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『はじまりの街』
イタリア映画の良さ盛り込んだ作品
感じさせられる人生の機微

 イタリアらしい作品がお目見えする。『はじまりの街』(2016年/イヴァーノ・デ・マッテオ監督)である。作中では、人が生きるにあたり多くの困難が立ちはだかるが、それを新しい人生の始まりとする、前向きな姿勢が貫かれている。英題は「A POSSIBLE LIFE」である。

 
イタリアの首都ローマに住む一家。母親アンナ(マルゲリータ・ブイ)は、夫のDVに散々泣かされる。ある時、息子ヴァレリオ(アンドレア・ピットリーノ)は学校帰りに、父親が母親を殴打する現場を目にし、激しいショックを受ける。この時点でアンナは息子を連れ、女友達カルラ(ヴァレリア・ゴリーノ)の住むトリノへ逃げることを決意する。 場面が変わり、列車内の2人が写し出される。父親の暴力と突然の引っ越しで、不機嫌なヴァレリオにお構いなくアンナは話し始める。トリノのカルラは学生時代からの友人で、一時、2人は同居していた。30年後のアンナからの突然の同居の依頼も2つ返事で引き受けるほどの、気の合った長い付き合いである。ヴァレリオは、会ったことのない母親の親友宅への駆け込みに、合点のいかない様子。


新居

2人の親友

 トリノ駅にはカルラが迎えに来て、親友の久々の交歓となる。彼女は演劇女優で、街中にアパートを持つ独身者。2階を親子に提供し、「いつまでも居て」と歓迎する。古い住居だが、目の前には広場が、角にはカフェもあり、シティライフを楽しむには絶好のロケーションだ。
トリノでの新しい暮らしの始まりだが、新しい環境になじめないヴァレリオは家に引きこもりがち。たまの外出は、自転車で街中をグルグル回ることしかしない。新生活にうまく順応できないのである。


息子の初恋

車中の母子


 街の並木道の一角に、客待ちの若いコールガール、ラリッサが少年の目に入る。彼女、イタリアでは珍しいプラチナブロンドの美少女だ。最初は、商売の邪魔とばかりに、少年を邪険に扱うラリッサだが、少年の関心は高まるばかり。ある時、自転車が転倒しケガをすると、いつも邪険なラリッサが介抱する。それが契機となり、2人は言葉を交わし、デートの約束をする。
彼の急なウキウキぶりを見て、アンナとカルラは面白がり、いろいろと口出しをする。しかし、大好きなラリッサの車内での性行為をたまたま目撃したヴァレリオは、母親へのDVショックと同様に、われを失わんばかりに心を痛め、彼女への思いは破局となる。



父親からのレター

マチュー(左)とヴァレリオ

 さらに悪いことに、DVの父親が息子へ「もう一度やり直したい」とのレターを送りつける。
しかし、先に帰宅したアンナがそれを読み当惑し、彼女自身も気持ちが揺れる。母親が自分へのレターを読んだことに激怒し、2人は大げんか。カルラは止めに入ることはなく、黙って見詰めるだけ。一見、冷たい態度だが、2人の自由にさせておくための彼女流の配慮である。
母子2人とも、急な父親からの詫び状に、何をいまさらと思いながらも、いまだに気持ちは吹っ切れない。



息子の成長

ラリッサ(左)

 母親に反抗的態度を取り続けるヴァレリオは、ラリッサとの破局、そしてレターの一件の後、今までの態度を反省し、母に詫びる。ここに少年の成長の跡がはっきりと示される。彼も、大人への第一歩を歩み始める。
アンナは、生活のため職安通いの毎日で、中年女性の職探しの難しさを痛感する。最終的にはビルの清掃人の職を得るが、この選択は少し安易な感がある。しかし面白いことに、アンナ自身、恥ずかしいとは思わず、逆にヴァレリオを伴い出勤することもある。
欧州の人たちは、一般的に自分の職業を卑下(ひげ)せず、堂々としたところがある。この辺り、日本人の感覚と違いところであろう。
アンナの仕事場は超近代的建造物のトリノ大学で、そこは中央が吹き抜け、巨大な絵が掲げられている。マッテオ監督はこの空間にほれ込み、アンナの清掃婦のイメージがわいたそうだ。



ヴァレリオの盟友

ヴァレリオとアンナ

 故郷を離れるアンナとヴァレリオ以外に、もう1人重要な人物が設定されている。広場横のカフェのオーナーである中年男マチューだ。彼は元プロサッカーの有名選手だが、何らかの前科があるらしい。トリノでは友人のいないヴァレリオにとり、年の離れた兄貴のような存在である。
外からサッカー中継をのぞき込むヴァレリオに「中へ入って見ろ」と招き入れたり、母親の帰りが遅い時にはバーガーを作ってやったりと、何くれとなく気を遣う。そして、アンナがカルラの演劇仲間の中年男にしつこくまとわりつかれ時、割って入ったのがマチューである。彼はこの母子における影の支えとなる。
女友達カルラやマチューの親切には、キリスト教の奉仕の精神の影響が見られる。


濃厚に漂う人間の存在の面白さ

街中の3人

 『はじまりの街』には、イタリア映画の良さがたくさん盛り込まれている。フランス映画と比べ、イタリア映画には人生の機微を感じさせる場合が多い。それらは、カルラの親身な友情、マチューのおとこ気によく現われている。
そして、一市井の生身の人間の生きざまに対する愛情であり、それが庶民性と生活感を醸し出す。そこには人間という存在の面白さが濃厚に漂い、共感を呼ぶ。



うまい役者群

母子

 イタリア映画の良さで忘れてならないのは、うまい役者の存在である。2人の女主人公、アンナとカルラは、イタリアを代表する看板女優であり、彼女らの資質の違いが作品により一層の深みを与えている。
アンナ役のブイの実在感あふれ、内面性を掘り下げる演技は、トップクラスの女優の名に恥じない。彼女が出演すれば安心して見ることができる。
一方、カルラ役のゴリーノは、透き通るような青い目の美人系だが、本作のような軽めの芝居もうまい。また、最近は監督業に進出し、ただの美人の枠には収まらぬ才人振りを発揮。第68回(2015年)カンヌ国際映画祭の審査員を務めた実績もある。
マチュー役のブリュノ・トデスキーニは、カフェのオーナーを渋く演じ、イタリア俳優の大物や中堅の層の厚さを見せつける。
また、物語はヴァレリオ少年を中心に展開されているが、ピットリーノは反抗期の少年の芝居をリアルに演じている。案外、地で勝負したのかもしれない。




「This is my life」

秋のトリノ

 本作のラストでは、シャーリー・バッシーが歌う「This is my life」が流れ、作品の内容と重なり合い印象的である。
「過ちを嘆いたり、幸運を忘れたり。それが人生。人生よりいいものはない」― まさに『はじまりの街』の言いたいところだ。






(文中敬称略)

《了》

10月28日から岩波ホールほか全国順次ロードショー

映像新聞2017年10月23日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家