このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『グッバイ・ゴダール!』
フランス「5月革命」を舞台に映画化
スター監督の人間性に迫る

 1968年にフランスで起きた「5月革命」が、ミシェル・アザナヴィシウス監督の手により映画化された。それが『グッバイ・ゴダール!』である。ヌーヴェルヴァーグの輝く異端の前衛監督について、アザナヴィシウス流の軽妙な作風で、天才ジャン=リュック・ゴダールを描き上げている。芸術と政治に特化する小難しい作りではなく、快作『アーティスト』(2011年)の作者らしい同監督の目からとらえた、ゴダール像が面白い。

 
「5月革命」とは、20世紀のフランスにおける最大の事件といわれる、学生と労働者がともに政府に対して異議申し立てをした社会運動である。この学生・労働者の反乱は、結果的には彼らの敗北だが、世紀をまたぎ俯瞰(ふかん)すれば、その功績を否定するわけにはいかない。 「5月革命」の最大の特徴は、家父長制の崩壊での人間関係の変化であり、縦軸が横になることだ。従来の男女関係をはじめ、労使関係、医師と患者、看守と受刑者らの横の関係への移動である。 もう1つの成果として、女性の「性交する自由、産む自由」の思想の確立、また女子の大学進学率の増加が挙げられる。現在、フランス人が日常享受している社会関係、人間関係は、「5月革命」抜きには語れない。 「5月革命」の底流には、それまでのフランスを支配する縦型社会(保守党政権支配と教会)に対する反感、経済的恩恵に与(あずか)れない労働者階級の不満の爆発がある。時のド・ゴール政権の家父長的支配に飽きがきていたことも、要因の1つといわれる。 筆者は当時在仏し、「5月革命」を目の当たりにする機会を得たが、パリ市内の機能が停止、交通機関や郵便の不通、ガソリン不足による市民のヒッチハイク、街中にあふれるゴミの山と、大変な混乱であった。 世論は好意的であったが、新左翼に主導権を奪われまいとした共産党と労組はスト解除に走り、その後の総選挙で保守派が圧勝。政権はド・ゴールが去り、ポンピドゥー内閣が発足する。この政治の季節に身を置いたゴダール監督を描くのが『グッバイ・ゴダール!』の骨子である

ヌーヴェルヴァーグ

ゴダール(左)とアンナ(右)
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

 当時フランス映画界では、『大人は判ってくれない』(1959年)のフランソワ・トリュフォー、『いとこ同士』(59年)のクロード・シャブロル、『勝手にしやがれ』(59年)のジャン=リュック・ゴダールなどが台頭していた。新しい映画作りは即興演出、同時録音、ロケ中心を重視し、従来の映画界の既成概念に挑戦した。ヌーヴェルヴァーグ・エコール(流派)は現在も形を変え続いている。
既に中堅として活躍するヌーヴェルヴァーグの面々は、「5月革命」に共鳴し、既成の映画を否定し。「5月革命」勃発のほぼ10日後、会期中であったカンヌ映画祭(第21回)に乗り込み、映画祭を中止に追い込んだ。そして、翌年(69年)、彼らの属する監督協会(SRF)は、新しい部門「監督週間」の設立を映画祭当局に認めさせ、今年で50年目を迎えた。  
  



ゴダールとアンヌ

ゴダール夫妻
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

 2番目の妻の自伝的小説を原作に
本作『グッバイ・ゴダール!』の主人公は、『中国女』(1967年)の監督ゴダールと、その主演女優アンヌ・ヴィアゼムスキー(彼女は文才にも恵まれ、原作はゴダールとの生活を描く自伝的小説『彼女のひたむきな12カ月』と『それからの彼女』があり、本作は『それからの彼女』を主としている)である。37歳の彼と20歳のパリ大学哲学科学生の彼女。この年の離れたカップルの結婚生活が描かれる。彼は若い彼女に捨てられる予感を持つ。
ゴダールに扮(ふん)するのは、現在35歳の二枚目タイプであるルイ・ガレル。父はヌーヴェルヴァーグ系で独自のモノクロ映像感覚により人間の内部を見つめるフィリップ・ガレル、祖父は著名な俳優モーリス・ガレルだ。
デモ中のゴダール
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

