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『ロング・ロングバケーション』
老夫婦の人生最後の旅での騒動
鋭い人生考察を映像化

 人生のラストを飾る70代老夫婦のバケーションを描くロードムービーが『ロング・ロングバケーション』(パオロ・ヴィルズィ監督/2017年、米国)で、いわゆるバケーションから天国へと自らが昇る人生の1つの在り方を指し示す作品である。


老人もの

ジョン(左)とエラ(右)
(C)2017 Indiana Production S.P.A.

 いつの時代でも、映画の興行方針は、若い、あるいは中年を主人公として正面に据えるのが常識化している。ひと昔前なら、老人の主人公作品で客を呼ぶのは難しいと考える興行資本やプロデューサーが多かった。
特に米国映画では『スター・ウォーズ』ものなどを頭に、幼児性が進み、その傾向は現在も進行し、とどまる所を知らない。この傾向は、もっともな話で、興行的には大きな利益を上げている。しかし、それらの作品と別な流れの1つに、老人ものが増えていることも事実である。
わが国でも、小津安二郎監督の大傑作『東京物語』があり、これは確実に老人ものの範ちゅうに入る。しかし、老人を主人公とする作品が日本で定着するのは、リリアン・ギッシュ(無声映画を代表する大女優)主演の『八月の鯨』(1987年)あたりではないかと踏んでいる。
余談だが、『八月の鯨』は87年のカンヌ国際映画祭に出品され、記者会見場で90歳の彼女を見た時は、映画史の一頁を目にした思いであった。この作品、20周年を迎えた岩波ホールで記念上映され、異例の長期上映が話題となった。
現代の老人もの、『ロング・ロングバケーション』(原作『旅の終わりに』マイケル・ザドゥリアン著〈米〉/東京創元社刊)では、1組の夫婦の夫ジョンにドナルド・サザーランドが扮(ふん)する。現在、彼の実年齢は82歳、妻エラを演じるヘレン・ミレンは10歳下の72歳と、まごうことなき老人たちが円熟の域に達する芝居を見せている。  
  


愛の旅立ち

息子と娘
(C)2017 Indiana Production S.P.A.


 ジョンとエラ夫妻は、ある日突然、古いキャンピングカーでルート1号線を南下する旅に出る。ボストンの自宅では、両親の予告なしの旅立ちに、息子ウィルは怒り心頭である。
この日は、末期がんである母の入院日だった。それが行方不明とは、彼には信じられない出来事だ。早速、妹のジェニーに知らせ、2人で行方不明者探しをするが、どこから手を付けていいのか全く分からない。困った両親である。



道中の2人

海岸と2人
(C)2017 Indiana Production S.P.A.

  久々の旅行とあって、2人の気分は爽快。夫ジョンの敬愛するヘミングウェーの家がある、フロリダ・キーウェストへまっしぐら。キーウェストには米国映画でもおなじみの、海に突き出る長い木造の橋がある。
旅立ちのBGMは、キャロル・キングの乗りのいいヒット曲『It's Too Late』で、上々の出だしだ。
ジョンは、ちょっと認知症気味だが突然正気に戻る、まだらボケの症状。彼がハンドルを握ることに、自宅の子供たちはヤキモキする。エラは気丈で、おしゃべりな性格。漫才でいうならボケと突っ込みだ。この彼女がイニシアティブを執り、旅は進行する。



物語の構成

2人
(C)2017 Indiana Production S.P.A.

 米国旅行では、南下するほうが、東西を突き抜けるよりずっと面白いらしい。南下は景色が良く、変化も多い。しかも海も見られる。しかし、本作では、その景色を抑えめにして、役者の芝居と、ささいな出来事をからますロードムービー仕立てとしている。
イタリアのウィルズィ監督チームは、彼を含め4人の高名な脚本家を動員し、会話と少しばかり面白く、情けないエピソードを積み重ね物語を構築している。エピソードの大半はジョンが仕出かすもので、エラと役割分担をはっきりさせている。



人間臭さの描き方

キャンピング
(C)2017 Indiana Production S.P.A.

