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『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』
ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人
共産主義者として追われる身

 ネルーダの名は1971年にノーベル文学賞を受賞した、南米チリの国民的詩人ということは知られているが、ほとんどの人は、それ以上の知識を持ち合わせていないのが実情であろう。本紙7月24日で取り上げた『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2017年)における、米国の女流詩人エミリ・ディケンスンと似ている。

ラライン監督
(C)Fabula, FunnyBalloons, AZ Films, Setembro Cine, WilliesMovies, A.I.E. Santiago de Chile, 2016

  映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』(以下、『ネルーダ』/パブロ・ラライン監督)の主人公、パブロ・ネルーダは1904年生まれ、ノーベル賞受賞後の1973年に69歳で死去した。
彼はバスク系チリ人である。バスクとは、フランスとスペインにまたがる独特の文化と言語を持つ、言わば少数民族地域であり、フランス系バスク人、スペイン系バスク人がいる。例えば、フランスのスペイン国境のリゾート都市では、バスク語の道路標識が表示されている。しかもバスク語の言語構造は独特で、ABC感覚では読めない。多分、ネルーダはスペイン系のバスク出身であり、スペイン語を日常言語とする南米チリへ移住したのであろう。彼の家系は貧しい労働者階級ではなく、高等教育を受けた富裕階級出身と思われる。その証拠に、外交官となり、スペインに赴任していることから容易に想像がつく。
このスペイン滞在が、彼の生きる座標を決めたと言える。ちょうど、スペイン内戦(1936−39年)の時期で、彼は反フランコの立場から人民戦線を支援している。この辺り、彼の政治的立場は左翼インテリであり、スターリニズムではないロシア革命以降の共産主義者である。
1945年に上院議員に当選、政界に足を踏み入れ、同時に、共産党に入党する。第二次大戦直後の世界は、世の中に変革をもたらす希望の星が共産党であり、欧州ではフランス、イタリア、ロシアではソ連に代わり、中国では毛沢東が力を得、南米も共産党が力を得た。宗教界でも、南米独特の解放の神学もこの流れであろう。



多面性

パリのネルーダ
by Diego Araya(C)Fabula, FunnyBalloons, AZ Films, Setembro Cine, WilliesMovies, A.I.E. Santiago de Chile, 2016

 共産党員の政治家、その前は外交官、そして詩人の顔を持つネルーダは、アルゼンチン貴族で画家(当時はアルゼンチンに貴族が存在する)と結婚するように、彼自身は上流階級人士である。
一方、その彼が人民の救世主と思われたレーニンの共産主義に共鳴し、貧しい労働者階級の側に立つ、矛盾を抱えた人物であることも彼の魅力である。


逃亡生活

ペルショノー
(C)Fabula, FunnyBalloons, AZ Films, Setembro Cine, WilliesMovies, A.I.E. Santiago de Chile, 2016


 しかし、左翼で著名人の彼の詩が、労働者階級の間でもてはやされることは、ネルーダの存在自体が体制側にとり、目の上のタンコブであり、彼を排除する意図に生涯悩まされた。1948年には、時のビデラ政権によって共産党が非合法となり、国外逃亡を余儀なくされる。
彼は、この時点で逃亡生活に入る。最初は国外逃亡を試みるが、不首尾に終わる。映画『ネルーダ』は、彼の逃亡生活で謎とされる1948年にスポットを当てている。



南米的政治体制

ネルーダ
(C)Fabula, FunnyBalloons, AZ Films, Setembro Cine, WilliesMovies, A.I.E. Santiago de Chile, 2016

 ネルーダを弾圧するビデラ大統領は、初期は進歩派大統領とされたが、次第に独裁色を強め、1948年の共産党の非合法化で、ネルーダをはじめとする共産党員を弾圧する。しかし、58年に再合法化される。映画『ネルーダ』は、1回目の非合法下の彼の行動を追うが、そこにはネルーダの素顔が描き込まれている。
ネルーダに扮(ふん)するルイス・ニェッコは髪の薄い、中年の小太りな男で、彼はネルーダに実によく似ている。この普通の親父が、チリ国民の心を揺さぶる大詩人とは到底見えない。ここが逆に面白いところだ。
彼は謹厳実直な左翼の政治家ではない。芸術家で女好き、そして逃亡中でも酒場に出入りする享楽主義者であるところが人間臭い。



