌がる老母は、あっけなく施設入り、ナタリーは心中ホッとする半面、母の迫る死を悲しむ。



自由の獲得

夫のハインツ
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema

 その母は、突然亡くなり、自由の身となったナタリーは教会での葬式を済ませ、バスで帰宅途中、元夫と女性の姿をたまたま車窓から目にする。
それを見る彼女は「さもありなん」の態で笑い出す。すべての制約からの解放である。子育て、仕事、母の介護と一切の重石(おもし)が取れ、自由を得る。女性が誰しも体験する苦難から解放され、新しい人生の第一歩を踏み出すナタリー。悲しみは悲しみ、自分の人生はこれからと、中年過ぎのナタリーを主演のイザベル・ユペールが演じる。美人でスター然とせず、強い意志を感じさせる彼女の得意とする役柄である。


前向きな意欲

ナタリーと猫のサンドラ
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema

 徐々に自由を近寄せるナタリーに、また難題が振りかかる。自著の出版中止である。彼女の著作は今風でないとの理由で、担当者から申し訳なさそうに事情を告げられる。彼女にとり、これは大打撃であるが、自作を出版社に持ち込み、断わられる研究者の例は数限りないことを承知のナタリーは、不満顔ながら次の機会に賭ける。
何があっても大好きな家族、友人などに囲まれ、哲学三昧の日々の幸福感と、価値を知る彼女は、心が折れることなく前向きに振舞う。
この前向きな意欲を描くところが、この作品の芯(しん)であり、原題の『L'avenir』は「未来」を意味する。



ナタリーの信条

山でのナタリー
(C)2016 CG Cinema・Arte France Cinema ・ DetailFilm ・Rhone-Alpes Cinema

 彼女はルソーの研究者であり、高校で自分の哲学知識を生徒に伝えることを最大の喜びとする。この彼女の信奉するルソーを引用し、自身の生き方を述べている。それをレジメすれば、「未来への期待は想像力の喜びであり、肉体の快楽ではなく、精神の快楽である」となる。
彼女の教え子の1人に美青年のファビアン(ロマン・コリンカ)がおり、彼は哲学の研究のため、貧乏をしながらも、アルプスの麓の古民家で仲間との共同生活を決意をする。離婚直後と亡母が残した飼い猫のサンドラを預けに山の家へ顔を出す、ナタリーとファビアンとは年齢差にもかかわらず、傍目(はため)で見る限り素敵なカップルだが恋愛感情はない。2人の関係は精神性が優先している。
余談だが、ロマン・コリンカについて気になるところがある。2003年に新聞やテレビの社会面を騒がせた事件、パートナーのロック・ミュージシャンに撲殺された女優の故マリー・トランティニアンが彼の母である。現在30歳の彼を見て、当時の事件を思い出す。



ハンセン=ラヴの演出

 物語自体、フィクションとしての新味はなく、平坦な脚本・構成で、物語性から距離を置くスタイルを意図的にとっている。その脚本に、いかに色をつけるかが演出の最大の狙いである。これを実現させるための手段がイザベル・ユペールの起用であり、彼女の存在が作品に実在感をもたらせている。換言すれば、彼女が醸し出す強い個が、普通の女性の生き方を色づかせ、力を与えており、本作、ユペール抜きでは考えられぬ企画である。
『未来よ こんにちは』は、明らかにヌーヴェル・ヴァーグの影響を強く滲ませている。物語性の否定、演出主義であり、演出の中心にユペールが位置している。
作品としては、平坦なトーンであるが、そこに描かれる世界に格調があり、しかもリズムの流れが心地よく見る人々を乗せる。演出以外に、ハン監督のセン=ラヴの音楽的センスが良く、前半のシューベルトの『水の上で歌う』、そして、ラスト前、孫を抱き子守歌のように歌うフランスの唱歌というべき『泉のほとり』、そしてクレジットにかかる「アンチェインド・メロディ」は本当に耳に快い。

 



(文中敬称略)

《了》

3月25日からBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー

映像新聞2017年3月27日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家