『妻の愛、娘の時』
アジアを代表する女優が監督・脚本
シンプルな話ながら光る構成力 |
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昨年の「第18回東京フィルメックス」(2017年11月18−26日開催)においてオープニングを飾った、シルヴィア・チャン監督・主演の『妻の愛、娘の時』(原題『相愛相観』/中国・台湾、17年製作、120分)が公開される。女性監督の手になる、男性とは明らかに違う感性に見る側は納得で、「愛」「優しさ」「別れ」が、思わず人生を振り返らせる。
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母親(左)、娘(右)
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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シルヴィア・チャンは、アジアを代表する大女優でありながら、監督、脚本、プロデューサーもこなす才媛である。1953年台湾生まれ。20歳で映画デビュー、その後は娯楽作品、そして演技派へと転身し、『最愛』(86年)、『呉清源 極みの棋譜』(2007年)、『山河ノスタルジア』(15年)などに出演する。
監督としては、『君のいた時(とき)』(1999年)、『念念』(2015年)など10作以上を手掛けている。本作でも、監督、脚本、主演を務める。
彼女の作品からは"香港ニューウェーブ"の流れが見て取れる。いわゆる、派手なアクションに代表されるパワフルな香港映画のジャンルには属さない。むしろ、繊細な心情を描き、女性の生き方を見詰める、もう1つの香港映画の潮流を代表する女流監督アン・ホイ(代表作品『客途秋恨』〈1990年〉、『女人、四十』〈95年〉など)の系列に連なり、特に本作はその傾向が強い。
しかし、チャン監督作品は日本での未公開作が多く、彼女の知名度はそれほど高くない。
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老婆と娘
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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舞台は河南省の一地方都市で、作品では特定していない。もう1つの舞台は、明らかに田舎で、ここに亡くなった父の墓がある。
時代は現代で、中国における町と村の違いがはっきり写し取られている。都市と農村の落差が深刻であり、多くの農民が出稼ぎ労働(農民工)に従事する現実があり、現代中国の大きな社会問題が垣間見える。
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フイイン一家
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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中心はシルヴィア・チャン扮(ふん)するフイイン一家。彼女は一家の柱と自任し、何でも自分で仕切りたいタイプ。別の言い方をすれば、何でもきちんとしておきたく、そのために独断専行的な行動をとることがある。しかし、家族思いの優しさも併せ持つ。
職業は、定年間際の教員。彼女は美人型の女優ではなく、顔立ちはきつい方であり、柄としては行動的で個性の強い役がはまる。少なくとも、本作の主人公には打ってつけで、その演技は見ものだ。
自動車教習所の教官である夫シアオピンには、映画監督のティエン・チュアンチュアン(田壮壮)が扮する。仕切り屋の女房に押され気味の亭主の芝居がうまく、人生の年輪を感じさせる。時々、監督で芝居のうまい人がおり、例えば、筆者の直接知る範囲では増村保造監督だ。
フイイン夫妻には1人娘ウェイウェイ(ラン・ユエティン)がいる。彼女は地元のテレビ局勤務で、報道番組に携わる。彼女のボーイフレンド、アダー(ソン・ニンフォン)はミュージシャンであり、前の彼女と切れないようでウェイウェイをイライラさせる。
アダーは、心ならずもフイイン一家の騒動に巻き込まれる役回り。ウェイウェイは自活しているつもりだが、未だ親元を離れず、母親のフイインと始終口論し、お互いにむくれ合うが、仲は良い。
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フイイン一家、夫(左)
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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物語の発端はシンプルである。母親の死を看取ったフイインは、彼女を父親と同じ墓に入れるため、田舎にある父の墓を自分たちの住む町へ移すことを思いつく。そして、一家は父親が眠る故郷を久しぶりに訪れる。しかし、そこで父親の最初の妻(今は老婆)や村人たちの抵抗に遭う。
たかが墓の移動だけの話である。発端のアイデアが簡単なだけに、どれだけ肉付けをして見せるかが脚本の腕の見せどころ。話の膨らませ方がうまく、物語の構成をきっちり極めている。
この辺り、監督・脚本に携わったシルヴィア・チャンの並々ならぬ力量が光る。墓の移動話を、80代、60代、そして20代の3代にわたる女性の物語に仕上げたところが、脚本の力だ。
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娘とボーイフレンド(左)
