このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『モルゲン、明日』
独の核廃絶に向けた運動のうねり
進む自然エネルギーの活用

 2011年3月11日発生の東日本大震災に伴い、その翌日に福島第一原子力発電所が爆発(以下、福島原発事故)し、大災害をもたらせた出来事は、われわれ日本人の記憶から離れ難い。この「人災」とされる事故に、世界の国の中で最初に反応したのがドイツである。そのドイツの核廃絶に向けた運動のうねりを描く作品が『モルゲン、明日』(2018年/坂田雅子監督、日本製作、71分/「モルゲン」とは「朝」の意)だ。福島原発事故後、フランスと並び原子力大国であるドイツが、原発を廃絶し、国家のエネルギー政策の大転換を図った。

坂田雅子監督 (C)2018 Masako Sakata ※以下同様

 
学校での自然エネルギー教育

関係者からの聞き取り


事の始まり

 福島原発事故を受け、世界中で初めて議会において脱原発宣言したのは、ドイツのアンゲラ・メルケル首相で、それは3カ月後の2011年6月6日であった。彼女は「2020年までに段階的に原発停止する」と、期間を決めて宣言した。
一方、「わが国は丁寧に国民の皆様に説明し、第三者委員会を立ち上げ、この大災害に対処する」との政治家の発言は、言っていることと、やっていることの乖離(かいり)が甚だしい。その上、災害の現状を横目に国民の反対を承知しながら、古い原発の再稼働へと走った日本政府。そこにあるのは大企業の論理であり、国民への配慮と命の尊重ではない。
坂田雅子監督は、既に5回ドイツ訪問をしている。彼女の目的は、なぜドイツは脱原発ができるのか、自分の目でしっかり見て、カメラに事実と証言を残すことであった。



小さな村での脱原発

原発反対の祭りの横断幕

 本作は、まず早々と脱原発を実現したドイツの地方の村、グラフェンラインフェルトの原発閉鎖式祭りを取り上げる。村をあげてのお祭りで、参加者たちは喜びを口にする。
ここでの最大のデモは、福島原発事故の1カ月後であり、この反応の速さに驚かされる。デモの参加者は1万5000人だった。日本でこれほどの人数が集まるデモは、沖縄を除きお目に掛かれない。その中心も、全共闘世代の初期老人たちに支えられている。ドイツのデモ参加者たちは、なぜ自分たちがデモに参加するかは、ナチスの独裁政治を多くの人々が体験しているためと説明している。
祭りを主催した行政は、2020年の脱原発を全く疑っていない。そのために、自然エネルギー(太陽光発電と風力発電)が17年の30%から、20年には80%を目指す目標を掲げている。近在の村では、多くの家々にソーラーパネルが設置されている。
ナチスに忠誠を誓う若者たち

風力発電

自給自足の一例

 モデルとされる田舎のホテルが、自給自足の代表例である。2つのレストランの暖房はすべて木材チップ(近くの森から伐採)を利用、電気は屋根の太陽光パネルで発電する。石油製品は薬品と輸送(近い将来、電気自動車に代わる可能性がある)のためと、オーナーは環境保護優先の考え方の持ち主。設備投資は約ベンツ1台分という。日本でも、山村の地域では可能性がある。小規模ながら自家製の100%自然エネルギー生活である。
一例として、同村では古い水車も利用している。この水車の発電で50世帯へ電力の供給が可能となる。このように住民全体が環境優先の意識が高い。
自然エネルギー100%の住宅

チップを餌とする乳舎

反乱の季節

1968年の学生運動

 1968年以降、世界が揺れ動いた。フランスの5月革命、米国の若者によるベトナム戦争反対運動、日本では日大と東大闘争と、各国で変革を求める若者たちの社会運動が相次いだ。
20世紀のフランスで歴史上最大の出来事は68年5月革命であり、その次がアルジェリア戦争とされている。欧州におけるフランスの5月革命の波及力は絶大で、周辺の国々へ多大な影響を与えた。
フランスの場合は大衆動員の形をとったが、ドイツではずっと規模の小さい学生運動が各地に広がった。欧州全体としては、長年の家父長支配への反発、そして自分たちの父親世代は、戦前に何をしていたのかの疑問が若い世代の間に広まり、彼らに任せてはおけないとする気運が生まれた。


