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『ヒトラーと戦った22日間』
史実に基づいたロシア映画
ソ連軍兵士が強制収容所から集団脱走

 映画でロシア側からナチスを描く作品は、ほとんどないと言われてきた。しかし、例外的な1作が公開される。『ヒトラーと戦った22日間』(2018年/コンスタンチン・ハベンスキー監督・主演/ロシア・ドイツなど共同製作、118分)である。強制収容所におけるソ連軍兵士集団脱走記であり、ナチスの残虐さを目(ま)の当たりにする暴力の中を生きた人々の物語である。

ナチスの絶滅収容所

フレンツェル(左)、サーシャ(右)
(C)Cinema Production

 ユダヤ人大量虐殺収容所として、わが国ではアウシュビッツが有名であるが、本作の舞台はソビボル絶滅収容所である。ナチスは占領地ポーランドに6つの収容所を建設した。自国内でなく、わざわざ隣国に収容所を設けるとは、ナチスの悪質さがうかがわれる。これら6カ所は、親衛隊の直轄であることが特徴だ。
1941年6月22日に突如、ソ連はナチスによる奇襲攻撃を受け、同年10月までに300万人のソ連兵が拘束された。この300万人という数字の大きさに驚かされる。舞台であるソビボル収容所は、1942年5月から1943年までの1年半、ユダヤ人18万人が犠牲となっている。
ソ連兵の大量捕虜を収容することから、反ナチ・ポーランド政治犯のために作られたアウシュビッツへと一部が回された。そのほか、親衛隊が管理する収容所が1000カ所あったとされる。アウシュビッツはユダヤ人を対象としていたが、実際はさまざまな人々、非ユダヤ系政治犯、ユダヤ人、戦争捕虜、ロマ人、身障者などが犠牲となった。ナチスの狂気の殺戮である。
一説によれば、ナチスはユダヤ人500万人を大量虐殺したとされる。これは、太平洋戦争での日本人の犠牲者310万人を上回る数字であり、彼らの人道に反する行為の犯罪性は極めて高い。  
  



ソビボル収容所蜂起

収容所内
(C)Cinema Production

 本作では、ソ連兵捕虜たちが一斉蜂起し、脱走を図った事件を扱っている。多くのソ連軍ユダヤ人兵士は、ほかのユダヤ人と一緒にミンスク捕虜収容所からソビボル収容所へ送られる。そこで彼らが蜂起し、大脱走事件を引き起こす。これまで収容所での大規模な脱走事件は少なく、あっても数名単位の行動であった。事件は1943年10月14日に発生した。
1943年2月にナチスはスターリングラードの戦いに破れ、敗色が徐々に濃厚となる。この終戦間近(一応1945年5月のベルリン陥落を第2次世界大戦終戦とする)に、大量のユダヤ人虐殺が起きている。
この現象は、日本軍のアッツ島全滅、レイテ島敗戦、硫黄島敗戦の事実と重なり合う。日独軍事政権(日本は天皇を頂点とした政治体制)は、敗戦へ向かう情勢の中で数々の大量殺人を引き起こしている。




蜂起のリーダー

到着のユダヤ人
(C)Cinema Production

 本作は、ソビボル収容所の大規模な反乱を史実に基づき描くものである。今年、この事件から75年になるのを記念し製作された。ロシア映画でナチスの収容所について触れた作品は、研究者の間で大変珍しいこととされている。実際、ロシア製作のナチス関連作品で、ソビボル収容所ものを耳にすることは少ない。
この反乱のリーダーは1943年9月23日にソビボル収容所に入れられ、同年10月14日のわずか22日間で脱出計画を練り、極めて短時間に実行している。



サーシャ

サーシャ
(C)Cinema Production

 ソ連軍捕虜の地下組織の幹部からの依頼により、ミンスクから移されたソ連軍ユダヤ人兵士の中からアレクサンドル・ペチェルスキー=通称サーシャ(コンスタンチン・ハベンスキー)がリーダーに推される。多分幹部は、軍隊経験者であるサーシャのリーダーとしての統率力を買ってのことであろう。しかし、サーシャはミンスク収容所での反乱失敗があり、乗り気ではなかった。
ソビボル収容所のトップは、ナチス親衛隊曹長(なぜ曹長クラスがトップになったかは疑問)であるカール・フレンツェル(クリストファー・ランバート)。彼は、日常的に捕虜に対して虐待する冷酷無比な人物であり、収容者たちから恐れられていた。サーシャも彼から目をつけられていた1人だ。



