『第30回東京国際映画祭(2)』
注目度が高い「アジア」部門作品 映画界を引っ張る若手監督 |
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第30回東京国際映画祭(TIFF/10月25日−11月3日開催)において、幅広く観客を集める部門は「アジアの未来」と「CROSSCUT ASIA」である。前回(11月13日号69面)ではコンペ部門を中心に紹介した。そこで本稿では、残りのアジアや他国の作品を第2部として取り上げる。
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『グレイン』
(C)KAPLAN FILM HEIMATFILM SOPHIE DULAC PRODUCTIONS THE CHIMNEY POT GALATA FILM TRT ZDT ARTE FRANCE CINEMA 2017
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グランプリは優れた発想力
前回は主としてコンペ入賞作品に触れたが、最高作としての「東京グランプリ/東京都知事賞」の『グレイン』が後回しになった。今回、この作品について述べる。
これは、トルコのセミフ・カプランオール監督の、近未来SFの趣向を持つ実験的なモノクロ作品である。モノクロによる映像作りも注目すべきだが、映像と並び評価せねばならないのは、作品の発想力である。
現在54歳のカプランオール監督は、日本での知名度は低いが、既に『蜂蜜』(2013年)でベルリン国際映画祭金熊賞(作品賞)を受賞し、トルコ映画界で高く評価される監督・脚本家の1人であり、本作が6作目にあたる。
本作は、日々悪くなる地球の環境悪化と気候変動が人類の未来を脅かし、その危機に対して、何らかの手を打たねばとする思想が背景にある。そして、未来の食糧危機に備え、特殊な麦の粒を求める学者の旅が物語の骨子となる。
ロケはトルコのアナトリア地方の岩だらけの土地をモノクロで写し取り、月面表面のようで近未来性を強調している。
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『リュミエール!』(C)2017-Sorties d'usine productions-Institut Lumiere, Lyon
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特別招待部門出品作品として、カンヌ国際映画祭アート・ディレクターのティエリー・フレモーが監督、脚本、編集を担当し、作り上げた『リュミエール!』が上映された。1895年にパリで初めて映画興行を実施したリュミエール兄弟は、以降、自身の製作会社で10年にわたり1422本の1分足らずの超短編を撮り上げた。このうち108本が4K画像により復元され、今回の上映となった。
映画史の貴重な資料であり、"映画小僧"のフレモーの面目躍如たるものがある。
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『アリフ、ザ・プリン(セ)ス』
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面白く社会問題を提起
「アジアの未来部門」出品作品、台湾のワン・ユーリン監督作品『アリフ、ザ・プリン(セ)ス』(原題『Alifu, the Prince/ ss』 )はオトボケの珍品であり、台湾映画らしいおかしみがある。主人公は、LGBTQ(セクシャル・マイノリティの意)の妙齢の男性だ。
美容師アリフは、女性になりたい美青年。彼のおネエぶりが笑える。彼の周りには、ジェンダー(社会的・文化的性別)の問題を抱える人々が配置される。アリフはクリスを愛するが、彼には妻がいる。そして田舎の父親は原住民の族長。彼は女装の息子に、帰郷し族長を継ぐことを望む。しかし、原住民には女性族長は考えられない。
このマンガ的状況下、アリフは性転換し、女性へと生まれ変わる。父親の族長も、渋々女性の族長を認めざるを得なくなる。
ジェンダーと文化コミュニティーの継続がメイン・テーマとなる本作、コメディー調ではあるが、重要な問題提起をしている。
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『ポップ・アイ』
(C)Giraffe Picture Pte Ltd, E&W Films, A Girl AND A Gun 2017
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これぞアジア映画と言えるシンガポール作品、「CROSSUT ASIA部門」出品作品、『ポップ・アイ』は、人と象の一風変わったロード・ムービーである。ゆったりしたリズム、そして画面から伝わる優しさは、純正のアジア映画の美質を備えている。
