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『ニューヨーク 最高の訳あり物件』
社会派監督が描くコメディー
女性の社会権利の尊重崩さぬ姿勢

 20世紀半ば、世界を揺るがせた若者の反乱の季節に呼応して、数々の社会運動がヨーロッパ、米国、日本で起き、世界的現象となった。いわゆる、若手世代の社会変革運動である。その中心と目されるのが、若者、学生の一連の世界的な異議申し立てで、フランスでは1968年「5月革命」、日本では同年の日大闘争が該当する。もちろん、映画の世界でも若い世代は、変革を求める声を上げ始めた。

 フランスの隣国ドイツでも、60年代後半から、社会不安(格差問題)に対するアンチテーゼ(反論、反抗)がわき起こり、若手映画人たちは積極的に現状批判を始めた。フランスの「5月革命」とは異なり、ドイツの場合は社会大衆運動(日本の場合、60年の安保闘争、68年の全共闘運動)の形を取らず、テロ活動が反体制派世代の行動形態であった。
それらの不安な社会の中で声を上げたのが、左翼知識人たる学生、若者世代で、彼らは映画製作により異議申し立てをし、それが70年代から80年代初頭まで続いた。
この若手映画人の中から、ドイツ・ニュージャーマンシネマが生まれ、その中の女性監督がマルガレーテ・フォン・トロッタ(1942年生まれ)である。この彼女の最新作が今回扱う『ニューヨーク 最高の訳あり物件』(2017年/ドイツ、110分、原題「Forget about Nick」)だ。
反体制映画運動から出て来た彼女は権力に立ち向かい、その矛盾、不条理と闘う姿勢はブレていない。初期の『カテリーナ・ブルームの失われた名誉』(1975年、共同監督作品)は、女性の社会権利の尊重、対権力へ向き合う立場を崩さぬ作品で、国際的評価を得て現在に至る。この過去を抜きにしては、トロッタ監督が世界の映画界に貢献した業績は語れない。
近作の『ハンナ・アーレント』(2012年)と『生きうつしのプリマ』(15年)は、本邦公開されている。そして最新作は、従来の社会派路線から180度転換のコメディーで、弾みのある、見ていて面白い作品に仕上げられている。

ジェイド(左)、ニック(中)、マリア(右)   (C)2017 Heimatfilm GmbH + Co KG ※以下同様

アトリエのジェイド

料理上手なマリア

好物のケーキを前に、ニック

ジェイド(左)、アントニア(右)

マリア(左)、ジェイド(右)

物語の発想の良さ

 同じ夫に捨てられた元妻2人の共同生活
本作は米国女性パム・カッツの脚本に、トロッタ監督が刺激を受け製作された。
主人公は2人の才女。そのお相手が初老の金持ち男ニック(トルコの名優ハルク・ビルギナー、カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞したヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品『雪の轍』〈14年〉の主演。トルコでは国民的俳優とうたわれている)である。
主人公の1人は著名なモデルのジェイド(ノルウェー女優、イングリッド・ボルゾ・ベルダル)であり、冒頭彼女の泣き顔から始まる。ジェイドは、金持ちで女性遍歴を重ねるニックから離婚を突き付けられる。若く美しいモデルに乗り換えられたのだ。
もう1人は、ドイツからニューヨークに着いたばかりのニックの元妻マリア(ドイツ女優カッチャ・リーマン、近作『生きうつしのプリマ』主演)である。彼女は生き生きとし、これからのニューヨーク生活を大いに楽しもうという風情。
マリアにとって、若いモデルであったジェイドとは、ニックを寝取った仇敵(きゅうてき)関係。離婚後、マリアは故郷のドイツに戻る。もともとが文学の先生であるが、故郷では子供や孫の面倒をみる生活を送っていた。
片や華やかなファッションの世界、片や地味な研究者と、全く異なる世界を生きる女性2人の対決だ。  
  


