このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『希望の灯り』
旧東ドイツの巨大スーパーを舞台に
自由度低い環境でも小さな幸せ

 ドイツ映画『希望の灯り』(2018年/トーマス・ステューバー監督・脚本、125分)は、1990年に再統一された旧東ドイツの社会的残滓(ざんし)をとどめている。37歳のステューバー監督は、旧東ドイツのライプツィヒ生まれ。物語の背景である旧東ドイツが、再統一から約30年後の現在まで、人々の心の中に存在していることが作品のメイントーンとして貫流している。東ドイツは、悪名高い秘密警察シュタージに支配された暗いイメージが残っているのは事実であるが、それ以外に取りえもあったのではなかろうかと、作り手は控え目に述べている。

 舞台は、旧東ドイツ、ライプツィヒ近郊の巨大スーパーマーケット。米国やヨーロッパの都市周辺のそれと同じである。住民は1週間分の食料品をキャリアいっぱいに積み込み、サッカーグラウンド並みの広大な駐車場を後にする。これは、ごく日常的な一コマである。
季節は、秋から冬にかけての数カ月で、駐車場の向こうには数台の車が通る高速道路がある、荒涼とした風景が目の前に広がる。誠に殺風景な地方都市そのものだ。そこにはスーパーマーケットで働く人々の日常がある。
1990年はドイツ再統一の歴史的な年であり、前年にベルリンの壁が崩壊している。この時期から、ヨーロッパの様変わりが始まり、EUの重要度が増し、文化面では独仏教養専門テレビ局「アルテ」が設立された。
旧東ドイツは旧西ドイツと比べ経済力が劣るが、資本主義経済の西ドイツははるかに競争社会であり、物価が高く失業も多い。しかし旧東ドイツは、シュタージのような国民相互監視システムの中にありながら、緑の環境に恵まれ、国民の連帯感が強く、社会主義圏独自の社会保障制度も手厚い。
ステューバー監督によれば、旧東ドイツそのものはむしろ住みやすく、悪い国ではなかったとのこと。また女性の解放に関しては、旧東ドイツは進んでいたとされる。

マリオンの誕生日 (C)2018 Sommerhaus Filmproduktion GmbH ※以下同様

クリスティアン(左)とブルーノ(右)

店内 クリスティアン(中央)

店内

演技指導のステューバー監督(右から2人目)

マリオン (BetaCinema In the Aisles(C)Sommerthaus Filmprodution GmbH)

メインの登場人物

 社会の片隅で生きる人々の姿
3人がメインで、彼らは巨大スーパーマーケットの従業員である。主人公の青年クリスティアンを演じるフランツ・ロゴフスキーは、『ハッピーエンド』(17年、ミヒャエル・ハネケ監督)、『未来を乗り換えた男』(18年、クリスティアン・ペッツォルト監督)に出演し、注目される若手男優で、将来ドイツ映画界を背負うスターと目されている。
クリスティアンの上司ブルーノには、ペーター・クルトが扮(ふん)する。彼は『ヘビー級の心』(15年、ステューバー監督の初長編作品)に主演、若いクリスティアンが恋する女性マリオンにはザンドラ・ヒュラー(『ありがとう、トニ・エルドマン』16年、マーレン・アデ監督)が扮している。彼らは、ブルーノが54歳、マリオンが39歳、そしてクリスティアンが27歳と、それぞれの世代分けがされている。
ブルーノは飲料担当、マリオンは菓子担当、クリスティアンは在庫管理担当で、3人は頻繁に職場で顔を合わせる。しかし、3者間の会話はほとんどなく、無味乾燥な職場環境である。ここに演出の狙いが隠されている。
旧東ドイツ出身の年長者ブルーノは、昔を懐かしみ、現在のドイツになじめない様子。若いクリスティアンは、前職の建設現場で何かあったようで、職場では自ら口を開こうとせず眺めるばかり。マリオンは既婚だが、家庭生活は円満ではない。そのマリオンに若いクリスティアンが一目惚れする。  
  


フォークリフト

 深夜のスーパーマーケット、人気(ひとけ)はクリスティアンだけ。そこでイメージシーンとしてフォークリフト2台が左右に、まるで踊りのように動き回る。何事も起きそうもない深夜の広大なスペースでの動き、昼の買い物客でにいぎわう騒がしさとの対比を狙ったものである。
売り場スペースの割には従業員が少なく、その分、フォークリフトの出動が目立つ。新人のクリスティアンにとり、フォークリフト操作は難題で、先生格のブルーノが教えるが、なかなかモノにならない。この「人」と「フォークリフト」との格闘も、職場の細部を見せる役割を果している。
演出的には、だだっ広い売り場での少ない人員と客だけの設定の中で、変化をつけたい監督ステューバーも悩まされた窮余の一策と考えられる。監督という仕事、何かをいじり回したいところがあり、本作のシチュエーションは大変やりづらかったに違いない。



マリオンの誕生祝い

 
クリスティアンは、マリオンの誕生日をどこからか調べ上げ、細い1本のローソクを用意し、従業員休憩室でプレゼントする。そして誕生祝いケーキとして、賞味期限で廃棄処分されるチョコレートを拾い、2人で食べ、誕生日を祝う。


ブルーノ宅で

 普段は終業後に各人バラバラに帰るが、この日は、バス通勤のクリスティアンをブルーノが車に招き入れ、「俺のところで一杯やろう」と誘い、2人はブルーノ宅へと車を走らす。ここで、各人の個人的問題をブルーノの口から語らせる。
マリオンはDV亭主のため、ここ数日欠勤の事実、ブルーノは世帯持ちと称するが、実は50歳過ぎの独身者。旧東ドイツ時代は、長距離トラック運転手として自由気ままな生活を送ったことを話す。50歳を過ぎ、知らぬ土地で未経験のスーパーマーケット勤務。年齢的に辛いはずだ。
職場では、ほとんどプライバシーについて話す機会を持たぬ、それぞれの世代の人間の内なる悩みが、ビールの力で少しずつあらわになる。特にブルーノの場合は、旧東ドイツへの懐かしさが強く、統一後の国にはなじめず、居場所を失っている感じだ。
ここで興味深いことは、3人の世代が異なり、それぞれ悩みを口にする機会もなく、何事にも変化に乏しい異郷の生活に甘んじている生き方だ。
クリスティアンは、ブルーノが指摘するように、窃盗で刑務所入りした過去があり、その後、このスーパーマーケットに流れ着いた。若いころは与太者グループに加わり、首や手に派手な入れ墨をしている。昔は相当なワルであったことは、皆口には出さないが知っている様子だ。



ブルーノの訃報と連帯感

 ブルーノが首つり自殺したニュースが職場に駆け巡り、従業員は「明日はわが身」とばかりに喪に服し、葬式に参列、連帯感を示す。彼の死の原因は居場所のない寂しさからきている。まるで故郷を失った人間の縮図のようだ。
社会の片隅での、小さな幸せこそ大事にせねばならぬとする原作のメッセージ。居場所を失った人間に対する優しい忠告が、逆説的に諄々(じゅんじゅん)と述べられている。
旧東ドイツは西側諸国と比べ自由度は低いが、それなりの小さな幸せがあり、現ドイツでも同様に、小さいながら人々に幸せは必ずあるとする、奥深い心の言葉の伝達があることを、若手監督トーマス・ステューバーは訴えかけている。地味ながら心に染み入る作品である。





(文中敬称略)

《了》

4月5日からBunkamuraル・シネマほか全国順次公開

映像新聞2019年4月1日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家