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『あの日のオルガン』
「疎開保育園」による保母たちの活躍
幼い命を米軍の空襲から救う 市民の目線で描く戦争の真の姿

 胸をガシッとつかまれるような作品が出現した。『あの日のオルガン』(2019年/監督・脚本、平松恵美子、119分)である。ソフトなタイトルとは似つかず、疎開児童、保母(保育士)の視線から戦争の真の姿を撃つ、強固な姿勢がある。さらに本作は、平和や人の命の大切さを、今一度振り返らせてくれる。

 物語は、太平洋戦争中の疎開児童や、若き保母たちが主人公である。
疎開とは、今では後期老齢者しか知らないことになりつつある、戦争の副産物である。この戦争末期に米軍の空襲を避けるために、都会の子供たちが地方へ避難した。
東京は米軍の空襲で安全ではなくなり、国の決定を待たず、日本で初めて保育園を疎開させることに挑んだ保母たちの物語ともいえる。
当時、国民学校(小学校)は集団疎開したものの、幼稚園は閉鎖、そして保育所は「戦時託児所」と名を変え増え始めた。幼稚園児、保育園児たちは、安全な疎開の枠からこぼれ落ちたのだった。

保母さんたち   (C)2018「あの日のオルガン」製作委員会 ※以下同様

疎開

村長(右)とミッちゃん先生

異動の保母さんたち)

オルガンを囲んで

柳井主任(右)とミッちゃん先生

脇本所長(右)と板倉楓主任保母

輪になり童謡を歌う子供たち

2つの保育園

 制度的に保育園の疎開がない時代に、20代の若い保母たちが疎開を実行したことは、ほとんど知られていない。まだ誰も考えもしない集団疎開で、これは「疎開保育園」と呼ばれている。それにより、53人の園児の命を米軍の空襲から救った。若い保母たちを突き動かした動機は、彼女らに託された幼い命を救うという一念からだ。
この「疎開保育園」は、東京の戸越保育園(現・品川区)と愛育隣保館(現・墨田区)の共同作業で実現した。  
  


2人のリーダー

 戸越保育園のリーダー格である主任保母、板倉楓役には戸田恵梨香、愛育隣保館の主任保母、柳井房代役には実績のある夏川結衣が扮(ふん)している。愛育隣保館は全員の疎開ではなく、東京と地方に2分し、両方に足場を持つことになる。
この2人のリーダーの意志の疎通がよく、集団疎開が実現する。疎開先では、主に楓が若い保母たちをまとめ上げ、のんびり屋の野々宮光枝(大原櫻子)を中心に、ミーティングの席で活発に討論を進める。
ミーティングは、上意下達の形式的なものではなく、各自がそれぞれの意見を述べる開かれた場である。まず、主任の楓が口火を切るが、多くの場合、若い光枝が疑問を口にする。
楓は合理的に物事を追い求めねばならぬとする「ねばならぬ人間」。何よりも文化と合理性を大切にする、幾分ペシミスト(悲観主義者)的な女性。光枝は純粋だが、すぐ弱みをさらけ出すタイプで、保母たちをまとめる陰陽コンビの性格付けがされ、これが物語にメリハリを与えている。



父兄への説得

 集団疎開に関し、保育園では父兄への説明会を開く。大半の母親は子供を手許に置きたいと、疎開に絶対反対。父親たちもほぼ同意見だ。
そこである若い父親が、疎開賛成論を延べる。彼は空襲で妻を失くし、今は2人の子の母親役。彼は全員での疎開を主張し、「空襲は人を選ばない。寂しい、辛いのは大人のわがまま」と説得する。半数の出席者は納得し難い風情だが、全体の流れが疎開へ傾く。
楓主任の上司、脇村滋所長(田中直樹)が、埼玉県蓮田市の荒寺、妙楽寺を見付けてくる。本当の荒寺で、ふすまもガラス戸もない、無人の寺だったようだ。
保母たちは、そのひどさに驚きながらも、一生懸命、引越荷物解きに精を出す。何もすることのない園児たちは、楓の機転で、境内で光枝(ミッちゃん先生と呼ばれる)がオルガンを弾き、子供たちは手をつなぎ次々と童謡を合唱し、大満足の体であった。
オルガンを弾くミッちゃん先生はクタクタ。実に多くのなじみ深い歌が流れる。『どんぐりころころ』、『雀の学校』、『靴が鳴る』、『お猿のかごや』、『赤とんぼ』などの懐かしい童謡を、園児たちは声をそろえ楽しそうに歌う。このシーンは圧巻で、見ている方も口ずさみ、時に、あまりの懐かしさに涙する(歌には人の涙腺を緩ませる効果がある)。