反乱の決断

親衛隊
(C)Cinema Production

 ナチスの残虐さを目の当たりに
収容所には毎日のように、他の収容所から列車が到着する。ある時、作業中の収容者は列車に山積みされている死体を目の当たりにし、あまりのむごさに恐怖心を抱く。
これらの死体は、ベウジェツ絶滅収容所(アウシュビッツより早い段階でポーランド・ユダヤ人一掃のための収容所)での作戦終了後に証拠隠滅のため解体、収容者は殺され、その詳細は現在までよく知られていない。焼却し、痕跡を消すことは、敗戦直後日本軍も重要書類を焼却処分したことと似ている。
死体の山を見て、サーシャは、いずれはソビボル収容所もすべて焼却されることを予感し、反乱の実行を決意する。



反乱前日

フレンツェル
(C)Cinema Production

 サーシャたちは、まず、収容所の親衛隊上層部に狙いをつける。くつ磨きの少年を使って革のコートや靴を見せ、1人ずつ誘い出し殺害する。人を人と思わぬ高位の軍人たちも、ぜいたく品には目がなかったのである。
反乱前日の作戦が成功したが、トップのフレンツェルは、サーシャたちの行動を怪しんでいた。そのため、反乱軍側は機先を制する意味で、予定時刻より早くサイレンを延々と鳴らし、異常事態発生を促す。
収容者たちは点呼広場に集まり、サーシャらの指示を受け、400人が門を破り脱走に成功する。しかし、門や監視所のナチス兵の機関銃攻撃により多くの人々が倒れる。脱走者たちは、敵から奪った数丁の銃で応戦、何とか敵の銃弾をかわす。



脱走の結果

サーシャ
(C)Cinema Production

 400人が脱走するも、200人が逃走中に命を落とし、約150人が地元住民により殺され、遺体をドイツ側に引き渡す。地元民(ポーランド人)は応援せず、逆に彼らを敵扱い。自分が助かりたい一心で逃走者を見殺しにする。
その後、ソビボル収容所はドイツ軍司令部により解体。戦後、親衛隊曹長フレンチェルは終身刑で、1999年に死亡。サーシャは終戦まで最前線で戦い続け、80歳で永眠。彼の英雄的行為は知られることはなかった。この辺り、いかにソビボル収容所の存在が隠されていたかを物語っている。大戦終了後まで生き残ったのは47人であった。
幼くして収容された宝石職人のシュロモ(妹に赤石の耳飾りを作る約束をした、心優しい少年)は、収容所内で精神を病み若くしてアル中となる。戦後は、ブラジルに移住し、戦犯裁判を免れた18人のドイツ人将校を殺害したエピソードもある。



映画の使命

 本作は、絶滅収容所で反乱を起こしたハンガリー・ユダヤ人を描く『サウルの息子』(2015年、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品)同様の群像劇であり、特定の人物に焦点を当てず、暗い場面が続く中、悲劇の1nを描いている。ここがヨーロッパ作品らしく、米国映画と異なる。
娯楽色が強く、巧みに見せる方向へと誘導するのは米国映画の特徴で、いわゆる戦争アクション化している。そして、興行的には大きな収益をもたらし、米国的作品となる。そのこと自体は悪いことではなく、否定しない。しかし、歴史的事実を真正面から見せる本作は、土曜の夜の娯楽から距離を置き、事実を多くの人に見せる意図があり、娯楽性以外の映画の使命を果たしている。
見ていて辛い作品であるが、人道的立場から見るべき1本といえる。本作は、あまりに人間の命をないがしろにした、ナチスの組織的犯罪を正視させる機会を与えてくれる。






(文中敬称略)

《了》

9月8日からヒューマントラスト有楽町、新宿武蔵野館他にてロードショー

映像新聞2018年9月3日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家