緑の党

 欧州環境運動を引っ張ったのが「緑の党」である。そのおかげで、欧州各地で環境運動に目を向ける市民が増え始めた。ドイツでは、パリの5月革命のような大掛かりな大衆示威行動はなく、地域、大学など若者が主導する活動グループに支えられ、後に、リーダー格の環境政党「緑の党」へ連なる。
フランスの1968年5月革命から、その後のドイツの「緑の党」の重要な一員として、5月革命のリーダーの1人であった、フランス生まれのドイツ人、ダニエル・コーン・ベンディットの名は有名である。彼は5月革命中にフランス国外追放となった。
しかし、後にドイツ・フランクフルトで「緑の党」党員として活動を続け、89年にはフランクフルト市の副市長、94年には欧州議会議員に選ばれ、今日まで活動を継続している。


脱原発の過程

 脱原発の可能性を実例により提示
坂田監督は、何人かの「緑の党」の元党員・活動家とのインタビューを実施している。一般的にドイツ人は、ナチス、第2次世界大戦(戦後)についてタブー視し、口をつぐんでいた。その重い口を開かせたのが、1968年の世界的な学生運動で、ドイツ市民の意識の変化が現われた。
一方、50−60年代は、ドイツの市民運動の出発点であり、75年には彼らの力によってライン川沿いの小さな村、ヴィールでは市民による激しい抗議運動で原発建設用地が占拠された。反対運動が徐々に浸透していった時代で、ヴィール原発建設中止決定が85年に出される。これは市民の10年にわたる反対運動の成果であった。
そして、98年に「SPD」(革新政党)と「緑の党」(左翼政党)の連立政権は、原子力発電からの撤退を政府方針として決定。その後、福島の大惨事を受け、保守派のメルケル政権は連邦議会で脱原発を宣言した。


原発に代わるもの

 インタビューを受けた識者の中では、脱原発後を見据え代案を出す必要性を説く者もいる。具体的には、太陽光発電への移行である。
現時点では、自然エネルギーとして、太陽光と水力発電がある。では、小さな個人でできることは何であろう。各家々の屋根に太陽光パネルを設置することである。さらに、傾聴すべき意見として、送電線の買取りの提案だ。これは卓見である。市民は自分たちで電気は作れる。それを配給する手段として、大手電力会社が独占する送電線を市民の協同組合のメンバーがおのおの金を出し合うシステムだ。
市民グループは大手電力会社と長い困難な交渉の末、送電線を手に入れた。ここで大事なことは、目的へ向かっての息の長い話し合いの精神である。この精神は、明らかに日本の風土に欠ける点である。それは、日本人の同調圧力を受けやすい体質を見れば理解できるはずだ。
フライブルグ市(フランス・アルザス地方にある都市で大学があることでも有名)は、2020年までに100%の自然エネルギー都市になる予定である。同市では、若い世代への脱原発思想教育が中学校や高等学校でも実施され、環境問題が教材として教えられている。
ドイツ各地を旅し、脱原発の動きを目の当たりにした坂田監督は、脱原発は不可能ではないことを確信したはずだ。市民が1人ひとりの努力により電力を作り、配電する可能性を実地に見聞きし、実行する事例を日本人に提示している。「脱原発は可能だ」と。



ドイツ国内を車で移動する坂田雅子監督 (C)2018 Masako Sakata





(文中敬称略)

《了》

10月6日−14日に「シネマ・ハウス大塚」限定上映、その後全国順次公開
(シネマ・ハウス大塚 東京都豊島区巣鴨4-5-4-101)

映像新聞2018年10月1日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家