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『タクシー運転手 約束は国境を越えて』
1980年の光州事件
ドイツ人記者が伝えた真実

タクシー運転手マンソプ
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


 1980年に起きた韓国の軍隊による一般市民虐殺事件「光州(クァンジュ)事件」を背景とする映画『タクシー運転手 約束は国境を越えて』(チャン・フン監督、2017年/韓国、137分/以下、『タクシー運転手』)が公開される。既に40年弱もたったが、韓国軍隊の犯罪がまざまざとよみがえる。
 
隣国の韓国南部光州で、(大統領になる前の)チョン・ドゥファン司令官率いる軍隊が多くの一般市民を虐殺した事実は、当時メディアによって日本にも伝えられた。だが、詳細は分からずじまいであった。筆者自身、なんとも不思議な事件との印象を持った。
1980年5月、ベールに覆われた「光州事件」の取材で自ら現地に乗り込み、危険極まりない取材を敢行した1人のドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーター(ピーター)と、偶然彼を運んだタクシー運転手のキム・サボクの実話を元に描いたのが、本作『タクシー運転手』である。
記者ピーターにはドイツ人俳優トーマス・クレッチマンが、ソウル在の平凡なタクシー運転手キム・マンソプには韓国の国民的俳優ソン・ガンホが、それぞれ扮(ふん)し、事件の渦中に飛び込む話である。
歴史的政治事件の悲惨さはもちろんのこと、2人の男の熱い絆(きずな)も描き、娯楽性を加えている。


光州事件とは

光州行タクシー
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


 ひと言でいえば、1980年5月18日から27日にかけて起きた、民衆の反政府蜂起である。その間光州は内戦状態となり、武器をとり軍隊に立ち向かった市民だけでなく、女性、子供、老人までもが銃弾の犠牲となった。当局発表では死者191人、しかし、実際には1000人を超えていたとされる。
この事件、チョン・ドゥファン司令官の指揮の下、徹底した報道管制が敷かれ、国内では「アカの仕業」と報道され続けた。しかし、ドイツ人記者ピーターの死を賭けた取材と、16_カメラの映像(現場取材用のキヤノン製16_スクーピックを使用)で全世界に知れ渡ることとなる。
かつて筆者は、光州に入った外国メディアはドイツ人記者1人で、日本人記者は皆無であったことを、ある会合で朝日新聞・元ソウル特派員の猪狩章から聞いた記憶がある。  
  


タクシー運転手

光州の蜂起する市民たちと
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


 同行した運転手との熱い絆も描く
冒頭、タクシー運転手マンソプが運転しながら、ラジオから流れる音楽に合わせて陽気に歌う。鮮やかな登場である。陽気な彼が機嫌よく歌えば、「これから何か面白いことが始まるのでは」と見る側は期待する。これが悲劇の序章とは到底思えない。映画的には上々の出足だ。
タクシー会社の社長は、マンソプの大家で隣人でもあり、店子(たなこ)の彼は家賃を滞納していた。そこに現れるのが、東京駐在のドイツ人記者ピーター。彼は光州まで10万?出すからと、マンソプの車に乗り込む。思わぬ収入にホクホク顔。ただし、通行禁止になる前にソウルに戻ることが条件と告げられる。
検問所
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


光州の入口には軍隊の検問所が各所に設けられ、戒厳令状態。検問をくぐり抜け、なんとか光州に入った彼ら2人は、街中に人っ子ひとりいない異様な雰囲気に気づき、尋常でないことを悟る。
光州までは2人の男性の珍道中である。韓国語を話さず英語で通すピーター、サウジアラビアでの5年間の出稼ぎで覚えたインチキ英語を操るマンソプ。2人の会話は全くかみ合わない。陽気なマンソプは韓国語でピーターに話し掛けるが、苦り切るピーター。このトンチンカンな2人の様子には笑える。
マンソプは陽気ではあるが、気が短くけんかっ早い。そのくせ、人情味溢れる人物で、困る人がいれば渋々ながらも手を差し伸べるという、どこにでもいそうな中年親父だ。
この役柄、顔が大きく、善良そうな風貌のソン・ガンホにはドンピシャリ。イケメンでは、彼のような味は出せない。この彼の表情が、状況に応じて徐々に変わるところも作品の見どころだ。



