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『オーケストラ・クラス』
貧困世帯の子供らが初めて触れる音楽
クラシック演奏で情操教育

 フランスには、主として勤労者階級の少年・少女に学校が楽器を無料貸与し、クラシック演奏を経験させる情操教育「デモス」がある。筆者は以前、FIPA東京連絡員として参加した「国際テレビ映像フェスティバル」(現FIPADOC/毎年1月下旬、フランス・ビアリッツ市で開催)」に出品された、ドイツ女流監督の『EL SYSTEMA(エル・システマ)』に強くひかれた。内容は少年・少女非行防止対策として、南米ベネズエラで実施された音楽活動の記録である。本作『オーケストラ・クラス』(「第74回ベネチア国際映画祭」特別招待作品/ラシド・ハミ監督/フランス、2017年製作、102分)は、その作品を下敷きにしていると筆者は推測する。単なる音楽もの以外に生活次元のフランスらしさがたっぷり盛り込まれ、そこが面白い。

風采の上がらぬ中年男

ダウド先生
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 挫折したバイオリニストが指導
冒頭、メガネを掛けた頭の薄い中年男がバイオリン・ケースを片手に、パリ19区の古びた中学校へと吸い込まれていく。何か覇気に乏しく、これから張り切ってことを起こす風情ではない。要は、しょぼくれた中年のおじさんである。
その彼、シモン・ダウド(カド・メラッド/以下ダウド)は、音楽講師で、子供たちにバイオリンを教えるための来校である。いわば、期間限定の非常勤講師の役回りだ。  
  



移民の多い地域

 パリ19区は、アフリカ系、アジア系移民の多い北部の地域である。ダウドの受け持つ音楽クラスは10人で、たくさんの移民の子弟が入り交じっている。
彼らは、HLMと呼ばれる低賃金住宅住まいが大部分で、親たちは決して裕福ではない。学校では、悪ガキ組が同級生や先生を悩ます現実がある。それらの荒れるクラスの子供たちに、パリ市では地元の「フィルハーモニー・ド・パリ」が運営する音楽教育プログラム「デモス」を実践し、今年はダウドが指導することとなる。
「フィルハーモニー・ド・パリ」は、19区の元屠殺(とさつ)場、ラ・ヴィレットの再開発地跡に建てられたコンサートホールで、2400人収容の内部は曲線を多用し、ベルリン・フィルのコンサートホールと同様に舞台奥も観客席となり、その超モダンさは一見に値する。
「デモス」はパリ市の文化政策の一環として、入場料金は40−50ユーロ(約5200円−6500円)と低価格に抑え、一般勤労者も気軽にクラシックを楽しめる配慮がなされている。入場料については、フランス革命200周年記念事業の1つである、バスティーユのオペラハウスの約200ユーロ(約2万6000円)と比べれば、圧倒的に安く、観客は勤め帰りの気楽な服装の人が多い。
ここで各学校が演奏を競い、最後にスタンディング・オベーションを受けることが「デモス」の目的である。おそらく、生徒たちの親類縁者をかき集めるのであろう。今年の課題曲は、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」である。




ダウドの困惑

クラスでの練習
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 もともとオーケストラ団員のダウドは、自ら望んで講師になったのではない。生徒たちは集中力が30秒ももたず、すぐ私語を交わす駄目クラスである。ダウドは半ば諦め、ぬかに釘の思いでバイオリン指導を続ける。
ある日、悪童の1人に「お前みたいなクソ、早く帰ってしまえ」と罵詈(ばり)雑言を浴びせかけられる。温厚な彼も堪忍袋の緒が切れ、思わず生徒の胸倉をつかむ一幕。とにかく、悪童たちは弁が立つのだ。
筆者の個人的体験だが、パリの地下鉄で、学外授業のため移動中であった中学生の一団に遭遇。その1人が付き添いの若い先生と口論し、先生も熱くなり激する場を見かけ、悪童相手の先生に同情したものだ。もちろん、フランスでも体罰は禁止である。



