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『第30回 東京国際映画祭(1)』
選考努力を重ねるも難しいレベル向上
待たれる明確な作品の方向性

 第30回東京国際映画祭(以下、TIFF)が10月25日−11月3日の10日間、TOHOシネマズ六本木ヒルズで開催された。1985年の第1回から続く映画祭であり、それなりに固定客をつかみ、まずまずの入りであった。

 
TIFFと同時期に、米サンタモニカでAFM(アメリカン・フィルム・マーケット)が開催されるため、欧米人の来日は減っている。TIFFは国際映画祭と冠しながらも、アジアの映画関係者が目立ちアジア色が濃いところが持ち味で、彼らの関心は高い。だが世界的に見ると、アジアでは釜山国際映画祭に首位の座を明け渡している。
作品選考に関して率直に言えば、作品のレベル自体は高くなく、今年も悪しき前例を越えることができなかった。年度末近い開催時期に有力作品を確保することは物理的に難しい。毎年、選考ディレクターは努力を重ね、彼らの経験や人脈は太くなってはいるが、現在以上の浮上は考えにくい。本当に彼らが気の毒でならない。
打開策として、国立の映画センターの設立と映画祭への助成、明確な作品の方向性の確立が待たれる。例えばヒューマンドラマ、あるいは社会派作品、そしてドB級作品中心も悪くない。その辺りの一考がほしいところだ。
第3回(1989年)で審査委員長を務めたフランスの世界的歌手・俳優であるイヴ・モンタンが「選考作品の質が悪すぎる」と苦言を呈したが、その状況を乗り越えられずにいるのがもどかしい。
筆者は例年通り、コンペとアジア映画中心に30本強を観映したが、アジア映画に関しては見残し感が募った。選考数が多いのだ。



珠玉の一作「シリアにて」

「シリアにて」
(C)Altitude 100-Liaison Cin?matographique-Minds Meet-Ne a Beyrouth Films

 映画祭閉幕少し前に、待望の一作とめぐり会った。それがワールド・フォーカス部門の『シリアにて』(フィリップ・ヴァン・レウ監督、ベルギー/フランス/レバノン製作)で、ベルリン国際映画祭パノラマ部門観客賞を受賞している。今やIS対反ISの戦場と化すシリアを舞台とし、シリアの窮状を的確に描く秀作であり、終映後、珍しく観客から拍手が起きた。
舞台はシリアのアレッポ。長い間ISが実効支配し、その後、ロシアの空爆でISが敗走している。その時期、2012年の空爆前のアレッポが再現されている。政治状況には触れず、軍隊、暴力、そして、戦争の犠牲者に焦点を絞っている。
街のほとんどが破壊され、がれきの山。そのがれきの中にスナイパーが潜み、外へ出る住民を狙い撃ちする。この状況下、住民の外出は不可能で、主人公の家族は戦火を免れたアパートに息を秘めて暮らす。
外は、銃声と大爆音。家族は気丈な母親を中心に養父、子供、そして隣人という大世帯。電気を消し、戸には杭を打ち、乏しい水道事情の中での生活。ただ、ひたすら戦火が収まるのを待つ毎日である。
戦乱中というのは、どのような災害でも見られるように、火事場泥棒が暗躍する。この家にも狙いをつけた2人組の男が侵入。家族は難を逃れるため、台所に身を隠す。ただ1人、乳幼児を持つ隣人の女性は、台所が人でいっぱいになったため、外へ出される。今まで貧しいながら仲良く暮らす人々の信頼があっという間に崩れ、女性は強盗の犠牲となる。
台所内は女、子供中心で、人々は反撃もできない。溺れる人間を気の毒に思いながらも、手を差し伸ばすことができない。無念さと、他人の災難に目をつむる残酷さが際立つ。このシーンが『シリアにて』のハイライトだ。