脚本の組み立て

書類に目を通すネルーダ
by Diego Araya(C)Fabula, FunnyBalloons, AZ Films, Setembro Cine, WilliesMovies, A.I.E. Santiago de Chile, 2016

  追跡する警官との間に湧く親近感
ラライン監督は、『ネルーダ』を単なる一革命家の伝記に仕上げず、面白いアイデアを盛り込み、劇的効果を上げた。ネルーダの逃亡の証人として、メキシコを代表する俳優のガエル・ガルシア・ベルナルを、逃亡者を追う警官ペルショノーに仕立て、物語は彼のナレーションで進行する手順を施している。この2人の追いつ追われつの逃亡劇により、段々と、立場の異なる2人に親近感がわく仕掛けであり、作り手のひと工夫である。
ネルーダが立ち寄りそうな場所を、ペルショノーが推理を働かせ踏み込むが、ネルーダがスルリとすり抜ける。この2人の追いかけっこが、ストーリー展開に弾みをもたらせている。



言葉の力

山越えのペルショノー
by Diego Araya(C)Fabula, FunnyBalloons, AZ Films, Setembro Cine, WilliesMovies, A.I.E. Santiago de Chile, 2016

 ネルーダは国民的詩人と目され、自国の若者や労働者に多くの信奉者を得るが、外交官として、1948年共産党の非合法前にスペイン、その解除後はフランスに赴任し、そこで多くの世界的芸術家と知り合う。そのうちの1人、画家のパブロ・ピカソは彼の抑圧からの自由を訴える。
この逃亡中に、彼の代表作「大いなる歌」を発表している。詩では、街中至る所で民衆は「祖国を血で汚した者に罰を与えよ」、「その死をもたらせた執行人に罰を与えよ」、「苦しみを命じた者に罰を与えよ」と歌う、詩の一節一節に心を打たれるが、そこには言葉の強さがある。ここが、ネルーダが国民的詩人、そして英雄として称えられる所以(ゆえん)である。


連帯の輪

 人々の共鳴は、彼の逃亡劇によく現れている。最初の国外逃亡が挫折し、次善策として、馬による雪の中の山越えを敢行するが、そこでもペルショノーの追跡が迫り、難渋を極める。その際、彼に手を差し伸べるのが原住民である。彼らの手引きにより、彼は無事にパリへと逃れる。



チリの政治情勢

 ネルーダのノーベル文学賞の受賞は1971年だが、この時期、70年に選挙で左派のサルバドール・アジェンデが大統領に選ばれ、これでやっと民主的政権の誕生と思われた。
しかし、その3年後に、アウグスト・ピノチェットが軍部クーデターで政権を奪取、90年まで独裁権力を振るう。赤狩りと称し、文化人、知識人、学生などの拷問虐殺で、数千人の命を奪った恐怖政治であった。このアジェンデ政権の時に、ネルーダは受賞したが、まさに滑り込みセーフであった。
そして彼は、ピノチェットのクーデターの12日後に死去。一応病死とされているが、毒殺説がある。このように彼は抑圧の時代を生きた証人であり、彼の詩は証言である。この詩が、貧しい人々を感銘させ、勇気づけたのである。非人道的手法の駆使で政権を維持したピノチェット出現直前における、チリの良心ともいえる人物である。
また、彼は享楽人間とされているが、人間の多面性の発露であり、興味深い。




抵抗者ネルーダ

 血生臭い時代を、詩を愛し、女性を愛した彼は柔軟な心を持ちつつ、体を張り抵抗する芸術家であり、文学史上、南米における抵抗と知性は記憶に留めねばならぬ。




(文中敬称略)

《了》

11月11日から新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー公開中

映像新聞2017年11月20日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家