光州市内

光州の仲間と
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


  ブラインドが下がり、ひと気がない街で、2人は1代のトラックに乗る数人の男たちと出会う。彼らは一般市民で、タクシー運転手もいる。中年男性は皆、英語を話せず、1人の大学生だけが英語でピーターに驚くべき状況を説明する。
それによると、パク・チョンヒ大統領(前パク・クネ第18代大統領の父)が暗殺され、政権を握った軍部のトップが反政府の民主化グループを力づくで抑え込んだという。そして、1980年5月17日に全土戒厳令を布告する。
光州では、市民の大規模な反政府蜂起が起き、最初は大学生、その後市民も加わり、市内は無政府状態となっていた。軍は2万5000人の部隊を送り込み制圧する。
この間の事情は韓国で最も有名な俳優、アン・ソンギ主演の『華麗なる休暇』(2007年、キム・ジフン監督)に詳しい。劇中、退役軍人で市民部隊を指揮するアン・ソンギが「チョン・ドゥファンは大統領ポストを狙っている」と口にするが、まさにそのとおりとなる。
軍部クーデター、反政府・民主化グループへの弾圧、政敵キム・デジュン大統領(1998年−2003年)への死刑判決、そして自身の大統領就任と、チョン・ドゥファンの思い描く権力掌握の絵図が完成する。



市街戦

ピーターやタクシー運転手たちとの口論
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


 市民は軍隊に対抗するため、郷土予備軍倉庫から武器を奪取、市街戦となる。軍は戦車を投入し、にらみを利かせてデモ隊に発砲。一般市民を傷つける。
その間、ピーターはマンソプを伴いスクーピックで現場を撮影する。それが後にドイツのテレビ局で放映され、世界は初めて光州事件を知る。徹底的に外国メディアを排除したチョン政権で、事件の唯一の動かぬ証拠である動画をもたらしたのは、ドイツのテレビ局であった。



市民の連帯

タクシー仲間とマンソプ
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


 虐殺という超バイオレントなシーンと併せて、庶民同士の助け合いの場面が多く挿入される。
光州の異常事態に驚き、「アカの学生」の騒ぎと思っていた市井の庶民に過ぎないマンソプは、考えもしない騒乱に巻き込まれる。何度か命の危険を肌で感じ、1度はピーターを光州に置いて黙ってソウルに戻ることも考える。しかし、それをやめさせたのは、光州の学生やタクシー運転手仲間であった。
本作の見どころは、一般の人々が何くれとなく助け、おとこ気を見せ、時には命を犠牲にしてマンソプやピーターの力になるところで、古典芸能でいうメリヤス(「滅入りやんす」の意味で、心情描写的シーンを指す)の数々である。
公安刑事に捕まるも、死を覚悟で2人を逃す英語を話す学生。マンソプにおにぎりを差し入れする市井の女性。騒乱中に軍隊に連行されるこの女性の姿を、成す術もなく後ろから見送るマンソプ。
そしてラスト、検問の兵士が、わざと目こぼしをして彼らを通すあたり、人情に訴える場面をつくっている。
商業性を加味し、ハードな虐殺劇を中和して見せる演出、脚本の目配り、「分かっているな」との感を抱かせる。




光州事件の再現

父と娘
(C)2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.


 事件の内容の全体像をきっちり見せ、殺人装置と化したチョン・ドゥファン司令官の軍隊の極悪非道な行為、庶民の助け合い、そしてマンソプとピーターの男の友情。権力に対する怒りを歴史の教訓として語り、他人への優しさに涙させる物語となっている。韓国で1200万人動員の理由がよく分かる。
蛇足ながら、虐殺を指揮したチョン・ドゥファン元大統領は民主化時代に入ってから、死刑、無期懲役、そして恩赦による釈放で現存する。彼の不正蓄財は9分の1しか返済されなかった。数百億円の不正蓄財は息子たちに受け継がれ、刑事訴追も受けていない。






(文中敬称略)

《了》

4月21日からシネマート新宿ほか全国ロードショー

映像新聞2018年4月9日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家