中国の現実

「迫り来る嵐」
(C)The Looming Storm


 コンペ部門秀作に中国作品
コンペ部門の秀作、中国作品『迫りくる嵐』(ドン・ユエ監督)が目を引いた。
地方都市の工場地帯が舞台。この街で女性の殺人事件が起き、警察の出動となる。このままでは、普通の筋書きであるが、その後の展開に工夫がこらされている。巨大な工場には工員たちの窃盗事件があり、その摘発のため、探偵と呼ばれる男性社員が幅を効かしている。
この探偵、夢は刑事になることで、工場とは関係のない殺人事件に自ら進んで首を突っ込み、悲劇をもたらす。探偵は彼なりに推理を重ねて、ある怪しげな青年にたどり着く。しかし、それは濡れ衣であり、青年は車いす生活を余儀なくされるほどの大けがを負わされる。
もうけを出さぬ工場の閉鎖と失業者の発生が、街の存亡する危うくする。工場跡地はショッピングセンターに生まれ変わると、よくあるパターンだ。
先の見えぬ中国の庶民の暮らしぶりと、繁栄に取り残された人々の悲哀。映像的にも四六時中の雨の中の撮影と相まって、現代中国の一面を活写している。



ピカレスクもの

「スヴェタ」
(C)Sun Production (Kazakhstan)

 世の中にはピカレスク(悪漢)小説というジャンルがある。読んで字の如く悪漢が主人公の物語で、『スヴェタ』(ジャンナ・サヴァエヴァ監督/カザフスタン)は、その映画版である。さらに特異なことは、主人公が若い女性で、ろうあ者との設定である。
主人公のスヴェタは、学卒の縫製工場の作業リーダーで、周囲から一目置かれる存在と自負している。ある時、工場が経営難で大リストラを実施し、彼女も職を失う。自分だけは大丈夫とたかをくくっていただけに大ショックである。スヴェタの後釜は、してやったりの表情で、彼女の怒りを増幅させる。
彼女自身、家のローンを抱える身で、銀行員からローンの完済を求められている。そこで、スヴェタは一計を案じる。後釜の女性の後をつけ、山中、レンガ片で撲殺。復讐を果たす。しかし、この殺人でローン問題が解決するはずはなく、次にとんでもないことを思い付く。
ほかの工場に勤める頼りにならぬ夫に、このままでは一家離散の危機とばかりに、夫の老母を毒殺し、そのアパートを頂戴することを提案。尻込みする夫を恫喝(どうかつ)し、渋々引き受けさせる。見事に老婆のアパートを相続し、銀行の貸し剥(は)がしから難を逃れる。
目的のためには手段を選ばず、いけしゃあしゃあと行動する彼女の凄まじい悪女ぶりに、口アングリの状態である。まさにピカレスクものだ。



トロッタの新作

「さようら、ニック」
(C)Heimat film (C)Martin Henke

 コンペ部門の超大物監督は、ドイツのマルガレーテ・フォン・トロッタであろう。彼女は現在、イングマール・ベルイマン監督のドキュメンタリーを製作中で、来日は叶わなかった。
作品の『さようなら、ニック』は、大人の恋愛モノで、少しばかりおかしみが散りばめられている。ニックなる実業家から離婚された現妻と前妻は、ニューヨークのガラス張りの豪華アパートを慰謝料として手に入れ、2人で住むことになる。1人はモデル出身のデザイナーで、もう1人はドイツから来た無職の元哲学教師で、現在は子育て中。2人は正反対の性格でこの対比が楽しい。
代表作『ハンナ・アーレント』(2012年)をはじめ、社会ものを多く手懸けるトロッタ監督だが、今回はライトな大人の恋愛ものを手懸けるあたり、懐の深さが見られる。個性的な女性2人の議論は、なかなか会話を深めない日本と異なる文化の違いを感じさせ、そこが興味深い。

入賞作品

東京グランプリ/東京都知事賞
『グレイン』
審査委員特別賞 『ナポリ、輝きの陰で』
最優秀監督賞 エドモンド・ヨウ(『アケラットーロヒンギャの祈り』)
最優秀女優賞 アデリーヌ・デルミー(『マリリンヌ』)
最優秀男優賞 ドアン・イーホン(『迫りくる嵐』
最優秀脚本賞Presented by WOWOW テーム・ニッキ(『ペット安楽死請負人』)
観客賞 『勝手にふるえてろ』

「勝手にふるえてろ」
(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

 



(文中敬称略)

《つづく》

映像新聞2017年11月13日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家