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『幼な子われらに生まれ』
壊れやすい家族の姿をえぐる人間ドラマ
日本的な個の欠落を描く

 近年、アニメや青春恋愛小説の共同製作委員会方式で量産される作品群に食傷気味であるなか、本格的作品『幼な子われらに生まれ』(以下『幼な子』/重松清原作〈1996年〉、三島有起子監督、荒井晴彦脚本、浅野忠信主演)が現われた。現代の脆(もろ)い家族の姿を抉(えぐ)る、ヒューマン・ドラマで、登場人物それぞれに独自の魅力がある。


2つの家族

再婚の信夫妻
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会

 主人公は、浅野忠信扮(ふん)する普通のサラリーマン、田中信である。いわゆるマジメ人間で、仕事はきちんとこなし、定時に退社し家族と過ごすことを何よりも大切にする、波乱万丈の人生とは正反対の生き方を当然と受け止めている。
信は、大学卒業後、大学助手の友佳(寺島しのぶ)と結婚し、普通に家庭を持つ。友佳はキャリア志向で、大学に残り研究者の道を希望している。しかし、ある時、彼女の意志に反し妊娠する。堕ろすことを主張する妻と、子供を欲しがる夫の間に深い溝ができ、2年6か月の結婚生活は破綻する。
堕胎後にできた1人娘、小学6年の沙織は友佳が引き取る。離婚した夫妻は年4回、父親と娘の面会の約束をする。


父娘の面会

友佳(左)と娘沙織
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会


 久々の面会、信は遊園地の入り口で沙織を待つ。靴ひもを直し、娘を迎え入れる心の準備もおこたりない。人混みから沙織が「パパ」と駆け寄る。相好を崩し、娘を抱き止める信。血のつながる父に頼りきる沙織。彼女の優しい性格が物語の大きな伏線となる。
観覧車の中で、信は娘に、新しい子供の存在を匂わす。しかし、沙織は自分が「余り」になることを心配する。



ツギハギの家族

沢田(左)と信(右)
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会

 登場人物それぞれに独自の魅力
信の再婚相手の奈苗(田中麗奈)もバツイチ。前夫との間の娘、薫と恵理子の連れ子がいる。ここでアクセント役は姉の薫である。この人物配置には、重松原作の筆の冴(さ)えが感じられる。
母、奈苗の妊娠で、自分は家族の中でかまってもらえないと恐れる彼女は、ことあるたびに家族に当たり、口をきかなくなる。信も彼女の心を開こうと丁寧に説得するが、娘は聞く耳を持たない。
  一方奈苗は、妊娠高血圧症を訴え信に甘えるが、彼にとり何ともうっとうしく、思わず「子供を堕ろして離婚しよう」と口にする。
薫は薫で、実の父親に会わせろと、信を困らす。DV離婚の奈苗は、前夫のことは全く取り合わない。ここでの薫の性格作りが極っている。底意地悪く、一番気を使ってくれる信に当たる不快な態度、この人物造型もうまい。
人間は誰しも、一番良くしてくれる人に対し、意地悪な態度をとることは、誰しも体験するところであり、まさに薫の悪態ぶりは、脚本と演出の練り上げの産物である。このドクにより、物語は大きく膨らむ



前夫の登場

友佳と信
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会

 薫の無理難題に困惑しながら付き合う信だが、気のいい彼は奈苗の前夫探しを渋々引き受ける。親切に妻の連れ子と接する信に対する薫の傍若無人な態度、信は「一体誰のおかげだ。そんなに俺と暮らすのが嫌なら勝手に施設へ行け」とスゴンでもよいところだ。だが、心優しい彼は、米軍基地内にある日本人従業員食堂の板前をしている前夫の沢田と、基地の金網の前で会う。
「娘と会ってくれ」と哀願調で接するが、家庭に興味が全くない彼は乗らない。まるで、一般人がヤクザに頭を下げているようだ。
沢田は、喜劇作家の宮藤官九郎が演じるが、往年の脇役、田中邦衛をもっと貧相にした仕立て方が実に「感じ」なのだ。そして彼の芝居はうまい。風采は上らず、人の弱みに付け込むことにたけた中年男の柄を、よく出している。
信と沢田は正反対のキャラクターだが、一皮むくと内実は、家族にすがられ、ガンジガラメにされることを嫌う本性は同じであり、その点で共鳴するものがある。この沢田の存在も作品のドクであり、しかも乙張(めりはり)をもたらせている。



