このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『体操しようよ』
地味な素材ながら若手監督の意欲作
紆余曲折を経ての固い結びつき
じっくりと父娘関係を描く

 ラジオ体操を知らぬ人は、多分いないであろう。この体操を取り上げ、じっくりと父娘(あるいは親子)関係を描くのが、『体操しようよ』(菊地健雄監督、2018年製作/109分)である。地味な素材ながら、若手監督の言いたいことが伝わる意欲作だ。

道太郎(左)娘弓子(右) (C)『体操しようよ』製作委員会 ※以下同様

道太郎父娘と近所のご婦人

ラジオ体操初日、昔の上司並木

分裂組の体操を覗き見るのぞみ(右)たち

造反指導者

再婚を勧める妹

会社時代の道太郎

ラジオ体操とは

 現在、わが国でラジオ体操の会は1800ある。1928年に旧逓信省簡易保険局(現かんぽ生命保険)が制定したもので、今年90周年を迎える。『新しい朝が来た、希望の朝だ…』とマーチ調の歌で始まるラジオ体操は、現在第1と第2があり、NHKのラジオとテレビで放送され、海外でも利用者がいる(ラジオは毎朝6時30分から「第1」を、日曜を除く正午から「第2」を放送、テレビ放送は毎朝6時25分ほか)。
ラジオ体操自体、お上にやらされている感じがある。さらに地元の保守党区議が、ちゃっかり選挙運動に利用したりもする。その上、参加者の大半は後期高齢者であり、参加する方がたそがれてしまう。だが、実際参加してみると、そのような負の先入観は一掃される。
本作は、ラジオ体操を通した人間関係に力点が置かれている。現実のラジオ体操会は、若い人は少ないのは事実であるが、会費をとる任意性である。この体操、わずか10分余りで体全体を動かす、非常に良くできたものなのだ。  
  


登場人物

 主人公は60歳定年を迎える、老舗文具会社を勤め上げた佐野道太郎(草刈正雄)である。彼は38年間、無遅刻、無欠勤の謹厳実直で控え目な性格の人間。そのため出世競争に乗りそこね、副部長どまりであった。競争社会、人がよいだけでは駄目で、社長より副社長の方が人柄は良いとする、経済評論家、佐高信の説があるほどだ。
道太郎は18年前に妻を失くし、今は30歳になる1人娘弓子(木村文乃)と2人暮らし。独身の彼女は、亡き母に代わり、父の身の回りの世話をする。
もう1人重要な役は、体操会のマドンナであるのぞみ(和久井映美)である。10年前に引っ越してきた独身女性で、街のはずれで喫茶店「オリビエ」を経営し、結構はやっている。その彼女、何か事情がありそうだ。
体操会場は、房総半島南端に立つ野島崎灯台の下の公園で、風光明美なロケーションである。



娘の置き手紙

 退職を祝う飲み会で、酩酊(めいてい)気味の道太郎は朝帰り。誰もいない居間のテーブルに置かれた、娘からの1通の手紙が目に入る。手紙には「主夫はお父さん」としたためられている。
父親の退職を機に、弓子の"主夫"廃業宣言である。彼女は、近所のパン屋で働き始め、家事はまるで駄目な道太郎は大いに慌て、昼からビールを飲み、部屋は散らかり放題である。



のぞみとの出会い

 「初めての家事」「初めての地域デビュー」「初めての生き甲斐探し」とは全く無縁な毎日。彼の生活ぶりを見兼ねた近所に住む元会社の上司、並木(平泉成)がラジオ体操に誘い、道太郎もやっと重い腰を上げる。これがラジオ体操の第一歩となる。
その後、海の見える会場で、灯台の方を見つめ泣いているのぞみをたまたま目にする。怪訝(けげん)に思った道太郎は、思わず彼女の後を付け、喫茶店「オリビエ」まで来てしまい、初めて言葉を交わす。そこで、のぞみから体操会のチラシを渡され、にっこりと「朝から体を動かすとすっきりしますよ」との誘いを受け、翌朝から毎日いそいそとラジオ体操に通い始める。
娘の弓子は、お荷物の父親に対しては距離を置き、彼の朝の楽しみには無関心である。弓子役の木村文乃のめったに笑わぬ仏頂面、気の強い役は極っている。とにかく愛想がないのだ。
「オリビエ」は、体操後のお父さんたちのたまり場で、モーニング(朝食)を食べながら、一時の談笑を楽しんでいる。話の流れで道太郎は、体育会会長の神田(きたろう)が社長を務める、雑用一般を引き受ける便利屋に就職することになる。
そこの社員は、住み込みの若者、馬場(渡辺大地)1人だけ。彼の実家は長野の米屋だが、家業を継ぐことを嫌がり便利屋の奉公人をしている。仕事以外は日中ゴロゴロし、夜間は星を眺める天体青年で、後半に彼の出番が巡ってくる。