彼の演じるゴダールは、ちょっと無理と感じさせるが、カツラによる薄い頭、そして黒メガネで極め、なかなかサマになっている。
アンヌ役はステイシー・マーティン。ラース・フォン・トリア監督の『ニンフォマニアック』(2013年)で世に出た女優だ。この若手女優が扮する女子大生役は無理がない。
2人は、ゴダールが常に主導権を取り、若いアンヌがそれに従う、古い人間関係。新しい人間関係の構築を掲げた「5月革命」の主旨と相反する。この2人の関係をはじめ、ゴダールを主(あるじ)とする生活態度を、監督のアザナヴィシウスは終始からかっている。難しそうな御託(ごたく)を並べるゴダールは、この程度のものと言っているように受け取れる。





大講堂の討論

パパラッチとゴダール夫妻
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

 ゴダールの年譜を整理する過程で、不思議な箇所に突き当たる。「5月革命」の際、彼はパリに居ないのである。だが作品では、カルチエ・ラタンのパリ大学(ソルボンヌとも呼ぶ)の大講堂で学生たちが口角泡を飛ばして議論をする。そこでゴダールは「映画を捨て、革命を」と持論を繰り広げる。しかし、この極論、ほかの学生たちから大ブーイングを浴び、アンヌと2人で退散する。
多分、アザナヴィシウス監督は、多くの場所でのゴダール語録を、大講堂の場面でフィクションとして再現したと推測できる。一連の大講堂のゴダールの発言は、ことごとくやじり倒される。これも同監督の狙いであろう。
デモの仲間と
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

デモに参加するゴダールは、「ド・ゴール、ポンピドゥー、クソ野郎」とシュピレヒコール。デモの一員の彼だが、既に著名人扱いで、警察の検問でも警官から「映画を見ています」と丁寧にいわれ、逆に気が抜ける有様。同様に、デモ参加者からも「あなたの映画見てます」とアイドルもびっくりするような状況に、彼は不機嫌を通す。
またある時はファンに語り掛けられ、「今行われているベトナム戦争を日常的に映画で描くべきで、愛ばかりを描いても仕方ない」とすべてを否定する言動に、周囲は沈黙するばかり。ここでもゴダールは、「場の読めない人間」とからかわれている。周囲とのギャップを面白おかしく描き、彼に対し「もっと丸くなったら」との声が聞こえそうだ。



別荘

別荘でのアンヌ
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

 アンヌは、イタリアのマルコ・フェレ―リ監督(代表作『最後の晩餐』〈1973年〉)から主役のオファーを受ける。彼女が世間の目にさらされることを好まないゴダール。しかし、主役ということで、アンヌだけ1人で出発する。
数日後、彼女の元を訪ねる彼の情けない様子。彼女からも段々と愛想づかしの視線が注がれ、結婚は5年で破局を迎える。若妻に逃げられる中年男を絵に画(か)いたような成り行きだ。
次に、カンヌ映画祭粉砕のため、トリュフォーほか、若手がカンヌへ乗り込む。作中、ゴダールは遅れて到着、いつものへそ曲がり精神であろう。この段で、とてつもなくおかしいのが、カンヌからの帰途である。
アンヌ
(C)LES COMPAGNONS DU CINEMA - LA CLASSE AMERICAINE - STUDIOCANAL - FRANCE 3.

ゼネストにより交通機関がストップの状態。やっと手に入れたガソリンで、中型車に6人が乗り合わせとなる。そのうちの1人、友人のミッシェル・クルノーが、自分の作品が映画祭で上映されなかったことを愚痴ると、ゴダールは「あんなクソみたいな作品、上映されてもしょうがないだろう」と身も蓋(ふた)もないことを口にする。それをきっかけに、車中で大ゲンカ、そして、大人6人の気まずい沈黙、この場面は笑える。アザナヴィシウス監督も、きっと「してやったり」の境地であろう。
『グッバイ・ゴダール!』はヌーヴェルヴァーグのスター監督の一面をとらえているには違いない。ゴダール自身が主張する「映画を選ぶか、革命に殉ずるか」は、論理的に無理がある。映画を捨てれば、彼らは表現する場を失うのである。その辺りをアザナヴィシウス監督は突いている。
しかし、この監督のからかいは、ゴダールという監督の人間性を考える上で、大変興味深い。ゴダールは、自ら望むように政治を映画の核とし、活動を続け、興行性と離れた環境で、現在まで休みなく作品を撮り続けている。
ゴダールの観客は、映画を見るより、彼に会いに来る感がある。休みなく作品を発表できることは、観客が確実に付いており、金を出すプロデューサー側も、決して損をしていないということである。
別の視点から見るゴダール像の発見と考えてもよい。








(文中敬称略)

《了》

7月13日から新宿ピカデリーほか全国順次公開

映像新聞2018年6月25日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家