江崎の死

再婚の妻、奈苗(左)と連れ子の江里子
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会

 再婚相手の連れ子が、母親の妊娠を嫌い、過剰に反応することで物語は回転軸を得るが、信にはもう1つの物語がある。
いつものように、郊外の立体的な建造物群を上る階段脇に、前妻、友佳との娘、沙織が彼を待っている。何かあるに違いないとにらんだ信は、近くの喫茶店に入り、彼女の話を聴く。
友佳の現在の夫、江崎がガンで余命いくばくもないが、沙織はどうしても悲しい気分になれないと話し始める。江崎は、人柄の良い人物で沙織を可愛がり、また、信に会いに行くことを友佳や沙織に勧めるほどである。その人物に対する沙織の心情は、強弱の差はあるが、意地の悪さで信を困惑させる薫と同様である。
沙織の元に母友佳から、江崎が危ないとの連絡が入り、2人で病院に駆け付ける。その時、悲しむ友佳や沙織の姿を見て、信は、こと切れそうな江崎に深々と頭を下げ「沙織を育ててくれてありがとうございます」と、丁寧に礼を言い、病室を後にする。
意図的に淡々と物語を展開する三島演出での、最大の盛り上がり場であり、信の血のつながらない他人に、家族の一員に対するように振る舞う態度は、死にゆく者への敬意であり、また、おとこ気でもあり、見る者を充分感動させる。


女性の感性

信と、別れた娘沙織
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会

 一番自立しているはずの大学教員の友佳と信は、一度、沙織との面会日について車内で話し合うが、その折、昔話で彼女は不本意な堕胎について触れる。きっと、これから後悔の連続になると感じていたことを口にする。
さらに、痛烈な発言を投げ掛ける。「旦那(だんな)がガンで入院しているときに、前の旦那と会っているあたしの気持ち、全然興味ない」「昔からよ。理由は聞くくせに、気持ちは聞かないの、あなたって」―。
何か思い当たり、身に覚えのあるセリフであり、原作者の人間を見る目の鋭さに後ずさりする思いだ。併せて、そこには女性だけの感性が滲み出ている。
フラッシュバックで結婚当時の2人が登場するが、キャリア優先の彼女との口論、そして、顔だけで見せる友佳のベッドシーン、女優寺島しのぶの役者としての格が確実に上がった感がある。



自己の希薄さ

2度目の妻の連れ子薫
(C)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会

 本作『幼な子』で見えることは、確固たる個人の個の弱さであろう。
主人公の信は、生まじめで心根が優しい人間として描かれるが、自己の個を貫き通してはいない。善い人だが、善いことを積極的にしないタイプで、ことあるごとに右往左往する、人間臭い人物には違いないが。
元妻の友佳は、一見強そうな人物像だが、子供を夫の信に黙って堕ろし、一生、後悔に付きまとわれながら生きねばならぬ状況に陥る。現在の妻は、気は良いが、自立する個から最も遠い、ぶら下がりの専業主婦である。
薫と沙織の娘たちは、自我よりも「余り」になることを恐れ、薫の場合は、人にいじわるすることにより自己主張する。沙織も同根の要素を体内に秘めている。子供の自己防衛本能というべき類いのものだ。
最大の個性派である沢田も、まとわりつかれることを嫌がる、根からの逃げの人間である。
『幼な子』は、非常に日本的な個の欠落を描く作品だ。本年の邦画ベスト3に入る傑作と踏む。




(文中敬称略)

《了》

8月26日(土)、テアトル新宿・シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

映像新聞2017年8月21日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家