会の分裂

 娘に冷たくされ、家の中での居場所を失う道太郎は、体操というやることを見出す。そして若い馬場に対し、「女には絶対謝ってはいけない」と説教を垂れ、男権回復を主張する。しかし、家に帰れば、食器洗いの時に弓子愛用の皿を割り、建前と反対に平身低頭で謝るのであった。この場面には笑わされる。
体操会という小さな組織でも、内部分裂は起こる。それも些細な理由で。会長の神田は足を骨折し、会長代行にのぞみが選ばれ、道太郎が補佐役となる。彼は会の改革を狙い、定刻より早く会場入りして個別に体の動かし方の指導をするなど、思わず仕切ってしまう。
これに対し、以前から会長ポストに色気を見せている木島(徳井優)が造反。ほかの会員も彼に従い、のぞみたちの会員は5,6人となる。道太郎の張り切り過ぎである。



父娘への忠告

 この分裂劇からドラマは後半へと移行する。まずは、失った会員の穴埋めをせねばならない。そこで、道太郎は思い切って弓子と、身体を動かすことが嫌いな馬場に頼み込む。
小世帯となった元祖体操会の会場で、道太郎は新しい仲間2人を紹介。そこで、のぞみは初めて道太郎と弓子が親子、道太郎は馬場が弓子の彼氏であることを知る。
父親への相談もなく、親の権威失墜とばかり怒る道太郎。むくれ合う父娘にのぞみが割って入り、「けんか相手がいるだけ幸せ」となだめる。このひと言、本作に1本の太い芯(しん)を通している。



のぞみの事情

 ある時、なぜ10年前にのぞみが房総半島へ来たかが、当時を知る会長の口から語られる。いつも明るく、皆に接するマドンナだが、時折、悲しそうな表情を見せる訳が分かる。
10年前、彼女は火事を出し、夫には離婚され、息子の親権は奪われる。追い出されてから息子とは会っていないという。それを聞いた、無器用ながらお節介気味の道太郎は、弓子、馬場の協力を得て、のぞみの以前の嫁ぎ先へ車を走らせる。
家を訪ねようとするが気後れし、のぞみは車から動けない。そこへ、男子高校生から声を掛けられる。彼女はすぐに息子と気付くが、息子はしばらく間をおいて母親を思い出す。しかし、父親から言われているのか、ぷいと怒った様子で踵(きびす)を返す。それでも、成長した息子の姿を10年ぶりに見たのぞみは、満足気であった。



結婚式

 弓子と馬場は、ささやかな結婚披露宴を催す。花嫁の父として祝辞を求められる道太郎の心情が感動を呼ぶ。無遅刻無欠勤の彼は、一度だけ早退したことがあった。弓子の誕生時である。彼は、この子を一生守る決意をするが、同時に、自分こそ娘に守られて生きてこられたことに気付かされたと告白する。それを聞く弓子は涙をこらえ、気丈に首を横に振り、一生懸命、父親への愛のサインを送る。
この場面こそ、父娘の紆余(うよ)曲折を経ての固い結びつきである。ここに、作り手の言わんとする父娘と家族の大切さが描かれている。まさに、のぞみの言う「けんかする相手がいるだけ幸せ」を地でいき、家族の有り難さがしみじみ伝わる。
一方、息子を引き合わせる労を取ってもらったのぞみは、道太郎への感謝の念を深めるが、茫洋(ぼうよう)として不器用な彼は、のぞみへの思いを言いそびれる。しかし、飄々(ひょうひょう)と毎朝のラジオ体操を楽しむ。
芝居をしないタイプの役者で、永遠の美青年、草刈正雄は役柄にぴったりはまっている。心楽しい1作である。






(文中敬称略)

《了》

11月9日より全国ロードショー
映像新聞2018年11月12日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家