 ジョンの失敗談は数々あるが、泌尿器科系の失敗はおかしく物悲しい。旅の前半、キャンピングカー内で目覚めると、ベッドでジョンが失禁。慌てて下着を履き替えさせるエラだが、ブリーフじゃなきゃいやだと、エラの差し出すボクサーパンツを断固拒否するジョン。あまりの馬鹿ばかしさに見るほうが失笑する。
もう1つのヘマは、ラスト近くである。エラが倒れ入院するが、行動的な彼女はおとなしくしていられず、ジョンの甘言(かんげん)にも乗り、病院から脱走を図ってタクシーに乗り込む。この時、ジョンは失禁する。加齢が引き起こす現象だ。白内障と同様に年を取れば誰の身にも降りかかる疾病である。とても笑ってはいられない。
この辺りの人間臭さの描き方、いささかあくどいイタリア式表現だが、何か身につまされえる思いにさせるあたり、イタリアの脚本家たちの腕前はさすがだ。




人生の明るい面

ダイナーの一時
(C)2017 Indiana Production S.P.A.

 ジョンの失敗談以外に明るい側面もある。元国語教師の彼は、ヘミングウェーとジョイスの熱烈な愛好家であり、まだらボケから正気に戻った際、ダイナー(軽食堂)でのメイドとの会話が興味深い。
ジョンがうんちくを傾けると、メイドは理解を示し、小説の1節を復唱する。黒人の彼女は大卒である。この辺り、大学を出てもメイドの仕事しかない、米国の黒人問題の一端に触れる思いだ。




過去の浮気の露見

スライドを楽しむ2人
(C)2017 Indiana Production S.P.A.

 道中、夫妻は屋外で過去のスライドを見るのが夜の楽しみである。家族団らんの写真中心だが、幼い娘のジェニーと隣人と覚しき女性が一緒の1枚が映し出される。
ここで、その女性が夫の浮気相手であることが露見し、エラは娘に「なぜ、今までパパの愛人のことを黙っていたの」と激しく攻める。幼い娘時代のことを言われても困惑する娘のジョニー。怒った彼女はジョンを老人ホームへ強制入院させる。仕返しだ。これで一件落着したが、次にエラの入院騒動が待ち受ける。



ヘミングウェーの家

 彼らは旅行の最終目的地に到着し、今は記念館化している文豪の家を訪れる。ここは観光客であふれ返り、文学とは程遠い場となっている。
そこでジョンが陳列品を見て歩くうちに、エラは倒れこみ、即刻入院となる。彼女は末期がんであることが再び知らされる。いつもはブロンドのかつらに赤い口紅の彼女だが、ベッドでは抗がん剤のため丸刈りであり、エラは自身の病状を熟知している。この後、見舞いに訪れたジョンと病院からの脱走を図る。


最後の生の輝き

 イタリア製作人の腕前に感心
やっとキャンピングカーに戻り、横になり休むが、エラが差し出した1杯の液体を飲み干したジョンが、突然ムラムラとなり夫婦和合となる。最後の性愛であり、生の一瞬の輝きである。寝込むジョンの隙を狙い、エラは排気ガスを車内に引き込む。2人の最後である。
しかし、このラストは自分の人生、自由を満喫するハッピーエンドであり、このような人生もあっていいという人生讃歌でもある。2人は生を断ち切るが、もはや死は悲しむものではなく、むしろやり切った満足感で飾られるものなのだ。イタリアにおける人生を楽しむ考え方が顔を出している。
米国映画ではあるが、中身はイタリア・マインドがあふれている。それもそのはず、撮影チームは現在イタリアのトップと目されるパオロ・ヴィルズイ監督、脚本は多くの意欲作を手懸けたメンバーで、鋭い人生考察を映像化している。
一見、軽そうな作品だが、主張することは奥深い。






(文中敬称略)

《了》

1月26日から公開、 TOHOシネマズ日本橋ほかで全国ロードショー中

映像新聞2018年2月5日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家