2人の鉢合わせ

 勇んでニューヨークに降り立つマリア、離婚を申し渡され落ち込むジェイド、対照的な2人の行く先は、市内の広いメゾネット型の豪華マンション。天井は高く、家の中でローラースケートができるほどの広さ、らせん階段を上れば、プライベート・スペース。ニューヨーカー憧れの的の物件である。
2人はそのマンションの1室で鉢合わせする。この偶然、夫であったニックが2人の元妻と結婚生活を送った住宅で、彼は2人の女性に慰謝料として半分ずつ贈与したのである。アバウトな手切れ金だが、知り合いになりたくもない2人にとり、天敵がもたらす、厄介なお荷物となる。
自信満々の2人、仕方なく共同生活を始めるが、絵画やインテリアの好みの違いでことごとく対立、口論に次ぐ口論である。いわば、女性同士の角突き合わせての突っ張り合いで、はたから見れば、美女2人のやり合い、こんな面白い見世物はない。



2人の性格

 
年長のマリアは、文学博士の肩書を持つ研究者。地頭が良く、辛らつな嫌味をシレッとかます。
一方、ファッション界でモデルとして成功したジェイドは、いつも上下黒のパンタロン・スーツと白いブラウスで極める。ファッションの世界の申し子のような格好良い女性。40の坂が見え始め、モデルとしての将来性を考え、デザイナーへの転身を考慮中。本来、情緒で動く華やかな人柄だが、思い込んだら最後のような、相当な意地っ張り。



吹き出す金銭問題

 この天敵の間に横たわる最大の問題は金銭である。ジェイドは自分のブランドを立ち上げる資金が必要だが、前夫ニックからの援助は何としても拒否したい。そこで浮上したのがマンションの売却である。
売り上げを折半すれば何とかなると踏むジェイド、ニューヨークに落ち着いて研究者生活を送りたいマリア、双方の思惑は一致しない。ジェイドは売りたがり、マリアは絶対反対となる。



ドイツからの来訪者

 そこに現われたのが、マリアとニックとの間の娘アントニアである。彼女にとり、ジェイドは略奪婚の実行犯であり、父親ニックに対しては未だに釈然としない思いを抱いている。
アントニアは化学専攻で、故郷ドイツでは地味な化学教師である。相容れぬジェイドとアントニアではあるが、夫に去られ、愛情を注ぐ対象を失ったジェイドにとり、格好の相手となる。そして、彼女を新しい会社の香水開発担当として採用する。
もともと地頭の良いマリアの娘だけあって、ジェイドは一層アントニアを頼りにする。香水開発の成功の後、アントニアはドイツへと帰国し、今までの研究の空白を埋める時間を母親マリアに提供する。こうしてアントニア自身は自立の道を選ぶ。



土壇場の一手

 最終的にマリアは、お金はどうでもよくなり、ニックに未練のあるジェイドは彼とよりを戻す。そこには、奇想天外な条件を付け、予期せぬ提案にニックも従わざるを得ない。
このラストのアイデア、脚本の遊びには違いない。しかし別の意味として、人生、最終的には女性が主導権を握るという教訓がにじみ出ている。ここに闘う映画監督、トロッタのひねりが仕掛けられている。剣道でいえば、お見事な1本である。
『カテリーナ・ブルームの失われた名誉』、『鉛の時代』(1981年)、近作『ハンナ・アーレント』、『生きうつしのプリマ』、そして、シリアスな社会性のある作品から一転しての本作のようなコメディーにまで、女性の権利にこだわり続けるトロッタ監督の姿勢がはっきり読み取れる。
フェロモンを強く押し出すフランスやイタリアの女優とは異なり、容姿、立居振る舞いから強い意志を感じさせる、ドイツ、北欧の女優陣の存在、小気味良い作品の持つリズム感、一見に値する作品である。






(文中敬称略)

《了》

6月29日、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

映像新聞2019年6月24日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家