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『息衝く(いきづく)』
原発、そして家族の問題を柱に描く
監督の率直な現状批判を映像化

 こういう映画が見たかったと言える『息衝く(いきづく)』(木村文洋監督)は、全共闘、成田闘争で戦った世代の「世の中は良くせねばならない」との心情がよみがえる1作だ。そして、3・11(東日本大震災)後の理想なき社会で苦闘する若者の叫びである。

田無タワーの夕暮れ

 冒頭、夜の高速道路の車両群が後から写し出され、そのうちの1台には男性2人、女性1人が乗っている。本作の3人の主人公たちである。
場面が変わり、3人の子供たちが登場する。都下、田無タワーの夕暮れを幼なじみの3人組と彼らの父、兄のような青年の森山とが一緒に見る幸福な瞬間である。森山は新興宗教「種子の会」の青年幹部で、年長の子が森山に「"よだか"がなった星って、ここから見えるんですか」(※『よだかの星』宮沢賢治の童話)と尋ねると、子供たちの憧れの的である森山は「皆で探そうか」と答える。
あいまいな答えをする大人の中にあり、この彼の一言には愛情がこもり、幼い子たちは、こういう彼に全幅の信頼を置いている。この彼らと森山の関係が物語の大きな骨格となる。  
  


子供たち

 人間関係が複雑であり、内容を理解するために彼らについて説明を加える。
彼らは日蓮宗の新興宗教「種子の会」の二世、三世の信者である。この会は、種子党という政党組織を持ち、モデルは公明党と覚しき政党だ。この「種子の会」を中心に物語が紡がれ、さらに極めて直近の社会問題の原発、普遍的問題である家族が大きな柱となる。
施設育ちの彼らは、年長の少年が大和泰行(古屋隆太)、その下に古川則夫(柳沢茂樹)、そして少女、慈(よし)(長尾奈々)である。物語は、この3人組の25年後から始まる。36歳になった大和は政党の若手幹部、34歳の則夫は市役所に勤める。



大和の今

大和(左)と則夫
(C)teamJUDAS2017


  活動家の大和は、種子党の政治活動に専念するが、党の方針には違和感を感じている。3・11の後、急に原発問題は過去の問題となりつつあり、人々は災害に触れるのを避ける。福島の悲劇を知りたくないという風潮が強まり、大和が主張する「廃炉」では、選挙に勝てないという党上層部の意向が強い。
この辺りの政治意識は、作り手の思考、観察であり、大和は作り手の分身と考えてよい。さらに、製作の動機として木村監督は「現実社会をえぐり出し、見ている者の胸に何かが突き刺さることを目指す」と述べており、本作は、彼の率直な現状批判が映像化されている。なかなか、この種の政治的発言を正面切ってぶつけ、力を見せる監督はいない。

政権入りの与党幹事長
(C)teamJUDAS2017


  この大和は選挙戦にあたり、廃炉を公約に入れることを主張する。しかし上層部は、巨大与党の一員となることが党の生きる道とし、大和の意見を否定する。つまり、巨大与党から「下駄(げた)の雪」(下駄の雪は、はがしても、はがしてもくっついてくるとの意)と揶揄(やゆ)されながらも権力の一員になる選択をする。
上層部の狙いは、大和たちが握る、冒頭に登場する森山シンパの票の再獲得である。多勢に無勢の大和は、意ならずとも党にとどまることを決意し、離れた森山票の再獲得のため、個別訪問を開始する。いわゆる「説伏」である。筆者も選挙前になると、創価学会員の個別訪問を受けることがたびたびあるが、これが、まさに説伏なのであろう。



