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『ゲッベルスと私』
独ナチス中枢周辺の出来事
103歳老婦人のインタビューで構成

ポムゼル
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 ナチスを扱う作品は、ホロコーストとドイツ国民の悲劇を描く場合が多い。その中にあり、今回触れる『ゲッベルスと私』(2016年、オーストリア/クリスティアン・クレーネス監督/113分、ドイツ語)は、一事務員でありナチス中枢で働いていた過去を持つ、ドイツ老婦人とのインタビューで構成されている。一般国民の消極的、やむなく協力を余儀なくされた、戦時下の生き方を示している。

マチスの宣伝相

イタリア訪問中のゲッベルス
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 ゲッベルスは、ナチスの宣伝相であり、学識も教養も兼ね備える有能な人物だ。1897年生まれの労働者階級の子弟で、若い時代は学歴がありながら望む就職ができないため、読書で多くの時間を過ごさざるを得ず、世の中の不公平を感じていた。そして反資本主義的な考えを持ち、金融を握るユダヤ人に強い反感を抱くようになった。
1920年後半から、右翼政党の大物の知遇を得て政治の世界に足を踏み入れ、その後、ナチス中枢の道を歩む。彼は演説が巧みで、これを最大の武器とし、宣伝相の地位を確固たるものとする。
一方、若い時からの映画好きで、セルゲイ・エイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年、ソ連)に傾倒し、ナチス版『ポチョムキン』を構想したりする。映画と関連し、時局を読む才能にたけた彼は、当時、普及し始めたラジオに目を付け、宣伝の具とした。先見の明がある。  
  



家庭人ゲッベルス

ポーランドの抵抗運動
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 彼は、身だしなみが良く、立ち居振る舞いも洗練され、人が恐れるナチスのトップらしくない軍人であった。家庭は再婚の妻マグダと4人の子供に恵まれ、子供たちはしつけが良く、理想的な家庭を築いていた。
極悪非道なナチスではなく、礼儀正しい軍人を扱うジャン=ピエール・メルヴィル監督の『海の沈黙』(1947年、フランス)が思い起こされる。こちらは、占領軍としてフランスに駐留するナチスの教養あふれる将校が、フランス人家庭でトゲの刺さるような沈黙の中に身を置く物語で、ゲッベルスの持つ一面を表す軍人が登場する、レジスタンス物である。
最終的にゲッベルス一家は、降伏前に無理心中をしている。





主人公ポムゼル

ナチスの入隊宣誓式
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 インタビューを受ける老婦人は、ブルンヒルデ・ポムゼル(1911年−2017年、106歳没)。顔中シワだらけ彼女は、撮影当時103歳であった。本作は、この彼女が語るナチス中枢周辺の物語である。
内容としては、彼女の主たる活動期間の第2次世界大戦終了前後(1945年5月8日、ドイツは無条件降伏)までを扱っている。彼女の深いシワは、生きてきた証しであり、それだけで映像的価値はある。よくこのような高齢で頭脳明晰な人物を探してきたと感心する。
彼女は労働者階級出身で、中学卒業後から働きに出る。最初は高級衣料店。その後、ユダヤ人弁護士で保険代理業を営むゴルドベルク博士の下で働くものの、ユダヤ人排斥の時勢、少しずつ仕事が減り、半日勤務となる。そこで恋人の紹介により、ナチ党員である作家ブライの所で、戦争体験を口述筆記するタイプライター係として、午後だけ勤める。
彼女に訪れる転機は、ブライの口利きで放送局に秘書として職を得てからである。しかし、その前に入党する義務があった。彼女は、渋々10ライヒスマルクを支払わざるを得ず、もともと少ない給料の彼女には不満の種であった。
少し脱線するが、入党するのに金を払うことなどあるのだろうか。ナチスも随分しっかりしているものだ。
1933年、放送局に入る。ここは給料が良かったが、不景気の経済状況下において買うものがなく、フランス製生地で洋服をオーダーすることくらいしか楽しみがなかった。さらに、1942年には宣伝省へ異動、ゲッベルスの秘書となる。



