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『芳華 Youth』
時代に翻弄された若者たちの群像劇
オーソドックスな演出手法を駆使

 中国映画らしい、大河青春群像ドラマ『芳華(ほうか) Youth』(2017年、フォン・シャオガン監督、135分)がお目見えする。苦難の時代を背景に生きる、青年男女の青春像と、人生そのものを俯瞰(ふかん)する視線の高さが見る者を引きつける。現在61歳のシャオガン監督(代表作=チャン・ツィイー主演『女帝エンペラー』〈06年〉)の渾身の一作である。

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文工団のレッスン

ディンディン(左)リウ・フォン(右)

文工団の休憩時

レッスン風景

ダンスレッスン

困難の時代

 毛沢東(もうたくとう/1893−1976年)が提唱した文化革命(1966−76年)と呼ぶ政治運動は、政策に失敗した国家主席の毛沢東の権力奪還闘争とされ、妻江青ら4人組が主導した。だが、この政治活動は立場により、その評価は割れている。
彼の政治思想は反資本主義で、反革命分子とされる対立者を排除し、大きな社会混乱を引き起こした。
一例として、農村へ強制的に送られた多くの学生の悲劇『下放』の映画化は多い。しかし、文化革命後の若者や知識人を扱う作品は少ない。1968年にフランスで起きた「五月革命」でも、毛沢東の政治思想に共鳴する極左の若者グループは、毛沢東主義者と名乗った。この時期の代表的映画作品は、J・L・ゴダールの『中国女』(67年)である。  
  


文工団の青春

 中国の文工団を舞台に展開
舞台となるのは、文工団(文芸工作団、歌、ダンス、演劇などで人民解放軍兵士慰問を目的とする、軍の歌舞団)。若い男女の集団には、恋、友情、嫉妬、反目が渦巻いている。
例えていうならば、文工団自体が空飛ぶ赤いじゅうたんであり、恋を成就する者、恋を失う者、恋を踏み台とする打算的な者たちが、揺れ動く足元の上で繰り広げる青春群像劇である。
揺れる赤じゅうたんは、文革後の不安定な社会状況を指す。監督のフォン・シャオガンと、原作者の女性作家・脚本家ゲリン・ヤンは、同世代で文工団出身者である。



困難を分かち合う若者たち

 
群像劇仕立てであり、主たる登場人物は、主役のリウ・フォン(ホアン・シュエン)で、典型的な革命的装いをこらしている。ハンサムで地頭が良く、性格は善良であり、人の役に立つことを己に課す、中国革命のあり得る姿の体現者だ。
ホー・シャオピン(ミャオ・ミャオ)は、ダンスの才能がある17歳の少女。父は、労働改造所(文革中の反政府分子を収容する強制矯正施設)に送られる。彼女自身は、家族にいじめられ、結果的には文工団に逃げ込む形となる。先輩として彼女に目を掛けるリウ・フォンに恋をする。
シャオ・スイツ(チョン・チューシー)は、原作者ゲリン・ヤンの分身と思える少女で、ダンスを担当し、同じ音楽組のラッパ手、チェン・ツァン(ワン・ティエンチェン)に思いを寄せている。彼女は作品のナレーターも務め、全体から文工団を見る立場である。
主役リウ・フォンが恋する歌組のリン・ディンディン(ヤン・ツァイユー)は、団随一の美女で、多くの青年が彼女に思いを寄せる。
前半は、これらの主人公を中心に展開される。若手女優陣は10代の設定で、皆、素面の美しさに輝き、中国映画界独特の芸能人らしからぬ雰囲気が魅力的だ。



軍服事件

 父親と離ればなれの若いシャオピンは、一刻も早く憧れの軍服姿の写真を父親に見せたく、1週間後の軍服支給が待ち切れない。そこで、同室のディンディンの上着をちょっと拝借し、写真館で父親のためにポートレートを撮る。この短時間の拝借が騒ぎとなり、一番若いシャオピンは皆に責められる。女性同士の反目のいやらしさだ。
団員たちの小さな行動も物語展開に彩りを添える。プールで遊んでいると、彼女らの脱いだブラウスとともにスポンジが見つかる。多分、胸を大きく見せるための持ち物であろう。これが少女たちの間で大騒ぎとなり、シャオピンが疑われる。
ここに、団のために競って忠誠心を示す、忖度や過剰な正義感が見える。「みっともない」、「女の子らしく」などの理由で。軍隊の悪しき全体主義が顔を出す。
事件自体はささいなことだが、水着姿の少女たちの姿は眩しいほどで、これぞ青春がもたらす美なのであろう。