オネショ

 保母を一番悩ますのが、園児たちのオネショで、彼女たちは翌朝布団干しに大わらわだ。
ある晩、子供たちに会いに親たちが保育園に来るが、本堂は狭く、親が来られない子への配慮もあり、宿泊禁止の規則になっている。しかし、1人の父親だけ特別に宿泊することを楓が許す。
そのことで光枝は楓に抗議するが、泊っていく父親は赤紙(召集令状)を受け翌日出征であることが分かり、皆納得する。そしてこの父親の、いつもオネショをする子供は、それ以来ピタッとやむ。
オネショは精神の不安から来るものらしく、その時を境に、保母たちは順番に子供を抱っこして寝た結果、オネショは激減する。



空襲の犠牲

 1945年8月、空襲は激しくなる一方で、44年11月24日以降、東京空襲は106回を数え、多くの民間人が犠牲となった。特に45年3月の東京大空襲では、下町の本所区(現・墨田区本所)周辺で10万人以上の死者を出した。
これは、お上(警視庁)が発表した数字であり、在日外国人(主に朝鮮人)の被害者数は統計外となっている。広島に次ぐ未曾有の大被害でありながら、この被害については多く語られていない。
そして8月14日の夜には、園児らの疎開先に近い熊谷にも82機のB29により焼夷(しょうい)弾が落とされ、266人が死亡。翌日、日本は無条件降伏し、終戦となる。もはや、安全なはずの疎開地も空襲に見舞われ、住める場所ではなくなった。
空襲が年間100回以上続いたころ、所用で東京へ一時的に戻るヨッちゃん先生を、仲の良いミッちゃん先生が桶川駅(埼玉県)まで見送る。
ヨッちゃんは、戦地で片目を失った村長(橋爪功)の息子で、彼女に好意を寄せるシンジからキャラメルをもらう。甘いものが極度に不足したご時世、別れ際に彼女はこの1つのキャラメルを半分に分け、2人で口にする。当時の食糧事情を端的に語る印象的な場面である。
このキャラメルに代表されるように、時代考証がよく行き届き、作品の厚みが増している。また、脇村所長に赤紙が来て、万歳三唱で出征を送るところでは、その嘘っぽさ、同調圧力が大量に犠牲者も出したことへの怒りとなる。ちょうど、木下恵介監督による出色の反戦映画『陸軍』(1944年)における出征シーンのようだ。
特記すべきは、童謡の使い方のうまさだ。既述の5曲を含め、10曲近くが劇中で歌われるが、皆、体内に染み入る響きがある。両親を失った子にその事実を伝える場面の童謡は、前述の木下恵介監督の『二十四の瞳』での『7つの子』のような強いインパクトを感じさせる。このように全体的に細部まで、実によく気を配っている。




終戦末期の悲劇

 本作は、保母と疎開児童を通して、犠牲となった一般市民の戦時体制下の生き方を描き、最近忘れがちな、戦争への脅威を呼び起こす、純粋な反戦映画である。
太平洋戦争で、300万人の犠牲者が出たが、その多くが終戦直前に起きている。何とか、もっと早く戦争を終わらすことができなかったか。その責任問題を、今一度議論する必要がある。






(文中敬称略)

《了》

2019年2月22日から新宿ピカデリーほかロードショー

映像新聞2019年2月11日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家