このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『BPMビート・パー・ミニット』
エイズ感染者への偏見・差別に抗議
社会性の中に青春の哀歓も描く

 エイズ感染者への偏見・差別に抗議するフランスの若者団体「ACT UP−Paris」(以下「ACT」)を描く『BPMビート・パー・ミニット』(以下『BPM』ロバン・カンピヨ監督/2016年、仏フランス=第70回カンヌ国際映画祭〈17年〉のグランプリ〔第2席〕作品)が公開中である。非常に社会性が濃いにも拘わらず、青春の哀歓も映し出している。

ショーン(左)とナタン(右)
(C)Celine Nieszawer


 舞台は、1990年代のパリ。不治の病とされた後天性免疫不全症候群がまん延した時代である。82年に同病は「エイズ(AIDES)」と命名、95年の統計で患者は100万人を超えるとされた。
漠然とエイズと呼ぶが、大ざっぱに述べるなら、悪性のウィルスHIVが免液体を破壊するもので、以前には考えられなかった病原菌であり、対策の取りようがなく多くの死者を出している。
「ACT」は、もともと80年代に米国で生まれたが、90年代に入りフランスでも誕生した。本作は、その時代における「ACT」のパリでの活動を伝えている。
80年の米国では、既にエイズが確認され、その数は4万人といわれ、大変な社会問題となった。フランスの「ACT」は米国の後追い的な面はあるが、90年代にまん延したエイズと密接に結びついている。
しかし、エイズは主として男女間あるいは男性同士の性行為によって感染する病気であるため、隠され社会の片隅に追いやられた。政府(当時、米国はレーガン大統領)はむしろ患者を厄介者扱いし、迅速な医療行政が取られなかった。製薬会社も、対エイズ新薬の開発には熱心でなく、エイズは品行の悪い若者、特に薬物使用者やゲイ・バイセクシュアルに対する偏見が根強かった。
これは日本でも同様で、エイズ罹患(りかん)は恥ずかしいこととする風潮が強く、戦前の梅毒、淋病並みの扱いで、性に絡む不純な病気の部類に入れられた感がある。


「ACT」加入

 フランスの「ACT」は1990年代の初めに創設された。本作のカンピヨ監督自身もエイズ罹患者であり、80年代はこの不治の病におびえながら、自らの生を賭け闘い、92年4月にこの「ACT」に参加した経緯がある。
同監督は加入の動機について、インタビュー(プレスシートより)で詳しく述べている。大事な点であるので、その一部を紹介する。
彼は偶然テレビで「ACT」の創設者の1人の発言を目にする。この人物は、エイズ・コミュニティーについて語る。同コミュニティーは、病気(エイズ)にかかっている人々と、彼らと密接な関係のある人々、そして、エイズに立ち向かう医療従事者で構成されていることを指摘する。しかし、エイズは世間一般の関心の欠如によって、支援を得られていないと告発する。
この発言により、悩み抜いたカンピヨ監督は、「ACT」への参加を決意する。「ACT」の大きな目的は、世間の関心の欠如を打ち破ることにあり、彼は実際の行動に移る。  
  


冒頭場面

 若者による団体の活動伝える
 「ACT」の行動は、スローガンや決議より、直接的であることを特徴としている。冒頭場面では、大学の大教室の演壇の袖から、講演者を一瞬カメラがとらえるが、何が行われているのか実体がはっきりしない。この意味の分からない画面が、初めから意表をつく。うまい演出である。
そして、観客席から「ACT」による鳴り物入り騒音での直接行動で、議事進行が滞る。この場面で、この団体の性格が浮き彫りにされる。