則夫の場合

森山
(C)teamJUDAS2017


 長らく党活動を休止していた則夫も、大和の票獲得運動にならい、個別訪問を始める。市役所勤めの彼にとっては、肉体的に大変な負担となり、最終的に選挙戦で勝利を収めた時点で市役所を辞職する。
この件は、母親の病気介護が一番大きな理由である。則夫は青森の六ケ所村で暮らしていたが、放射能被害を恐れる母と東京へ移住した過去がある。ここで、母は何も分からない異郷の生活に付け込まれるように、「種子の会」の信者となる。信者二世の則夫はここで森山と知り合う。そして、彼は大和とも知り合い生涯の友を得る。
彼らは、「世界全体の幸福を願う時こそ個であれ」との森山の一言に強く引かれる。しかし、筆者個人としては、この一言の中の「個」がよく理解できない。私論を言えば、むしろ「連帯」ではなかろうか。
この森山は「種子の会」の若手ホープで、多くの若者が彼に心酔するが、自衛隊の海外派兵を契機に政界から、そして大和、則夫の前から姿を消す。



慈との再会

則夫(左)と慈
(C)teamJUDAS2017


 3人組の女性、慈は、10年前に2人の前から姿を消すが、選挙活動中の則夫と街で偶然再会する。彼女は結婚して1男をもうけるものの、今は離婚し、スナック勤めやスーパーで働くシングルマザーである。
幼い時から則夫は慈に心を寄せるが、告白の勇気がなく現在に至る。則夫にとり、子持ちで、幼なじみの彼女の現在は想像できない。その彼女、義姉により息子を前夫の元に連れ戻される。悲しみがあふれるが、ほっとした気分にもなる。
則夫は党活動、市役所を辞め、日々衰える母親の介護に専念する。




思いにまかせぬ3人

警備員の則夫
(C)teamJUDAS2017


 大和は、廃炉を掲げ、政権志向の党上層部と対立するが、選挙前に党上層部は党内融和の一策として、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉宣言を政策に掲げる。それに沿い、毎日、他の党の議員や官庁に廃炉を申し入れるが、はかばかしい回答がなく、無力感に苛(さいな)まれる。
公務員の職を辞した則夫は、生活のために警備員となる。工事現場にも身分序列があり、作業用トラックの運転手にアゴで使われる。また、母の看護も手を抜けず八方塞がりの状態である。

則夫と慈(左)
(C)teamJUDAS2017


  慈は子供を取られ、ただのシングルとなる。そのころ、則夫と10年振りに会い結ばれるが、告白の勇気のない彼から「一緒に住まないか」と言われるのが、せめてもの救いだ。



森山との再会

 思うに任せぬ3人は、久しぶりに森山に会うことを決め、彼を訪れる。迎える森山は、にわとりの縫いぐるみを着た奇妙な格好をしている。その彼は鶏飼育場を経営し、脱社会的生き方をしている。3人とも、憧れの彼の現在の姿を見て、ただただ驚く。
森山の個とは、自己の殻にこもることを知る3人。そこで彼らは今までの森山の呪縛から解放され、新たに生きる方向性を見つける可能性を持つこととなる。理想の崩壊と、新しい何かをつかむ機会を得る。




宗教の善と歪み

党の学習会「南無妙法蓮華経」の斉唱
(C)teamJUDAS2017


 真剣に社会に向き合う青年ら
度々登場する「南無妙法蓮華経」を唱和する、日蓮宗の教団を扱う作品であることが一目瞭然である。この宗教の善の部分を信じ、少しでも世の中を良くしたい2人の若者、そして、その周辺の1人の女性。今の理想が見えない状況の中で、あえて、宗教を作品の真ん中に据える発想の良さには感心する。宗教は本来「善」であるべきだが、その歪みに翻弄(ほんろう)される人間という図式が浮びあがる。
家族の問題、そして大きな問題だが嫌なものは見たくない心理が手伝い、人々の関心が薄れ始める原発問題。これを青森六ケ所村と抱き合わせ、家族の崩壊を描くが、この問題意識への切り込み方、よく考えている。
『息衝く(いきづく)』は、真っ当に社会と向き合う青年たちが織り成すドラマであり、甘くなりきった日本映画を救う待望の1作だ。





(文中敬称略)

《了》

2月24日(土)からポレポレ東中野にてロードショー。以後、全国順次公開

映像新聞2019年2月19日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家