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『荒野にて』
不幸を一身に背負う天涯孤独の少年
静かな辛抱強い戦いを提示
主人公の性格の描き方に新鮮味

 "人間とは互いに支え合って生きる者"であることを、いま一度考えさせる作品に巡り会った。それが『荒野にて』(17年/アンドリュー・ヘイ監督、英国製作、122分)だ。天涯孤独の15歳の少年チャーリー(チャーリー・プラマー)が、自分の居場所を探し求め、時には馬を引きながらのロードムービーである。

 冒頭、主人公のチャーリーは、着古したTシャツ1つで、朝のジョギング。失業状態の父との共同生活は、もはや家族と呼べるものではなく、誰にも朝食を作ってもらえない。やせてひょろっとした少年は、起きれば、いやいやながらも学校へ行く環境からさえ引きはがされた身である。
毎日、何もすることがなく、街をぶらついては日雇い仕事を探すが、大人にもならないひ弱な少年を雇う者はいない。彼もそのことには慣れ、自分の不幸を嘆き、他人に怒りをぶつけるわけでもなく、淡々と今の状況を受け入れる。悲壮感とは無縁な心優しさがある。言い換えれば、今あることと戦う少年だ。
舞台は、米国北西部で、言わば広々とした草原が広がる荒野であり、西部劇の格好の舞台の趣がある。一面の草原と丘陵、川や湖はない。散見する工場の廃墟、人気が少なく、動くものといえば高速道路の時折行き交う自動車。誠に殺風景そのものである。
小さな町の住人は白人だけで、黒人の姿は見られない。この最底辺の白人たち、プアホワイトに神の福音を振り撒く、小説家アースキン・コールドウィン(1903−87年、代表作『タバコロード』〈32年〉、『巡回牧師』〈35年、新潮文庫〉)の世界とは、このような地を示すのであろうか。本作では、米国の黒人と白人の分断された現状が垣間見える。

チャーリーとピート (C)The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation
and The British Film Institute 2017 ※以下同様

デルの厩舎で

朝のジョギング

先輩の女騎手ボニー

仕事中のチャーリー

水遊び

病床の父親

伯母の思いでの写真を見るチャーリー

チャーリーの家族

 彼の家族は、働かない父親レイ(トラヴィス・フィメル)。ほかの失業者と同様、1日中ビールを飲んでいる人たちの1人である。
母親はチャーリー出産後、間もなく去り、伯母のマージー(アリソン・エリオット)が母親代わりとなる。マージ―はチャーリーをわが子のようにかわいがり、彼の伯母との生活が、今までの人生で一番幸せな時期であった。
しかし、チャーリーが12歳の時、父親と伯母が大げんかをし、父子は家を飛び出す。そして、職を求めて北西部を転々とし、ポートランドへ流れ着き、ホームレスとなる。
家は貧乏人の住家のトレーラーハウス。以前、彼らはオレゴン、アイダホ、ワイオミング、ユタ、コロラドを転々とした。働く意欲の薄いレイは、好人物だが全く経済的自立心がなく、幼い息子の日当でビールを飲む毎日。チャーリーには、冷蔵庫の中のシリアルだけという窮乏生活。
このように、本作の成功の因は、原作および脚本の人物設定によるところが大きい。  
  


競馬場での出会い

 序章で全体像を、その後の展開で見る者を引き付ける手法は簡潔で、また、チャーリーの現実と向き合う真摯な姿が強い印象を与える。
日給仕事のチャーリーは、いつものように街をぶらつき、何かの仕事にありつこうとする。たまたま家の近くに競馬場があり、厩舎の調教師、デル(スティーヴ・ブシュミ=異形の脇役でありながら、場を全部奪ってしまうほどの存在感が圧倒的な男優。コーエン兄弟、ジム・ジャームッシュ、マイケル・ベイ監督がごひいき)の目にチャーリーはとまり、馬丁(ばてい)の仕事(厩舎の雑役)を得る。
おとなしく、のみ込みの早いチャーリーは、デルに気に入られる。しかし、ポートランドのメドウズ競馬場は、スタンドもない田舎競馬場で、3流の地方競馬場とも呼べる粗末なものである。だが住民にとり、数少ない娯楽であることに違いない。
デルは、チャーリーにリーン・オン・ピート(以下ピート)という稼ぎの少ない馬の世話を任せる。ピートは走りが遅く、これ以上負けが込めば殺処分と決まっていた。
余談だが、わが国でも年間約7000頭のサラブレッドが生まれ、そのうち競走馬として生き残れるのは1000頭余りといわれる。残った馬は殺処分され、競争馬として活躍しても引退後には9割以上が殺処分となる。それらの馬肉は、動物園の肉食動物のエサやドッグフード、畑の肥料になるそうだ。
何とも残酷な話だが。サラブレッドの生産牧場保護のため、飼育は続けられている。ピートの存在と、日本の競馬界の事情とが重なり合う。



父親の死

 
やっと競馬場の仕事で、何とか暮らしていくことができた父子だが、不幸が振りかかる。女好きのレイが、一晩女性を自宅に泊めたことから、亭主に乗り込まれ重傷を負い、入院する。全く締まらない話で、チャーリーにとり、とんだとばっちりだ。
その後、父親は病院で亡くなり、チャーリーは天涯孤独の身となる。そこで、相棒のピートを連れてマージー伯母さんを探す旅に出る。



ピートとの"2人旅"

 ホームレスで仕事はなく、1頭の馬というこぶつきのチャーリーだが、別にふてず、わめかず、米国北西部の草原を歩き始める。チャーリーは、伯母との楽しい生活、以前の家での友人たちとの交友をピートに楽しそうに話し聞かせる。
この瞬間、幸せそうな彼だが、逆に見る者にとっては、ふびん極まりない気持ちにさせられる。この平板な不幸の連続を、起伏の少ない手法で抑え見せるところに、演出の卓越した手並みがうかがえる。



手を差し伸ばす人々

 不平、不満を表に出さないチャーリーの窮状を見兼ねて、レストランのウェイトレスは無銭飲食を見逃し、競馬場のデルは仕事を与える。また、伯母の消息を尋ねるために、道行く人に携帯を貸してもらう。さらに、たまたま知り合った一家が夕食に招いてくれるなどの親切、まさに地獄に仏である。
ラスト、マージ―伯母さんがララミーに居ることを突き止めたチャーリーは、彼女の勤める図書館へ辿り着き、ハッピーエンドとなる。再び彼女の世話になるチャーリーは、「嫌になったら追い出してもいい」と言いつつも、「学校へ行きたい」と懇願する場面は泣かせる。
不幸を背負わない人間はこの世に居ない。しかし、それを引き受け、立ち向かう勇気を人それぞれが持っていると、本作は説く。15歳の少年が不幸を一身に背負う姿に、作り手は、静かな辛抱強い戦いを提示する。
このチャーリーの性格の描き方に新鮮味があり、それは生き方の1つで、感動を突き抜けるマインドを与える。
ぞっとするほど美しい荒涼たる草原は、見る者を魅了し、チャーリーとピートの旅を包み込む。心に染み入る感動的な風景が救いとなっている。






(文中敬称略)

《了》

4月12日からヒューマントラストシネマ渋谷他、全国順次ロードショー

映像新聞2019年4月15日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家