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『人間機械』
貧しい人々の壮絶な生き方
過酷な作業を強いられる労働者に迫る

 ドキュメンタリー作品『人間機械』(原題『MACHINES』、ラフール・ジャイン監督/2016年、インド、フィンランド、ドイツ、71分)は、労働を通し、貧しい人々の壮絶な生き方に迫る作品であり、強いインパクトを見る者に与える。時代は、著しい経済発展を遂げる現在のインドである。舞台には、北西部グジャラート州にある巨大な繊維工場(ここで織られる柄物のプリント地が女性のサリーとなる)が選ばれている。上空から見るこの工場は、昔風の巨大な作業棟が脈絡なく配置され、とても近代的工場の佇(たたず)まいとはほど遠い。

繊維産業

児童労働者
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

 インドの巨大な繊維工場を舞台に
インドにおける繊維産業は国家の基幹産業で、国内市場の半分以上を占めている。その大部分が低賃金の中小企業で、全土で4500万人の労働者が働いている。
工場内の描写でも多くみられる児童労働者は1260万人とされ、大人並みの仕事に従事している。だが95%の工場に労組はなく、1日12時間の労働が常態化している。インドの繊維産業は歴史が古く、それはインド綿のお陰である。  
  



出稼ぎ労働者

工場内
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

 作中、工場で働く労働者はほとんどが出稼ぎで、中には1000Km以上の遠い所から職を求め、家を後にする。仕事があれば故郷の妻や子供を養え、自分も貧しいながらもなんとか食べていけるのだから、彼らにとって出稼ぎはなくてはならない。
もちろん単身赴任で、月給は約1万2000円と、驚くべき安さである。労働者は明らかに搾取されているが、この出稼ぎ以外、収入のあてはない。
遠い土地からやってくる貧しい労働者たちは、工場経営者の餌食となっている。




労組

 工場労働者は疲れ切っているようで、ほとんど口を利かない。なるべく精力を温存する知恵であろうか。例えば、原料たる白い布の上で泥のように眠っている場面は、厳しい労働そのものを表している。
建前として法律上8時間である労働時間が、実際は12時間にも及ぶ状態について、口の重い労働者たちは語りたがらない。彼らは皆8時間労働を望むが、月70−80時間もの時間外労働の無賃金が当たり前となっている。
ある日、労働者の中の勇気ある1人が思い切って実情を訴える。しかし、彼の話に仲間の労働者は乗ってこない。なぜなら、工場側は殺し屋を雇い、リーダーたる労働者を消すそうで、それを恐れて彼の提案に耳を貸さないのだ。驚くべき行為だが、実話である。



斡旋屋

古びた機械
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

 工場側に直接交渉できない労働者の前に現れるのが斡旋屋である。彼が工場と労働者の仲介を、有料で担う。その上、労働者を手配し、工場側からの要請に応える。また、遠隔地から工場勤務を希望する労働者がいれば、彼が斡旋する。
こうして斡旋屋は、労働者の賃金をピンハネするのだ。



経営者

労働者更衣室
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

 工場を代表する経営者は「仕事があるだけ良いじゃないか。ガタガタ言わず働け」の一点張りで、労働時間の短縮などまるで頭にない。そして「労働者に金をやれば、すぐに無駄使いするから、その必要はない」と言い放つ。会社側は労働条件を無視し、それが嫌なら辞めろと言わんばかりである。
1000Km離れた地方から来る労働者は、交通費を工面しての工場勤めであり、職を失うわけにはいかない。斡旋屋は有無を言わせず、低賃金を労働者にのます役割を演じ、労組結成を試みる勇気ある者は、殺し屋の存在を恐れる。経営にとって、都合の良い循環である。



工場

完成したプリント地
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

 旧式な巨大繊維工場、出だしが目を見張る。プリント地(主として木綿地、最近はポリエステル系地も増えているとのこと)の一貫生産で、新式の機械はほとんど使われず人力に頼り、色鮮やかな山積みのプリント地が、息つく間もなく吐き出される。壮大な手作業である。
まず、水蒸気を作るための炉には、絶えず赤い火の粉が飛び交う。火の赤さ、勢いに思わず見入ってしまう。この最初の場面から映像のコンセプトが理解できる。
赤い火花が弾ける前に、プリント地の白い布地が運び込まれる。反物のようだが、それを大幅に上回る布の塊である。それを2人の労働者が古い台車に載せ、ギシギシ音を出しながら押している。キャスターの回転が悪く多大な力が必要で、熱気がムンムンする中、大汗をかきながらの作業だ。
爆睡の労働者
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

 
居眠り寸前の児童労働者
(C)2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

山積みされた布のすき間では、疲れ果てた労働者が爆睡(ばくすい)している。見張り役の管理者はほとんど見当たらず、また、ガミガミとパワハラを誇示することもない。労働者自身も静かで、無駄口を叩かない。
耳に入るのは、工場内のリズムを刻む機械音だけ。現場では耳の保護のためイヤホンを付けているものの、実際のところ全員聴覚障害に陥っている。職業病ともいえるが、会社のケアは全くないのが工場の労働者に対する扱いだ。この機械音が音響効果を発揮し、音楽代わりとなる。ドキュメンタリーならではの手法である。
次の作業シーンも、手作業による。プリント用の塗料作りに、ドロドロの原料を入れ、それを労働者が棒を使っての作業。今の世の中、電気洗濯機さえ自動攪拌(かくはん)であるが、この工場は究極のローテクである。そして、ドラム缶に入れられた攪拌後の塗料は、人の手で移動する。人間の機械化が徹底している。
この作業空間は、さまざまな人間の寄せ集め。中には少年工もいることは述べたが、この少年が疲労の余りうつらうつらする。白い布が絡まぬように機械の横で見張るのが、彼の仕事である。ここに労働の過酷さが凝縮されている。
工場内の機械の動き、動源たる炉からの火の粉の輝き、劣悪な旧式の機械の悲鳴にも似た音が、前面に押し出される。特に、工場内描写が優れている。人と機械の動きをアップ、ロングとサイズを変え、描き出すスピード、リズム感が、辛い労働でありながら、その作業工程に見入ってしまう。
そして、長々としたカットの代わりに、短めの絵柄を早いスピードで目の前に突き出す。決して心地良い素材ではないが、思わず目を奪わせる力があり、作品自体が締まっている。過酷な労働も、こうすれば見せることができるという見本だ。
2003年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で上映された、王兵監督による中国の近代化に乗り遅れた工場、街、鉄路を描く3部作『鉄西区』(上映時間9時間)のインド版ともいえるが、『人間機械』は短尺(71分)という違いがある。
想田和弘監督(代表作『選挙』〈07年〉、『精神』〈08年〉)張りの観察映画の趣がある、ラーフル・ジャイン監督の映像感覚の良さが目を見張る。これが処女作とは、新しい才能の登場だ。ジャイン監督の視線は、貧しい出稼ぎ労働者の上に注がれ、1人の労働者の口を借りて「解放されぬ人々は、ひと握りの人間の利益のために軽視されている」と述べさせる。現在、世界に蔓延するグローバリズムと貧困問題に直結している。
優れた「労働」の作品で、映像処理も際立っている。土曜の夜の娯楽としての映画を見る人にとっても、71分はあっという間に過ぎることだろう。






(文中敬称略)

《了》

7月21日からユーロスペースにてロードショー、以降全国順次公開

映像新聞2018年8月6日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家