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『沖縄スパイ戦史』
知られざる沖縄戦の真実
2人の女流監督による密度の高い作品

 第二次世界大戦末期の1945年3月26日から始まった沖縄戦は、6月23日までの3カ月間に及び、その戦闘後、日本軍は米軍に降伏した。この沖縄戦で民間人を含む20万人余りの犠牲者を出した。これを「表の戦争」とすれば、沖縄北部の山々ではゲリラ戦、スパイ戦など「裏の戦争」が続き、兵士の多くは10代の少年たちであった。この知られざる「裏の戦争」を描いたのが『沖縄スパイ戦史』(2018年、114分)である。長年にわたり沖縄の基地反対闘争を追った三上智恵と、初監督となる大矢英代の共同監督によるドキュメンタリーだ。両監督とも、琉球朝日放送の報道記者出身である。

米軍に捕らわれる日本人少年兵
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 
少年兵たち
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 『沖縄スパイ戦史』は2人の女流監督の手により、非常に詳しい調査と緻密な資料の渉猟(しょうりょう)がなされ、密度が高い作品に仕上がっている。
当時、スパイ養成を目的とした「陸軍中野学校」(現在の中野サンプラザ横に存在した)は、数々の秘密工作に従事していたが、同校出身のエリート青年将校たちが主導した沖縄戦「裏の戦争」について、これまで詳しく語られることはなかった。
敗戦した日本軍は、終戦時に多くの重要書類を焼却して証拠隠滅を図り、日本側資料は皆無に近い。本作では、米国に保存される書類、映像を使用している。証拠隠滅に関しては、ほかに似た話がある。軍参謀の故瀬島隆三の日本軍シベリア拘留資料が存在したと思われていたが、彼の死後、亜細亜大学に寄贈された資料では、シベリア部分が見事に欠落していたエピソードである

沖縄戦とは

70年後の戦友交歓
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 
体験談を語る老婆
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 
 大勢の犠牲者を出した「裏の戦争」
1945年3月に米軍は慶良間諸島を制圧、翌月に沖縄本島に上陸。沖縄戦の始まりだ。当時を知る人は、海いっぱいが米国艦船で埋め尽され、ひと目見ただけで物量の差は明白であった。余談だが、大体、米国相手の戦いで勝てるわけがない。こちらはお茶漬けサラサラ、あちらはビフテキときては―。
「表の戦争」として米軍は南部を実効支配するが、北部山間部はゲリラ戦模様。このゲリラ戦を組織したのが陸軍中野学校の若手将校で、当時22歳であった。最初彼は、都会から来た格好の良い好青年扱いであった。
彼らの部隊は護郷隊と、もう1隊の第2護郷隊があり、その指導者も陸軍中野学校出身者。彼らは山間の15、16歳の少年たちに、敵の食糧庫や弾薬庫の夜襲、陸軍登戸研究所が開発した特殊兵器(化学兵器のようだ)を使っての爆破作戦で、米軍の北部侵攻に備えた。
ここで、1人の老人へのインタビューから、護郷隊の活動内容が明らかになる。作戦の1つである戦車特攻では、少年が大けがを負う。この特攻作戦は、米軍の察知するところとなり中止。次いで若い指揮官は斬(き)り込み隊を組織する。近代兵器の米軍に日本刀1本で斬り込むとは、正常な脳活動ではない。
これらの無謀な作戦には、その根底に「人の命」の軽視の意識が存在していることは、確実に言える。案の定、斬り込み少年は返り討ちに遭い、少年のあごが負傷し、ほほも傷つく。本来ならば病院での手当であるが、手足は満足だからと、遺体を埋める作業に回される。また、米軍の北部への来襲を防ぐために橋を破壊するが、逆に北部への避難住民の足を奪い多くの餓死者を出す。
陸軍中野学校出身のガキと大差のない若者たちの人命軽視の思い上がりが、ゲリラ要員の少年と合わせて、多くの住民の命を奪った。
老人の話を耳にし、軍隊の非情さに怒りがわいてくる。7月9日号掲載の『菊とギロチン』でも同様な気持ちであったが、いつも殺(や)られるのは、力の弱い人々であることを改めて思い知らされる。  
  



