このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『日々是好日』
長い時間をかけて五感と人生を理解
現代っ子相手に茶道を説く

 わが国では江戸時代の茶人千利休(1522−91年)が、武人たちのたしなみであった茶道を大成させ、今日に至っている。正直なところ、一見ガチガチの形式主義になじめない向きも少なくないはずだ。しかし、退屈で、正座が苦手の現代っ子相手に、茶道の良さを諄々(じゅんじゅん)と説く『日々是好日』(にちにちこれこうじつ)(2018年/大森立嗣監督、100分)は、茶道の良さをじっくりと味わわせ、また、茶道全般について教えてくれる。実用面以外にも、茶道から見る生き方、季節の移ろいを体で感じる心の伸びやかさが天然・自然と一体になり、体の中に沁(し)み込む作品である。

 
最初のシーンで典子一家が写し出される。鎌倉近辺、丘の上のしゃれた住居に外出から戻った一家は、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『道』(1954年)を見ての帰り。典子は『道』の内容は全く分からない。ここが作品の伏線となっている。 メインの茶道の話は、帰宅後の一家の団らんで少し触れられる。同じ年の女子大生で、いとこ同士の典子(黒木華)と美智子(多部未華子)の会話の端から茶道の話が出て、美智子が乗り気になり、典子は何となく付き合う。この2人の茶道へのかかわり方が大事なのだ。 家付き娘の典子は、父母と3人暮らし。彼女はまじめな性格で理屈っぽい。一方、美智子は積極的な性格で、何でも一度は試してみたがる性格。話がまとまり、近所では「タダモノ」でないと言われる武田先生(樹木希林/以下、先生)のもとへ弟子入りする。

先生と弟子たちの談笑 (C)2018「日日是好日」製作委員会 ※以下同様

 
典子と先生

先生

お点前の典子

典子一家と美智子

2人の語らい

禅の軸を見入る典子

お道具の点検

歩き方の作法


お稽古(けいこ)初日

 2人は、いかにもお茶の先生の住まいらしい、平屋建てのお宅を恐る恐る訪ねる。迎える先生。恐い老婦人を想像していた2人は、先生の丁寧な物腰に驚く。彼女たちは、樹木希林の独特な台詞(せりふ)回し、特に語尾のゆったりしたイントネーションに、異次元の世界を感じる。ここから、先生のマジックに取り込まれる。滑らかで情緒のある出だしである。
初日ということで大先生がお茶をたてて、2人に振る舞う。正座の2人は作法が全く分からず、お茶菓子に手をつけることをためらう。先生は、にっこりとし「まずお菓子から、次にお茶ですよ」と、親切なアドバイス。そのお菓子は5月を表わす「あやめ饅頭(まんじゅう)」で、白のまんじゅうの上に季節の花、あやめの模様。茶道の独特の仕掛け(手順)に2人は戸惑う。



形式主義の極致

 作法から少しずつ、お稽古が始まる。最初は帛紗(ふくさ)さばき。茶碗を拭く1枚の布は折り方に決まりがあり、最後に布を引っ張って、ぱしっと音をさせる。初めての2人には難しい所作。たかがお茶一杯、されどお茶。先が思いやられる。
そして、歩き方の決まり。茶室に入る時は左足から、畳1帖を6歩歩いて、7歩目で次の畳へ。歩数まで決められ、畳のヘリは絶対に踏まない。ガチガチの規則で、がんじがらめである。
当然、若い典子と美智子は、「なぜ」と質問する。先生は一瞬詰まるが、そこが「タダモノ」ではない。彼女いわく、「お茶はまず、『形』から」と軽くいなす。「先に形を作り、その入れ物に後から『心』が入る」とうまいことを言う。結果的に見れば、茶の湯とは、『形』を楽しむもので、理屈はいらない。この原則を理解することに時間をかけるのである。
生意気盛りの2人の女子大生は「それは、形式主義ではないのですか」と食い下がるが、そこは茶の湯、数十年の古狸(ふるだぬき)、「なんでも頭で考えるからそう思うのねえ」と受け流す。例えは異なるが、形から入るスポーツと似ている。