時代の移り変わり

 文工団での小さな事件がありながら、皆、恐ろしいほどの生真面目さで、歌舞の訓練とひそかな恋を胸に秘め毎日を過ごす。しかし、1976年9月の毛沢東の死により、大きな転換点を迎える。
それまでの文革一辺倒の文工団に異動の波が押し寄せ、模範団員のリウ・フォンは腰を痛め、裏方に回る。労働改造所のシャオピンの父親には釈放の兆しが見え始めるものの、その矢先に彼は死去、遺品として父親の手編みのセーターがシャオピンの元に届けられる。
この辺りの語り口が実にうまい。小さな数々のエピソードが手際よく積み重ねられ、激動の時代を写し取っている。脚本の力(りき)である。
シャオピンにとり、リウ・フォンは団内で唯一頼れる存在であったが、彼自身は歌組の美人ディンディンに思いを寄せ、愛を告白する。しかし、相手にされず、思い余り彼女を抱きしめたところを他の団員に見つかる。
このことが原因で、舞台とは縁のない伐採部隊へと異動となる。彼の出発時、駅への見送りはシャオピン1人。彼女の心意気と恩義に思う心が見る者の胸に迫る。
メロドラマの王道を行く泣きの場面で、シャオガン監督の実直な演出が光る。この別れ以降、シャオピンは野戦病院に看護師として送り込まれ、精神のバランスを崩し始める。




再び激動の時代

 左遷されたリウ・フォンは1979年の中越戦争に召集される。中国軍はベトナム軍に大敗を喫し、彼自身、右腕を失う。
この戦争のわずか1カ月であったが、戦闘場面の迫力は類を見ないほど激しいものである。6分間の場面だが、CGなしの1回のテイクの撮影で、敗走するリウ・フォンたちの中国軍の壊滅的打撃を描いている。
中国映画は元来、リアリズムを基調とする伝統があり、まさに定石どおりの展開で、物語を一気に盛り上げ、終章へとなだれ込む。




文工団解散

 毛沢東の死の4年後(1980年)、建軍以来の文工団が解散、団員たちは散りじりになる。大学を受験する者、作家として世に出るスイツ、リウ・フォンのような一市井の人となる者などさまざまである。
模範兵だったリウ・フォンは、文工団解散後、出版会社の配本係として自転車で街中を駆けるしがない生活を送る。ベトナム戦争で右腕を失った国家の英雄の姿とは思えない。
ある日、駐車違反で警察に法外な罰金を請求されたリウ・フォンは、署に乗り込むが放り出され、義手が道路に飛ばされる。彼の現在が一目瞭然となる、心痛い場面である。
この画面のような1つひとつのエピソードが、実にうまく挿入されている。切なく怒りに満ち、そして諦念と、終生、所を得ずして生きねばならぬ日々、残酷だがそれが現実であることを見る者に教える。




内面の充実感

 文工団解散15年後に、リウ・フォンとシャオピンは再会し、彼女は彼への文工団以来の思いを告白。2人は長い年月の末、結ばれ、貧しいながら心豊かに生活を送る。このラストが、ままならぬ人生の中における数少ない救いである。
文工団という公の立場に縛られながら、私たる個人の愛も描くあたり、文革後の正常ならざる時代の荒波に身を置きながらも、私を通す生き方は、中国の現代史絵巻である。
青春の光と影、その後の人生の浮き沈みを、シャオガン監督は奇をてらわないオーソドックスな手法を駆使し、作品を盛り上げる。
本作、中国で4000万人の観客動員を果したが、納得できる。






(文中敬称略)

《了》

4月、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次公開

映像新聞2019年4月8日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家