舞台はバンコクで、主人公は仕事がうまくいかない建築家。この役を演じるのは、かつての人気ロック歌手だそうだが、何かサラリーマンの悲哀をにじます感じの人物だ。
この彼は、ひょんな経緯から象を引き取ることになる。この象、どうも幼い時に一緒に遊んだ子象に思えてならぬ彼は、象を故郷へ戻すために旅に出る。このゆったりしたリズムが何とも心地良い。
監督は、シンガポールの若手女性カーステン・タン。本作が長編の第1作。彼女の記者会見から、アジア映画の体質が少しばかり理解できる。こうしたアジアの若手監督たちがけん引車となり、映画界を引っ張る様子が分かる。また、このグループには、多くの若手女性監督の顔が多い。
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『僕の帰る場所』
(C)Ex.NK.K
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日本の移民政策を扱うのが、「アジア未来部門」出品作品、日本・ミャンマー共同製作、藤本明緒監督の『僕の帰る場所』である。一見、ドキュメンタリーを思わすが、1カットを1時間以上掛けて、現場の雰囲気に素人俳優をなじませ、撮り上げている。
主人公は実在の在京ミャンマー人一家。彼らは亡命を申請するが認められない。日本の場合、外国人の亡命申請の枠が非常に少なく、世界でも珍しい移民が難しい国である。その政策に対する異議申し立てが本作である。
現代は、世界的に見て難民が増加する傾向があり、各国は彼らの受け入れに四苦八苦している。しかし、人道的立場から、渋々ながら引き受けている。
例えば、シリア難民に対するEUヨーロッパの割当制度。この事象が深刻で、政治問題化し、右翼の台頭を招く現実があるにもかかわらず、難民を受け入れているところが、わが国と異なる。
実在のミャンマー人一家は、父親は日本で仕事を持ち、母親はミャンマーに戻りたがり、2人の幼い子供は日本の学校へ通い母国のミャンマー語ができないという事情が、まるでドキュメンタリーのように展開される。
本作に接し、胸がふさがる思いをすると同時に、無力感を感じずにはいられない。現状を直視し、問題を提起することも映画の使命と、改めて考えさせる1作である。
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『アケラット−ロヒンギャの祈り』
(C)Pocket Music, Greenlight Pictures
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『僕の帰る場所』と同様、ミャンマー絡みの作品が「コンペ部門」に出品された。
マレーシア製作のエドモンド・ヨウ監督(最優秀監督賞受賞)の『アケラット−ロヒンギャの祈り』は、ミャンマーの少数民族で、イスラム教徒のロヒンギャについて語る作品だ。しかし、迫害されるロヒンギャの人々を直接描く作りではなく、生活のために仕方なくロヒンギャ難民ビジネスに手を染めざるを得ない少女の物語となっている。そのため、現在のロヒンギャ問題の一端しか描き切ってない難点がある。
「アケラット」とは「来世」の意。
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『スパーリング・パートナー』
(C)2016-UNITE DE PRODUCTION-EUROPACORP
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「コンペ部門」に出品されたフランス作品『スパーリング・パートナー』は、二流ボクサーの物語で、米国映画でよく取り上げる種類の作品だ。峠を越し、負け数が圧倒的に多い50歳に近いボクサー(マチュー・カソヴィッツ)が主人公。
彼は生き甲斐を求め、ボクシングを続ける気持ちは強いが、今では、誰も老ボクサーを相手にせず、チャンピオンのスパーリング・パートナーとして、ボクシングにかかわり続ける。負け犬ボクサー自身のこだわりと誇りを描く物語である。
審査委員長
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トミー・リー・ジョーンズ(米、俳優・監督) |
審査委員 |
レザ・ミルキャリミ(イラン、監督・脚本家・プロデューサー)
ヴィッキー・チャオ(中国、俳優・監督)
マルタン・プロヴォ(仏、監督・脚本家)
長瀬正敏 (日、俳優) |
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トミー・リー・ジョーンズ |
ウィッキー・チャオ |
(文中敬称略)
《了》
映像新聞2017年11月27日号より転載
中川洋吉・映画評論家
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