構成

解放後のエーベンゼ収容所
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 多数の実写フィルム映像を挿入
本作は、証言を中心とするインタヴュースタイルで、登場人物はポムゼル1人、舞台は黒バックのみ。そして、彼女のアップで押す手法をとり、ここで彼女の深いシワ、メガネの奥の眼光に照明を当て、表情の変化を読み取る。
次に実写フィルムを挿入する。これらのアーカイヴ映像は、アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館、スティーブン・スピルバーグ・フィルム&ビデオ・アーカイヴなどの所蔵品である。



皆、エゴイスト

歓呼に迎えられるナチス軍
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 ポムゼルは、取り立てて確たる信念を持つ人間ではなく、その他大勢のドイツ人女性の1人である。学歴もコネもない彼女がやってこられたのは、人から信頼される働きぶりであり、すべて与えられた場で、皆のためにやったと確信している。
時に他人には害になることもあることは理解している彼女は、「自分のやっていることは、エゴイズムなのか」と自問自答する。善悪は別とし、上から言われたことをやったに過ぎないと。
ちょうど、アウシュヴィッツの責任者、アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アーレントの指摘する「凡庸なる悪」と同工である。




ナチス統治下の反戦運動

国家労働奉仕団
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 数少ない反ナチス抵抗運動の1つが「白バラ事件」である。ミュンヘン大学のショル兄妹が、1943年に反戦ビラを撒いた廉(かど)で逮捕され、4日後に処刑された事件。ポムゼルは「黙っていたらショル兄妹は今も生きている」と語る。
同年2月、スターリングラード攻防戦でドイツは敗退し、これによりドイツの敗北が濃厚となる。「白バラ事件」での即刻の死刑執行は、敗戦をカモフラージュし、恐怖支配を狙うナチスの悪巧みとしか考えられない。この事件は、『白バラ』(1982年/ドイツ、ミヒャエル・フェアホーヘン監督)として映画化、日本でも公開された。
もう一つ、「白バラ事件」を通して言えることは、この戦争における市民、兵士の死者数が、敗戦末期で?を占めるという事実である。
これは、ドイツも日本も全く同じ現象で、なぜもっと早く戦争を止められなかったのかと疑問と怒りがわき上がる。為政者の責任は当然、問わねばならない。



エヴァの存在

ナチを歓迎する沿道の子供たち
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 仕事一筋のポムゼルは、友人が多くないと思われる。その中の1人に、若いユダヤ人女性エヴァがいる。エヴァは貧しく、彼女と会うときは、ポムゼルがコーヒー代を払っていた。ユダヤ人である彼女のことを、ポムゼルは「ちょっと鼻が大きいだけ」とかばうのであった。
宣伝省勤務となったポムゼルは、危険を避けるため、彼女の職場への出入りを遠慮してもらう。それ以降、敗戦まで音信不通となるが、戦没者名簿から敗戦の年にアウシュヴィッツ強制収容所でのエヴァの死亡が確認される。やはり、他のユダヤ人と一緒の収容所送りとなっていたのだ。




自己弁護

ポムゼル
(C)2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 ポムゼルは一貫して、強制収容所について知らぬと主張する。エヴァのこと、周囲のユダヤ人が消えること、知らぬはずはなく、インタビューの彼女の表情に毅然(きぜん)としたたたずまいが一瞬消える。
宣伝省では、ソ連兵に性的暴行されたドイツ婦人の数の改ざんを、上司から指示される。1945年に空から撮られた実写フィルムによるベルリンの廃墟の映像などを見ても、彼女が戦況を知らぬはずはない。しかし彼女は、見ていない、知らないと最後まで頑張る。
その態度にも一理ある。ドイツ国民は戦争中、いわばガラスのドームに入れられ監視されたような状態で、とても戦争の実情、ユダヤ人の死の移送など、知っていても口に出せる状況ではない。「見ざる、聞かざる」を決め込まざるを得ない。これが庶民の数少ない生きる術(すべ)である。この万やむなき事情もありとするのが、作り手の意向であろう。






(文中敬称略)

《了》

6月16日(土)より岩波ホール他全国劇場ロードショー

映像新聞2018年6月11日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家