強制移住

米戦闘機
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 もう1人、陸軍中野学校出身の山下虎雄(偽名)が小中学校教員として、波照間島(はてるまじま)に赴任する。この島は米軍の空襲もなく、1人の戦死者も出さない島であったが、島民の1/3にあたる500人が命を落としている。これも、陸軍中野学校出身者の手によるものである。
山下虎雄は最初だけ、第1護郷隊隊長の村上治夫同様、島民に好意を持たれた。しかし、ある時、牙をむき出し、安全のためと称し、隣のマラリア地獄の西表島(いりおもてじま)への強制移住を迫った。日本刀1本で島民を脅しつけ、言うことを聞かせた。




住民虐殺

山間での戦い
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 日本軍はスパイを異常に警戒する体質がある。極端な場合、相手をスパイと名指せば、スパイが1人仕上がる。「住民が敵に捕まればスパイとなる」と信じる根拠は、投降を厳重に禁止する日本軍独特の考え方から発すると解釈できる。
投降することを認めれば、どれほど多くの住民が犠牲にならずに済んだろうか。ここにも日本軍の人命軽視の抜きがたい考え方がうかがわれる。
沖縄戦では、食料も武器も尽きた兵士たちは、山に隠れ住む「敗残兵」化し、彼らは自身の恐怖心により、住民から常に寝首をかかれる心配を抱き、ささいなことで住民をスパイにデッチあげ、虐殺を行う事例がいくらでもある。
これは、一般住民に限ったことではない。老人や子供は作戦の邪魔になるとし、強制的に山間のマラリアの蔓延する地域に追いやられた石垣島の例もある。



住民同士の殺害

当時を証言する関係者
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 軍隊にとり一番恐いのは住民の反抗や暴動であり、その対策としてスパイリストが作られ、住民を分断することが試みられる。そして、住民同士の殺害も数多く発生した。旧陸軍は、証拠となるべき書類を焼却処分したが、戦闘の地で米軍が極秘文書を発見し、現在は米国の施設に保管されている。この書類から、スパイリストの存在が明らかになる。
それによれば、日本軍は地域の有力者や学校の先生を集め、裏の軍隊組織を作り、住民同士を監視させ、密告させるスパイリストが作成された。それにより、順番にスパイを殺していったと、米国に保管されている資料から明らかになる。
裏の軍隊組織は村の有力者で構成され、戦後、スパイリストおよび殺害について証言する人はいなかったそうだ。さらに悪いことに、それらの有力者は罪の意識が全くなく、いわゆる「上から言われたから殺(や)った」の論法で、戦後は高額な軍人恩給の恩恵に浴したのであった。



戦闘マニュアル

少年兵の生徒
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 沖縄戦での有名な話として、避難住民が岩穴に逃げ込んだが、先に居た日本軍に追い返された事実がある。
軍隊は自国民を守るどころか、住民を利用し、疑い、殺害している。また住民同士もお互いを死に追いやり、大勢の犠牲者を出している。その根源には数々のマニュアルどおり、日本軍の戦争方針の結果であることが分かる。



軍隊の本質

秘密戦に関する書類
(C)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

 本作のラストで、元32軍部隊特別参謀、神直道と名乗る人物が傲然(ごうぜん)と言い放った、「軍隊の目的は"敵の殲滅(せんめつ)"であり、さらに基地を守ることで、国民を守るものではない」が軍隊の本質なのだ。しかも、その内容は"敵の殲滅(せんめつ)"どころか、味方の犠牲をいとわない彼ら日本軍の本音が垣間見える。その上、何のための殲滅(せんめつ)かの視点が抜け落ちている。
そして、作戦のために若造たる陸軍中野学校出身者が住民の生殺与奪権を握り、軍にとって足手まといになる子供、老人、病人、そして住民を殺害し、敗戦を迎えたのであった。
三上と大矢の両監督は、本作で「軍隊」は決して人の命を守る存在でないことを喝破している。まさに正論だ。






(文中敬称略)

《了》

7月28日(土)より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開中

映像新聞2018年7月23日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家