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『パリの家族たち』
現代のフランス女性の普遍的な問題
母性との向き合い方を描く

 華やかで、人情の機微に触れる作品『パリの家族たち』(原題『La f?te des m?res』は「母の日」の意/2017年、マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール監督〈長い名前だが、マンシオン=シャールが苗字〉、製作・フランス、103分)が公開される。テーマは母性(=母親)との向き合い方を描くものであり、現代のフランス女性、誰の肩にものしかかる、普遍的かつ古くて新しい問題に触れている。興味深い一作だ。

ダフネ(ジャーナリスト)と子供たち
(C)WILLOW FILMS - UGC IMAGES - ORANGE STUDIO - FRANCE 2 CINEMA ※以下同様

女性大統領アンヌ

子供を抱えるアンヌ

ジャクリーヌ(3姉妹の母)

花屋のココ(左)とパートナー

タップのレッスン、アリアン

3姉妹

タップのステップを踏むナタリー

女性群像

 出演女優それぞれに個性的な役割
本作は、女性問題を扱う作品であり、出演女優陣は粒ぞろいだ。物語は、女性大統領アンヌ(オドレイ・フロール/『最強の二人』〈2011年〉)がまず前面に押し出される。そして、30代と覚しき3姉妹がほぼ話の中心となり、それぞれに個性的な役割が振られている。
彼女らの中心に美術史の大学教授、独身の次女のナタリー(オリヴィア・コート/『ソフィー・マルソーの秘められた出会い』〈14年〉)がいる。彼女は徹底した反母性主義者で子供嫌い。
長女のダフネ(クロチルド・クロ/『エリザ』〈1995年〉)は、幼い2人の子供を持つシングルマザーで気鋭のジャーナリスト。子供たちとのコミュニケーション不足が最大の悩み。彼女は、ベビーシッターのテレーズ(カルメン・マウラ/『ボルベール帰郷』〈2006年、ペドロ・アルモドバール監督〉)に育児を任せきり。テレーズは、母性の塊のような女性である。  
  


自己中心の母親

 3姉妹の母ジャクリーヌに往年のフランス映画界の名花、マリー=クリスティーヌ・バロー(『モード家の一夜』〈1968年〉)が扮(ふん)する。今年75歳の彼女の登場には、懐かしさも相まって、驚きを隠せない。
ジャクリーヌは本来的に母性を持ち合わせず、子供が人形の着せ替えをすることにもいら立つ性格。気難しく自己中心で、他者への配慮に欠ける役を振られている。面白い起用である。
3女のイザベル(パスカル・アルビロ『マリアンヌ』〈2017年〉)は小児科医で、アフリカから養子を取ることが決まっている。彼女は母に対し一番気を使うタイプだが、幼いころから、全く母親に構ってもらえない。
一方、ジャクリーヌは子供に関心はなく、若い時代は母親ながら愛人と旅行に出かけたり、ほかの男性との会食で夜遅くなることがしばしばであった。その母親の帰りを、幼い3姉妹は寝ないで待っていた。



物語の構成

 
わがままな母親ジャクリーヌと、1人は仕事漬け、1人は反母性主義者、1人は母親への期待をいまだに持ち続けている姉妹。その3姉妹はある決断を下す。
サイドストーリーたるエピソードが多く、マンシオン=シャール監督は、事前にカチッとした脚本を作らず、状況に合わせ、時に俳優の意見も取り入れながら、人物を設定する手法をとっている。
その結果、話の筋道が多岐にわたり、人物関係の把握が難しくなる一面もある。しかし、この手法、作品にリズム感をもたらし、普遍的なドラマ性を付与することに貢献し、全体像がきちんとまとめられている。そこが作品の強みである。



子育てに苦悩する女性大統領

 マンシオン=シャール監督は、本作製作にあたり、1つのアイデアとして、女性大統領と子育ての難しさを思いつき、話を膨らませている。
彼女は母性を確保する場合、ファースト・ジェントルマンたる夫のグレゴワールが、その任を担うことで解決法を見出している。忙しい執務中、グレゴワールが幼児を抱えてあやす場面である。ここで見られるのは、母性とは時に女性だけでなく、異性の力の必要性を説いている。