謝罪

屋上での自主練習
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 この騒動には2幕目がある。悪童は父親と校舎前でダウドを待ち受け、ここでも口論。思い余った彼は悪童の家を訪問すると、扉を開けたのが例の父親。仏頂面の彼だが、夫人が「どうぞどうぞ」と愛想よくダウドを招き入れる。
ここに、フランス流の社交のうまさがある。とりあえず招き入れ、それから話し合う。これが日本なら、怒鳴り合いの場となるであろう。気まずい話し合いだが、ダウドは謝罪し、この事件は収まる。この訪問が、ほかの父兄のオーケストラへの関心を呼び起こす伏線となる。



生徒の成長

練習中のアーノルド
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 この事件後、生徒たちの態度が改まり、より音楽自体に身を入れるようになる。そしてある日、肥満な黒人少年アーノルドが加わる。
彼は最初から音楽教室の一員ではなく、窓外から練習風景を熱心にのぞき込んでいるところを、ダウドにより招き入れられる。飛び込みだが、ダウドはアーノルドに才能の一端を感じ取り、彼に目を掛け始める。バイオリンすら触れたことのない勤労者階級の子弟たちのクラス全員に、音楽の心が芽生えたのだ。



アーノルド家

ダウト先生とアーノルド
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 ダウドはアーノルドに目を掛け、一緒に帰るようになる。まるで子供同士の馴れ初めのように。大体、親しくなる第一歩は一緒に帰ることから始まる。
2人の帰り道、仕事帰りのアーノルドの母親と出会う。コートジボワール(旧象牙海岸共和国)出身の黒人の彼女は、シングルマザーで息子と2人暮らし。彼女とダウドは初対面だが、息子から音楽教室の話を聞かされているようで、これからわが家で夕食をと誘う。面食らうダウドだが、この招きを受け入れ、アフリカ特有の辛い料理を振る舞われる。
会食とは、フランス社会では特別に重要なことで、単に物を口にするだけではない。食べながら相手と話し、親交を深める重大な役割がある。移民でも、このフランス式作法を身に付け、何かあれば人を招いて会食する。
食後、ここがアフリカ的なのだが、母親は彼をダンスに誘う。わが国では食と踊りが結びつく地域は沖縄だが、彼らにとり食べて踊るのがアフリカ流儀らしい。このダウドの当惑と母親の開放的な踊りの誘いのシーンは、楽しめる場面である。
この夜を境に、ダウドは生徒の父兄との親交を結び始める。父兄も真剣になり、子供の音楽教室に関心を持ちだす。



ダウドの選択

生徒に話すダウト先生
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 今は一介のバイオリン教師のダウドに、弦楽四重奏団から声が掛かるが、学校側はこれまでの彼の努力を買い、辞任に絶対反対。一度は弦楽四重奏のコンサートで弾く彼だが、心が晴れない思いを抱く。
そして、久しぶりに訪ねた母から「教える楽しさを覚えてしまったのね」と言われ、彼の腹は決まる。



フィナーレ

コンサートホールの父兄たち
(C)2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINEMA / LA CITE DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

 いよいよラストの「フィルハーモニー・ド・パリ」における『シェエラザード』の演奏会。稽古の甲斐があり、大成功。会場に押し寄せた父兄たちのスタンディング・オベーション。ダウドが唱える音楽の最終目標「楽しむこと」の実現である。


ブァール

 ブァールとは、移民の子としてフランスで生まれたアラブ人の総称。
フランスの移民では、旧植民地の北アフリカ出身者が多く、映画界でも彼らのエコール(学校)があり、現代フランス映画界で一番勢いがあるとされている。
本作、監督も主演もアラブ人で、ブァール作品の完成体が『オーケストラ・クラス』である。単なる音楽映画ではなく、人々の日常生活も垣間見える楽しい作品である。





(文中敬称略)

《了》

8月18日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次公開

映像新聞2018年8月13日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家