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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タイトル・バックでは、病床に白髪の老女が、窓の外の緑を懐かしむように見ている。フイインの母親である。病床の脇ではフイイン一家が控えている。臨終間近の様子。老婆は突然目を見開き、何かつぶやく。耳元に近づくフイイン、しかし、こと切れる。ここから一家は予期せぬ事態に遭遇する。
フイインの発議で、母親の墓は田舎の父親の所と決める。彼女には、他人には口を挟ませぬ強引なところがある。しかし、彼女の決断は、家族にとって良かれと思う心情から出ている。
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娘と父親(右)
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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フイイン
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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3人で田舎へ行くと、そこには見知らぬ老女がいる。3人とも父親(娘にとっては祖父)の過去は知らず、面食らう。老婆は墓の件を持ち出すと、あいさつ代わりの礼金を拒否し、挙句の果てに墓の土饅頭(どまんじゅう=土を丸く盛り上げて作る墓)にしがみつく。
老女は父親の最初の妻で、17歳で結婚。だが、凶作のため夫は仕事を探しに村を出て、それきりとなる。しかし、彼女は自分が妻だと、がんとして主張を曲げない。
彼女は夫からの古い手紙を持ち出し、「5元で冬物の上着を買えと書いてある、これこそ夫の愛の証拠だ」と訴える。そして、離れていても立派な夫婦であると頑張る。帰らぬ夫を待ち、一生独身を通したのだ。
どうも父親は、村を出たまま、町でフイインの母親と一緒になったようだ。時代めく、人情噺(ばなし)である。
強気のフイインは、自分の両親の婚姻証明書探しに奔走するが、あまりに昔のことで見いだせない。役所で執ように粘るが、役人は真剣に取り合わない。
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老婆(左)と娘
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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一方、娘のウェイウェイは、ミュージシャンのアダーの女性関係が引っ掛かる。彼女は彼と一緒になりたくて仕方がないが、この問題がネックとなる。
また、老婆に興味を持ち、わざわざ田舎に会いに出かける。これはテレビ局の仕事ではなく、自分の出自を知るための行動である。頑(かたく)なな老婆を訪ねるが、最初は全く口を利かない彼女も、徐々に心を通わすようになり、添い寝までする仲となる。
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父親
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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ウェイウェイのテレビ局では、これは視聴率が取れると踏み、老婆をゲストとして局に招き、トークショーを開く。その収録の場で、老婆は帰らぬ夫について切々と語る。
そこへ、たまたま娘ウェイウェイに手渡す品を持ち局に立寄ったフイインだったが、目ざとい番組担当者が彼女を強引に収録会場に引っ張り込む。老婆のお涙ちょうだいの物語に、彼女は猛反発し、会場は大混乱。この場面が本作のハイライトだ。
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娘
(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.
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3人の女性の生き様と愛情
3人の女性の生き方の違いを示すことが、本作の最大の見どころとなる。80代の昔気質である老婆の帰らぬ人を思う愛情の深さ、60代のフイインの自分で人生を切り開く強さ。そして、20代の娘のウェイウェイは、老婆への思いやりを見せる一方、ボーイフレンドとの関係の清算に見られるドライさがある。そこには、彼女の自立の意志がみられる。
3者それぞれが自己を持ち、時には対立しながらも、家族なりに人間関係を必死で紡ぐ毎日。女性の生き方と愛が語られる。そこには、絵空事ではない現実の姿がきちんと提示されている。
一見他愛ない話の連続だが、作り手の真摯な思いが見る側に伝わる。若い監督では描き切れぬ、懐の深さがある。
(文中敬称略)
《了》
9月上旬からYEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次ロードショー
映像新聞2018年8月27日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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