ナタリーと「母の日」

 独身のナタリーは、大学の教え子ジャックと暮らすが、大の子供嫌い。ある時、バスの中で子供が停止ボタンを押したがる際、降りる彼女が先に押し、子供を泣かす。うるさい子供に一杯食わす面白さはあるが、相当に底意地が悪い。この彼女、大学の講義で「母の日」の由来を講義する。
もともとは、米国の南北戦争時に負傷兵を献身的に手当てしたアンナ・ジャービスの功績をたたえるため、1914年5月第2日曜日に「母の日」は決められた。
その後、1934年にルーズベルト大統領により、画家ジェームス・マクニール・ホイッスラー(米国の画家、1834−1903年)の『母の肖像』が切手となり「母の日」の象徴となる。しかし、「母の日」の商業化を嫌ったジャービスは、その廃止を唱える。
ルーティーン化した「母の日」については、学生の大半が否定的で、ナタリーの講義に賛意を表した。



ダフネと子供たち

 ジャーナリストで、仕事人間のダフネは、「母の日」の女性大統領とのインタビューワーに選ばれ、押しも押されもせぬトップクラスのジャーナリストと目される。しかし、家庭ではいつも忙しく、幼い2人の子供を構ってやれない。育児は心優しいスペイン人のテレーズに頼り切りで、子供たちも彼女になついている。
わが子とのコミュニケーションが最大の悩みであるダフネは、ある雨上がりの午後、時間を作って子供たちを学校へ迎えに行くが、彼らは仏頂面。帰りの道は雨で濡れ水たまりがあり、長男は面白がってそこに入り、ばちゃばちゃ。次のダフネの反応が秀逸である。
彼女は、厳しい顔をしてしばらく考えた後、意を決し自ら一緒に水たまりに入り、くつが濡れるのも構わず、親子そろって3人でばちゃばちゃ。喜ぶ子供たち。この瞬間、親子のきずなが戻り、3人も笑顔になる。
わずかな、水たまりに入る勇気とあふれる愛情が、家族を包み込む場面であり、マンシオン=シャール監督が狙いに狙った1コマの絵柄である。人間の心を開かせる一瞬の描写のすごさを感じさせる。




アリアン、舞台女優

 本作の真ん中に3姉妹を据え、サイドストーリーとして、アリアン(ニコール・ガルシア、才能豊かな女優であるが、監督としても代表作『ヴァンドーム広場』〈1998年〉がある)の人物設定に意表を突く面白さがある。
アリアンもシングルマザー("意識高い系"女性のシングルマザー化は、フランスでは珍しくない)。彼女は成人の息子がおり、彼が母親の面倒を見る側に回っている。
舞台でのセリフの間違いや、誤った男性の選択に対する苦言など、彼は親切心からいろいろと口を出す。アリアンは母性の封印をしたい方だが、彼女に代わり息子がその役割を果す。面白い設定だ。
3姉妹とアリアンには何ら人間関係はないが、数々のエピソードを盛り込み、破綻なく見せてしまうあたり、編集の冴(さ)えであろう。





3姉妹と母との別れ

 最終的に3姉妹は、母性に興味を持たない母親ジャクリーヌを置き去りにする決心をする。彼女たちは豪華レストランに母親を招待し、1人ひとりが中途退席する。残酷だが、誰もが傷つかない行動だ。
女性には子供を産む身体的能力が備わっているが、出産と母性とは必ずしも一致しない。
現代の女性は、ダフネのセリフのように、自身の分身たる子供に対する愛情と同様、「仕事、友情、ワイン(友人たちとの会食)、セックス(恋)も人生に不可欠なもの」と考えている。そこがメインテーマである。
女性は母親になり、育児をし、社会的責任(仕事)を果たし、同時に「おんな」であることを否定しない。当然の意識である。
しかし、母性の濃淡の違いこそあれ、そこから離れられない宿命は避けられないものとしている。ここが作品の奥の深さであり、現代の女性問題の難しさを喝破している。






(文中敬称略)

《了》

5月25日(土)、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開

映像新聞2019年5月13日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家