海岸の2人

 鎌倉の浜辺、2人は海を眺めながら将来について語り合う。学生にとり就職は人生の一大事で(それに背を向ける若者も大勢いるが)、典子は物書き志望で出版社、何事も積極的な美智子は、世界を駆け巡る貿易会社と、目標を明確に立てる。のんびり屋の典子は将来の展望がはっきりしない。2人の性格の違いか。
そして、いつしか茶の湯の話に移る。やはり理屈でなく体で覚えることを分かり始める両人、形を続けることに気持ちよさを覚え、まるでジョギングのようであることに気付く。ただ走る退屈な行為が、そのうち1日でも休めば、その日は気持ち悪いのだ。


笑いのひとコマ

 1年の最初の茶会は大事な行事であり、弟子一同が、先生にお年賀のごあいさつをする。ほとんどが中年のご婦人だ。ここでは、新たな年を迎えるにあたり、その中の1人が正客(代表)としてあいさつをしなければならず、皆それを逃げ回り隅の席を取り合う。
ちょうど会社の集まりにおいて、皆が社長の横に座ることを避けるのと似ている。この中年のご婦人たちのドタバタが何ともおかしい。


五感の覚醒

 ある時、お湯を茶碗に注ぐとき、典子は湯と水の違いを初めて体感する。今まで漫然と柄杓(ひしゃく)を動かしていたのが、その日は違う。五感の覚醒であり、そこが茶の湯の面白さだ。典子は茶の湯の奥深さに触れたのである。

2人の方向

 ある日、お稽古の帰り道、美智子は典子に、夏休みに英国とフランスへ行くと話す。突然の彼女の宣言、典子は1人置いてきぼりにされた気分。しかし、仲間を欠いても、典子は黙々と週1回のお稽古をこなす。
そのころには、若い弟子も増え、彼女の立ち居振る舞いも自信にあふれる。その典子の和服のアップ、凛(りん)としたたたずまいがにじみ出る。完全に茶の湯と一体の風情である。


美智子の結婚式

 会社勤めも先が見え、美智子は大胆な行動をとる。2人の性格が表れる面白い一面だ。美智子は郷里に帰り結婚するという。相手は決めていない。大した度胸である。そして医者を見つけ、華燭(かしょく)の典をあげる、万事ぬかりがない。
一方、奥手の典子も結婚を考え始めるが、相手の裏切りによる破談。一日中ふて寝の毎日。しかし、お稽古事だけは続ける。茶の湯は彼女の生活の一部だ。




季節の移ろい

 茶の湯は、季節を大事にする儀式ともいえる。春夏秋冬の違いに極めて敏感で、それを肌で感じるところが茶の湯の喜びといっても過言ではない。庭の手水(ちょうず)鉢で手をすすぎそれからお稽古。心が静まり、茶の湯に集中する準備が出来上がる。
そして、春夏秋冬を表わす二十四節気が茶の湯と天然・自然の一体感を醸し出す。立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、冬至、大寒となじみの節気も含まれている。また、季節に合わせた、凝った和菓子も茶の湯の楽しみである。




「日々是好日」

 ゆったりと起伏の少ない筋立て
30過ぎの典子はすっかり古株となり、先生から、お稽古ではなく「お茶を飲みにいらっしゃい」と目を掛けられる。今は実家を出て33歳での1人暮らし。その直後の、優しかった父親の死を通し、幼児期には理解できぬ『日々是好日』の意味が分かり、そしてフェリーニの『道』も理解できるようになる。
世の中ですぐに分からぬことも時の流れを経て分かるものがある。これが『日々是好日』の意味で、うんちくが深い。茶を通し、もっと生き方を学ぶこと、今は本当の始まり。
お茶の極意は五感と、人生を、長い時間をかけて理解することであり、これが、『日々是好日』を伝える箴言(しんげん)である。
ゆったりと、起伏の少ない筋立てで、移り行く自然のインサートと万物への慈しみが全体の格調を押し上げる。作品の述べんとすることは、人間の成長と、1つのことに心を注ぐことの大事さ、これが本作の言うところの茶の道であろう。気分がゆったりし、心がしびれる1作である。
縁側の先生(左)と典子(右) (C)2018「日日是好日」製作委員会





(文中敬称略)

《了》

10月13日から全国ロードショー

映像新聞2018年10月8日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家