ミーティング

活動家ソフィ―
(C)Celine Nieszawer


 「ACT」のメンバーは週1回のミーティングに出席し、エイズに対する偏見、差別に立ち向かうために自由な意見を闘わせる。彼らの中心は罹患のゲイの若者である。
興味深いのは、ほとんどの青年たちが短髪または坊主頭であること。これは1990年代の時代相か、あるいはゲイの間で流行していたスタイルだろうか。彼ら以外は友人たちや共鳴者である健常者、そして女性や母親も加わる。
リーダー格の女性の1人ソフィーは、積極的に参加者を引っ張る役柄。彼女に扮(ふん)するアデル・エネル(代表作『午後8時の訪問者』〈ダルデンヌ兄弟監督、17年〉)は、無名俳優が大部分の中で大変目立つ。
興味深いのは、罹患の息子の母親の存在である。彼女はいつもミーティングに参加して発言する。若者の集いでは、議論がどうしても過激な方向へ流れる傾向があるが、年長者の彼女は、ブレーキ役を果たしている。
ティボー
(C)Celine Nieszawer


メンバーの職業は、例えばソフィーは世論調査員(このような職業の存在を筆者は寡聞にして知らなかった)、黒人の若者の1人は、病院の担架運びとさまざまである。エイズに対し、メンバーは社会へ向かい怒りを誇張し主張を押し出す。そのため、彼らは過激な行動も辞さない。


実際の行動

パーティに乗り込む「ACT」メンバー
(C)Celine Nieszawer


 いら立つメンバーは攻撃の目標を、動かぬ行政とエイズ新薬の途中経過報告を拒む製薬会社へと向ける。
冒頭における大学の大教室での講演会は、「われわれだってやっていますよ」との行政によるアリバイ作りで、それに対する妨害行為は、そのスピード感のなさと形式主義への抗議であった。また、時代はミッテラン社会党政権であり、若者の多くが左翼に大きな期待を寄せたが、彼らは裏切られ、その失望を表明するものでもある。

製薬会社との話し合い
(C)Celine Nieszawer


対製薬会社攻撃では血を思わす赤い水をオフィスにまき散らしたり、会社のパーティでは、死亡した罹患者の灰を料理にかけたりして圧力を加える。さらに、予防のために高校に乗り込み、コンドームを配る活動もする。
デモの際は、必ず身分証明書を身に着けることが指示される。逮捕者は出自が明らかであり、1日か2日で釈放される。このことは、警察もエイズの社会問題化する時勢に対し、大目に見たフシがある。おそらく、エイズ救済に対する社会的合意が存在したのだろう。


別の一面

ナタン
(C)Celine Nieszawer


 「ACT」自身は活動の拠点で、強い仲間意識で結ばれ、出会いの場でもあり、恋人やセックスパートナー(ほとんどがゲイ)を得やすい環境である。その一例として、メンバー同士の挨あいさつでも、普通はほおにキスをするハグ程度であるが、唇を合わせるのには驚かされた。
ゲイ同士の濃厚な性場面、さらに、本作の主役ショーン(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)の臨終の場面は、性を突き抜けた壮絶さがある。
自宅で人生の最後を迎えるショーンを見舞う親友のナタンは、下着の下に手を入れ射精させる。
死の床のショーン
(C)Celine Nieszawer


この一幕は、性の喜び、そして生の存在証明である。満足そうなショーン、精液で濡れた手を拭うナタンの満面の喜びに満ちた表情は、死の一歩手前の最後の生の確認である。ここが本作のハイライトだ。



作品のつくりとメッセージ

 本作『BPM』(脈拍の意)は、講演妨害、製薬会社襲撃などの直接行動、ミーティングの盛り上がり、そして純愛にも似たショーンとナタンのゲイの愛を柱とし、それを激しいロックに身をゆだね、メンバーが踊り狂うディスコ場面でつなぐ。狙いとしての単純な構成で仕上げられている。143分の長尺だが、ダレがなく一気に見せる。そして生と死を単純な手法で押し、作品の硬度を高めている。
死に行く者とともに歩み、行動するメンバー同士の濃密な関係が物語を熱くし、そこが見どころとなっている。
彼らの実際の行動からは、「困難には声をあげ、闘うことが必要」とする重要なメッセージが明白に読み取れる。見るべき1作である。





(文中敬称略)

《了》

3月24日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペースなどで公開中

映像新聞2018年3月26日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家