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『ひかりのたび』
少女の自立と家族の再生
無名俳優を起用した若手監督作品

 若手監督による、現在の日本を写し取る作品『ひかりのたび』(澤田サンダー監督)が公開される。派手さは全くなく地味めで、しかも起用俳優は無名の人たちである。1人の少女を通し、これからの人生の生き方を提示するところに、作品としての強さがある。


地方での不動産売買を通して描く

奈々
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 作品で描かれる人間の営為の1つとして、大手開発業者による地方山林の地上げがメインに据えられる。わが国では、1980年代後半から90年代初頭がバブルの時期で、大手ゼネコンを中心に土地の買いあさりが始まり、札束が舞う現象が現われた。その反動として、90年代に経済不況が襲う。しかし、そのバブルの最盛期を思わす経済混乱が、地方都市では現在でも存在し続けている。
作品では、地上げそのものについて、ほとんど説明されていない。大都市の後、地上げの舞台は地方都市へ移り、そこにうごめく人間たちにスポットを当てている。


背後に外国人

父親
(C)『ひかりのたび』製作委員会


 現在は、爆買いでおなじみの中国人が、東京都心のマンションを購入している話がある。その中国人は10年前から地方の山林に目を付け、投資をしている。また、この地上げに伴い、外国人労働者の大量の流入も懸念されている。
どのような経緯(いきさつ)かは分からぬが、監督の澤田サンダーは不動産ブローカーの経験を持ち、さらに最近の中国人、台湾人による土地の買いあさりの事実から、本作の想を得ている。
都会では誰も気づかない事態が、地方で進行している。話の着眼点の良さを感じさせる。



女子高生

父と奈々
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 冒頭シーンは、主人公奈々(志田彩良)がベッドから起き、眠い目をこすりながら携帯電話で、父親の植田登(高川裕也)に「朝食はどうするの」と聞く。彼は朝早く家を出たのか帰らなかったかで、彼女は1人で支度をして朝食をとり、セーラー服のいで立ちで自転車通学する。
離婚により彼女は父親と2人暮し。登は不動産ブローカーで全国を転々とし、2人は1カ所に長くとどまることはない。
作品の作りとして、登の仕事内容を表に出さず、彼についての説明も少ない。冒頭から分かることは、1人で家事をする女子高生と父親の関係がかなり疎遠となっていることだけであり、その後の展開に含みを持たせるあたり、シナリオの工夫が見られる。



父親の仕事

奈々と同級生
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 不動産のブローカーである登は、4年前にこの地へやって来た。彼は訳ありの土地に値を付け、外国人に売る噂が町で囁(ささや)かれている。町内の外国人雇用問題にも一枚かんでいるという。いわば、彼は他人の地でひともうけを企(たくら)む、油断のならない他所者(よそもの)という目で見られている。



自転車のイタズラ

父親と山林の持ち主
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 自転車通学の奈々は、自分の自転車が壊されているのを目にする。級友の男の子が「壊したのはお父さんの仕事関係の人。彼は人を立ち退かせたりして恨みを買うことがある」と説明。ここで、不動産ブローカーの内実が見えてくる。
各地を転々とするのは、地元の人たちとのトラブルが原因なのだろうか。


父親の人間性

子供の事故現場
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 他人の土地に入り込み、土地あさりをする登は、状況的に悪徳ブローカー扱いされる。しかし、作品では、礼儀正しく、粘り強く、相手を説得するタイプに描かれる。彼とて悪者呼ばわりされることに心を痛め、じっと耐えている様子を垣間見せる。このあたりの芝居、いつも眉間に皺(しわ)を寄せ何かをこらえている様子、登役の高川裕也は良い味を出している。
最初は地元民に他所者として相手にされず、仕事がない時期を過ごすが、少しずつ顧客をつかみ、登はむしろ誠実な人間と映る。しかし、彼は父娘の関係に頭を悩ませている。



娘の希望

ファミレスでバイトの奈々
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 父親の仕事の都合で全国を転々とする奈々にとり、現在の地は心が落ち着く場所だ。彼女は高校卒業後、この町で保母士になるのが希望。今の状況を受け入れ、堅実に生きる姿勢が彼女には見られ、少女ながら大人の気構えを既に持っている。




話し合い

奈々と同級生
(C)『ひかりのたび』製作委員会

 ある時、父娘は卒業後の進路について話し合う。父親は奈々が今の土地を離れ、東京か海外へ行くことを勧め、「金は心配するな」と告げる。一方、娘は従来の希望どおり、この町に住み続ける意志表示をする。そこで、父親は3年前のある事故について初めて口にする。
ある夜、運転中の彼は、幼い子供を見るが、そのままにして走り去る。一週間後、その子がトラックにはねられ死亡。そこで、登は残された子供の母親と知り合い、住居探しを手伝い感謝される。
この事件を契機に、人々の彼に対する態度が変わる。父親は、現地にとどまる娘に対し、不動産ブローカーでも、良い人間はいることを伝えたかったのだ。




地上げと金銭

 地上げには金銭のやりとりが、当然発生する。これは正常な商取引で、別に強奪でも、旧陸軍がアジア諸国民の土地をただで徴発するものでもない。しかし、地上げ、特に、山林の場合は自然破壊を伴う。そして、反対する人々が当然出てくる。
実際のところ、目の前に大枚の札束をちらつけられれば、人は自然破壊を脇に置き、金に飛びつくだろう。当然の行為である。本作でも、町一番の土地持ちが反対運動の先頭に立つが、周囲に外堀を埋められ、彼も渋々登に土地を売る。やむを得ない商取引である。



娘の自立の第一歩

 住み慣れた土地で生きることを父親に認めさせた娘は、高校を卒業し、社会人への一歩へと向かう。
札束が飛び交う地上げ騒ぎは不快には違いないが、止めることは不可能である。また、中国人などの外国人が絡む地上げは、何やら日本の地を外国に買われ、釈然としないことも事実だが、それも止めることはできない。
本作のメインテーマは、金銭から派生する問題ではなく、一少女の自立の物語と解釈できる。そして、父娘の絆(きずな)の回復も見られる。
ラスト、奈々のバイト先のファミレスで2人が視線を交し、次第に笑みがこぼれるシーンは、再生を意味している。
本作は、少女の自立と家庭の再生が前面に押し出されている。
狙いとしてのモノクロ画面、リアリティーの増幅に寄与し、作品の物語性を高めている。何よりも、本作の持ち味は作品に力がある点であり、綿菓子のようなマンガ原作の映画化作品とは、ひと味違う。

 

 



(文中敬称略)

《了》

9月16日(土)から新宿K's cinemaほか全国順次公開

映像新聞2017年09月11日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家